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国立大入試の変遷
70年代までの1期、2期校制度から今のセンター試験→定員前期約80%後期20%の2回実施の間の80年代波乱の時代があったと聞きます。 ご存じの方教えて下さい。また、数学は数1A数2B数3Cではなく、代数、幾何・・・等であったと父に聞きます。詳しく教えて下さい。
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試験制度についてお答えします。 いわゆる「共通一次」から「AB日程」までのことをさしているわけですね。 大学紛争後に、難問奇問の各大学の入学試験問題をなんとかしようという気運と、二期校で優秀な学生がコンプレックスを持って学生生活を送り、学生運動、過激派などに走ったことの反省から、国大協が抜本的な入試改革を行うことになり、全国一斉の共通一次試験がはじまりました。 ところが、これによりそれまで漠然としていた全国の国公立大学の入学者の学力レベルが、たったひとつの試験の自己採点点数で完璧に測定することができるようになり、あわせて、コンプレックスの原因だった一期・二期の期別を廃止し3月4日、5日に試験日程が統一されたため、東大を頂点とした偏差値ピラミッドが一気にできあがりました。 とくに地方の国立大学では入学者のレベルが大幅に低下しました。小樽商大、福島大、滋賀大、香川大、九州工大などでは一部の学部が昔なみの質の学生を確保するために募集定員の何割かを別に留保して国立大の合否発表後に再度二次募集を行っていましたが、これも五教科七科目(社会、理科各2科目)の共通一次の点数で合否判定しましたので、実質的には一回勝負に近く、「一次が万事」という言葉もハヤリました。 ちょうどこの頃国立大学のキャンパス移転や戦前の木造校舎の改築があつたため、授業料がそれまで私立と10対1くらいの格差から2対1くらいまで受益者負担増が行われましたので、こちらの面での国立大の優位性も小さくなり、早慶以外の私立と中堅国立の地位が接近、逆転するようになったのもこの頃です。 共通一次の弊害を改めるため、センター試験ではAB日程と全国の国公立大を東と西に分けて、複数受験機会が確保できるように改めましたが、一期・二期時代と違い、A日程の合否判明前にB日程を受験するシステムにしたため、東大、京大両校に合格した学生がほとんど東大に入学するという当たり前の事態がおきました。入学辞退者を大量の補欠で埋める大混乱により京都大がその後入試日程を東大とあわせて、そのかわりに「受験機会の複数化維持」のため、募集定員の何割かを後期に残す今のやり方がはじまりました。 これが全国に波及して、実際は前期勝負という今の入試制度が完成しています。
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- tatsumi01
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約50年前ですが、一期校、二期校の時代です。 有名大学はほとんど一期校です。一期で東大を受けると二期は横浜国大というのが定番で、したがって横浜国大に入学する学生のレベルは結構高かったんです。試験当日の調子や僅かの差で東大に落ちた学生が入ってくるのですから。その他の二期校も似た感じで、現在でも「地方国大の方が私立より上」という意識を持つ大人が多いのはそんな歴史もあるのでしょう。 私の当時の数学は、解析I、解析II、幾何でした。解析IIは微積分と確率統計でしたが、東大では確率統計は出ないという神話があって勉強してない受験生が多かったのですが、私の年度に始めて出ました。準備してたもん。イッヒッヒ。 また、東大は文I、文II、理I、理IIの4科で、他に医学部衛生看護学科(女子のみ)がありました。文Iは現在の文I+文IIで、法学部と経済学部に進みましたが、法学部人気が高くて経済学部に進学する学生の士気が落ちるので分割しました。医学部は理IIから進学しましたが、医学部に進むには3年進級時に入学試験がありました。入試に落ちると、理学部や農学部に進むことになるのですが、どうしても医学部に行きたい連中は理IIで留年して学内浪人で長年頑張ってしまうのです。結局、理IIIを新設しました。 センター試験は、最初大学を前期・後期に分けたと思います。京大が前期、東大が後期でした。前期に京大に合格したのを蹴って後期の東大に合格した連中の写真が週刊誌に載ったと思います。しかし、一般的には前期に京大に合格するとほとんどが後期の東大を棄てるので、東大が優秀な受験生に逃げられると危機感を抱いて前期・後期の2回試験を実施し、その後前期の定員を段々増やし現在に至っています。
お礼
>センター試験は、最初大学を前期・後期に分けたと思います。京大が前期、東大が後期でした。 このころを知りたいのです。 前期の大学、後期の大学名知ってる方、お願いします。
私の受験したときは、私立大学は早目に試験が終わり、国公立大学は一期校、二期校という区別で、東大など一部の国立大学は足きり試験がありました。 当方文系で受けましたけど、一期校は旧帝大(京大、名大)やこの近辺ですと、三重大学、静岡大学、阪大に名古屋市立大学、東京都立大学などがあり、国語(現国、古文漢文)、数学(数1、2B)、英語、社会(2科目)、理科(2科目)の7教科、二期校は岐阜大、滋賀大、愛知教育、信州大などがあり、5教科(理科社会は選択で各1教科)でした。 通常は、私立を受け、一期校、二期校という順番で受験していきました。 一度だけ、学部の認可の関係で、山形大学が二期校の後に試験を実施して、俗に三期校と話題になったこともあります。 この後は「共通一次テスト」というものが導入され、我々の頃の東大のように、足きりに使われた記憶です。
補足
そこまでは知っているんですよぉ。 共通一次テスト時代を知りたいのですが
お礼
ズバリのご回答ありがとうございました。 一期二期時代→?→現在がよく分かりました。 九州からですが、貴見のとおり、名門長崎大経済、九州工大が今でもその影響引きずっているような期が居ます。