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【縄文時代や弥生時代のマグロ釣り】はどうしていたの
【縄文時代や弥生時代のマグロ釣り】はどうしていたのでしょう? 大昔のマグロ漁は浅瀬にまで鮪は来ていたようなので小型の手漕ぐボートでもマグロが釣れたようですが、釣り針は動物の骨でしたが肝心の何十m、何百mの釣り糸はどうしていたのですか?
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>釣り針は動物の骨でしたが肝心の何十m、何百mの釣り糸はどうしていたのですか? 確かに、遺跡から見つかるのは「骨で作った釣り針」だけですよね。 当然、釣り針だけでは釣りは出来ません。 とすれば、釣り糸は「自然に朽ちた」と考えるのが一般的。 じゃ、糸は何から作ったのか? 遺跡からは、麻など植物繊維が出土しています。 推測ですが、クワ・藤などの表皮の下にある甘皮の部分やイラクサ類の表皮の繊維を用いて糸を紡いだのでしよう。 麻で編んだ繊維は、部分的に出土していますよね。 縄文人も、案外辛抱強く糸を紡いでいたのかも知れまません。 雷下遺跡(7500年前)では、全長7.2メートル・幅50センチの丸太舟が見つかりました。 もしかすると、沿岸でなく沖まで釣りに出かけていたかもね?
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- 4017B
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自分が知る限り日本国内での新石器時代(縄文時代)の遺跡から「釣り糸」が発見された事例はありません。なので正確を期すのであれば「分からない」というのが正解となりますが…釣り針の方はそれ以前の時代の遺跡などからも数多く発見されていますので、いわゆる糸の先に釣り針を括り付けた釣具を用いた漁が行われていた事は確かであろうと推測されます。 しかしながら国内の縄文時代の遺跡から1例だけ「網」は出土しており、その材料を調べたところ大麻の繊維を撚り編んで糸を紡ぎ網を作っていた事が分かっています。この事から恐らくは「釣り糸」も同様の材料と手法で作られていたのではないかと推測されます。 - "船ヶ谷遺跡の遺物": https://www.i-manabi.jp/system/regionals/regionals/ecode:2/61/view/7614 また教科書などで有名な「縄文式土器」の表面を様々に彩る "紋様" の中には、焼く前の土器の粘土表面に「麻縄」を押し付け形作ったモノが多数発見されています。土器の中にその際に僅かにくっ着いて残った、植物繊維なども発見されていますので。その当時には既に麻などの植物の繊維を取り出して糸を紡ぎ、それを縄状にする技術が確立していたと思われます。
- agehage
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現在でもカツオの一本釣りは釣り糸が3メートルもありませんので、なんとかなったのではないでしょうか
お礼
ありがとうございます