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ベルクソン
ベルクソンは直観を内的直観と外的直観に分けたようですが、この二つにはどのような違いがありますでしょうか?
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以下の回答は、澤瀉久敬の『アンリ・ベルクソン』(中公文庫)に拠っています。 わたしはここで、わたしなりに理解したおおざっぱな論理の筋道を書きますが、どうか質問者さんご自身でお読みください。 まず、「内的直観」に関しては、ここで回答しています。 http://oshiete1.goo.ne.jp/qa3701178.html けれども、「内から観る」のではなく、「外から観る」という直観もあるのだと後期ベルクソンはいいます。この外的直観(ヴィジョン・ド・レスプリ)をベルクソンは「道徳政治学学士院への報告書」でこう言っている(『アンリ・ベルクソン』からの孫引きです)。 「ヴィジョン・ド・レスプリとは現実的個別的な具体的事実についての直観の領域を離れることなくして、感覚的直観の下に知的直観を探ることである」(p.146) さらにこの部分を説明して 「それは vision mentale の力強い力によって事物の物質的外皮を貫いて、その物質性が展開し顕現しているところの、肉眼では見えない定式を読みにゆくことである。そうすればそこにすべての存在を相互に結びつける統一、純粋な物質から植物へ、動物から人間へと進み、集中に集中を重ねて、自己自身を考えることによってありとあらゆるものを考える神秘的思惟に我々が到着するまで、自分を自分自身の実体にまで集中するのを我々がみる統一、があらわれるだろう」 澤瀉はふたつの面から、このヴィジョン・ド・レスプリを解釈していきます。 ・物質を通してそれを可能にする動者をとらえるということ ・個体をよくとらえることによって普遍を見るということ まず一点目。モデルの個性を表現しようとする画家が、肉眼では見えない動きを、モデルの向こうにさぐっていくことを考えてみればいい。 「要するにベルクソンは物質の奥には物質を可能にする動きがあり、その動きをとらえるのは肉眼ではなく心眼で、その心眼のはたらきが直観(外的直観)だとするのである」(p.147) 二点目。 「すべての存在は個性をもっている。他のものには置き換え得ないもの、独自なものをもっている。その独自性を感得させるのが直観である。なお、その独自性をも分析的に――ということは他の多くのものと共通なものの組合わせとして、ということであるが――理解しようとする知性に対して、本来他のものによってはとらえられないもの(だから独自性なのである)を、そのもの自体として共感させるのが直観である」(p.148-149) 以上をまとめると、意識をとらえることが「内的直観」であるのに対し、自分より外にあるものの意識を認識することが「外的直観」であるといえるでしょう。 以上、なんらかのかたちでご考察の助けになれば幸いです。
お礼
ghostbusterさん、ご親切に回答いただきありがとうございます。 いつも御手を煩わせますが、たいへん参考になります。 参考運見は購入しようと考えていたのですがつい横着してしまいました。 本当にどうもありがとうございました。 又よろしくお願いいたします。