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旅順攻防戦とヴェルダン攻防の死傷者数差
時代的にも近く(もちろん軍事的発展期であるということはありますが、10年ほどの差で)戦場の広さとしてもあまり違わない2つの攻防戦における死傷者の数が一桁違います(日露7万ほどヴェルダン80万ほどと思われます)この圧倒的な差はどういうところから来ると考えたらいいのでしょうか?
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不遜な言い方をお許し頂くなら「旅順ではその程度の人的損害しか許容できず、ヴェルダンはその程度の人的損害までは許容できたからそうなった」という事になると思います。 1.旅順は日本軍がロシア軍を要塞に押し込めて戦闘を行いました。他方面のロシア軍は(当初の意図はどうあれ)これを救援することをせず、自国方面に向けて戦線を後退させていきます。結果、旅順のロシア軍は手持ちの兵力で戦わざるを得ず負傷者を後送する事も出来ません。負傷者も飯を食いますし、旅順のさまざまなリソースは減る一方です。旅順要塞のロシア軍(陸海合わせて5万3千程度)を全滅させると仮定し、日本軍の損害を2.4倍(旅順攻略戦における日露の戦死傷者数6万vs2万5千の比に基づく)と仮定しても概ね13万。合わせても18万強で旅順攻略戦は終了です。 2.ヴェルダンではどちらの軍も包囲されておらず、援軍や物資を(旅順に比べれば)容易に送る事が出来ます。また、他回答者さんのコメントにもあるようにドイツ側の意図として「敵兵員の消耗を強いる」ことが挙げられフランス側の意図としては「面子にかけてもヴェルダンは渡さない(これは仏政治家の面子。当初は仏軍としてはヴェルダンを放棄し戦線を後退させることを目論んでいた)」ということでしたのであれだけのリソースを投入し結果としてあれだけの損害を被ったということになります。 新兵器や新戦術がより少ないリソースで従来と同等の効果を上げたり、戦闘の終結までにかかる時間を短くする事はあっても紛争当事国の戦闘目的が変わらない限り人的被害を少なくする事はできない事だと思いますが・・・如何でしょうか? 以下余談 この質問については実は私もA No.5さんと同じ感想を抱いてました。 当回答はその一方についての「私論」として記述したつもりです。 参考資料:PHP文庫 別宮暖朗著「旅順攻防戦の真実」
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- tande
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兵器の進歩の差と兵器の進歩に対して戦術が付いていけなかった結果ということ、を聞きたいのでしょうか? それとも単に、参加兵力が旅順戦とヴェルダン戦じゃ違んだしだから戦闘の規模も違うだろうよ、ってことで良いのでしょうか?
お礼
規模の違いが大きな要因ですね。
ロシアにとって、旅順は、しょせん極東の一戦略拠点に過ぎません。中国・朝鮮における権益や貴重な不凍港を守る必要はあったにせよ、その場で無理に死守する必要性まではありませんでした。たとえ一時的に失ったとしても、日本の息切れを待てば、いつでも奪還は可能ですからね。 一方フランスにとってのヴェルダンは本土であり、首都の北東230kmに位置する重要な防衛拠点です。ここを敵に奪われることは、単なる拠点の喪失にとどまらず、軍の士気や国民の戦意に多大な影響を与えます。戦略的にはもちろん、政治的な意味においても、いかなる犠牲を払ってでも守る必要があったと言えます。だからこそ、ドイツ軍も目標をヴェルダンに定めたのです。
お礼
ヴェルダンは、政治的に意味が大きかったんでしょう。戦争継続には国民総意が必要です。その象徴をなんとしても守り抜かなくてはならないという、準戦闘的な糸とは離れた必要性のいい例ではないでしょうか。
- Yelm
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決定的な違いはヴェルダン戦における戦略的意図です。 旅順攻防戦は単なる要塞攻略戦に過ぎません。 しかしヴェルダン戦におけるドイツ軍の本当の目的は要塞攻略ではなく「フランス軍に消耗戦を挑み、犠牲を強要する」事にありました。 言わばヴェルダンそのものは餌であり、そこにフランス軍を誘い込み、大量の損害を与えることがドイツ軍参謀総長ファルケンハインの意図だったのです。 しかしながら「ただ犠牲を出すためだけに戦闘しろ」と命じるわけにもいかず、ファルケンハインはその真意をぼかしていたため、要塞攻略戦だと「誤解」されたわけです。 結果的には膨大な犠牲を出しフランス軍を消耗させる目的は一応果たしましたが、やはりドイツ軍も同様に消耗し、結局のところ割に合わない結果となってしまいます。
お礼
要塞を落とせなくても、多大な犠牲を相手に強いればいいという目的は大きかったんでしょう。私は一応の成功例だと感じます。
- kantansi
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旅順攻防戦は4ケ月半ほどで終結したのに対し、ヴェルダンは終結まで10ケ月近く掛ったことも死傷者の数が多い要因でしょう。 また、旅順では、日露双方の主要な武器は機関銃でしたが、ヴェルダンノ場合、独軍は火炎放射機やホスゲンなどの毒ガスを使って仏軍の塹壕を攻めたことも仏軍の犠牲者を多くした理由だと思います。
お礼
期間は確かに長いです。兵器もより多様性を持ちました。
- river1
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違いは兵器の進歩です。 日露戦争では無かった兵器です。 口径の様々な機関銃、毒ガス、戦車、航空機(爆撃機)、大砲の口径の大型化、迫撃砲、などの兵器が使われたためです。 ご参考まで
お礼
兵器は進歩しましたね。それによってより殺傷力が増した面もあるんでしょう。
お礼
包囲されていない、いくらでも補充が利くという点ですね。要塞戦といっても、包囲されているか、後方が開いているか、全く意味が違います。なにか、双方とも中毒のようにやめられなくなったという状況なのでしょうかね。