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縄文時代と弥生時代の違い

初めての質問です 親に急に言われたんですけど 縄文時代と弥生時代の違いってなんですか?

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  • tyr134
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回答No.1

土器の形の違いです。 それ以外は分っていないのが現状です。 一昔前までは、狩猟・採取していた時代が縄文時代、稲作が伝搬してからが弥生時代となっていましたが、昨今の考古学的な研究からは縄文時代にも稲作が行われていたことが分っています。 縄文時代は、エドワード・S・モースという人が1877年(明治10年)に大森貝塚から出土した土器を「Cord Marked Pottery」と報告書に記し、後にそれを井光太郎が「縄文土器」と訳した事に始まります。 その後、1884年(明治17年)に東京市本郷向ヶ岡弥生町で見つかった土器がそれまでのモノと形式が違っていたことから、出土した地名をとって「弥生土器」としたことが弥生時代の始まりとなります。 その後、日本の縄文・弥生時代の研究は考古学資料を中心に行われる事になりました。 その時に注目されたのが、土器の形の違いです。 考古学では、絶対年代(これは紀元前○○年のモノだ)というのが分ることは少なく、相対年代(土器Aは土器Bより古い)が分るのが殆どです。 なんで、土器の形で分けるのが基本となっています。 ただ、その一方で「弥生時代から稲作が始まった」という説にこだわっているのも事実で、「稲作の開始年代の特定」が今の日本の考古学でホットな研究と言えます。

orebonjin
質問者

お礼

わかりやすい回答ありがとうございました

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noname#69405
noname#69405
回答No.2

まず時代としては、一般的には縄文時代が大体BC1万年ころからBC4世紀頃までで、弥生時代はその後大体3世紀後半頃までの時代です。 文化的には、それぞれの時代の語源にもなっている土器の特徴の違いが挙げられます。低温で焼かれた厚手の縄文土器と高温で焼かれた薄手の弥生土器の差です。他には、縄文時代には水稲耕作が未発達なのに対して、弥生時代には水稲耕作が重要な社会基盤になっている点も違いとして挙げられます。大陸から金属器などの文化が大量に伝えられたのも弥生時代です。 また、縄文時代にはアニミズムに基づく自然中心の生活で、身分差が無かったのに対して、弥生時代になると、食糧生産の進展と共に身分の格差が生まれ、後の古墳につながる支石墓(しせきぼ)や墳丘を用いた墓が出てくることになります。 弥生時代には各地に「クニ」が存在し、その間での戦争が耐えない時代でもありました。日本列島が最も争いに満ちていた時代といえるかもしれません。 もちろん、違いはこのほかにもありますが、大体大雑把にはこんなところです。ただ、これはどの時代についても言えることですが、各時代の間はスパッと分かれるものではなく、当然過渡期の文化が存在するということを忘れてはいけません。 かつては「縄文=非定住・狩猟採集」「弥生=定住・農耕」と単純に考えられてもいましたが、青森の三内丸山遺跡や佐賀の菜畑遺跡などの発掘により、縄文時代にも定住生活や水稲耕作が存在していたことが明らかになったように、今では両者にはかなり共通する面があることも分かっています。土器の違いにしても、専門家でも区別できないものもあるといいます。弥生時代の始まりの時期についても、最近ではどんどん古くなっています。 時代と時代の間の違いに注目し、社会の発展の段階を見ることも大事ですが、それらがどのように変化していったのかを、共通する部分から見ていくことも大事だと思います。

orebonjin
質問者

お礼

わかりやすい回答ありがとうございました