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旅順戦
重砲支援の元血みどろの203高地奪い合いしてるうちに相手が消耗して決着がついた形ですが、あれは囲んでひたすら重砲打ちまくるだけだとやっぱバルチック艦隊襲来までに落ちなかったのでしょうか? (現実的にはもう少し早く落とさないと困りますが・・・)
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- pri_tama
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>囲んでひたすら重砲打ちまくるだけだとやっぱバルチック艦隊襲来までに落ちなかったのでしょうか? ロシア軍は、末期(11月以降)には壊血病が蔓延(患者が2万人以上)していますので、力押ししなくてもいつかは陥落はしていたと思います。 ただ、後世から歴史を語る上で重要な点が旅順攻防戦を語る上で1点有ります。 それは、ロシアが欧米にて戦時国債を発行する際に、旅順要塞は日本軍の攻撃では絶対に陥落しないと豪語していたにも拘らず、日本軍の1個軍の攻撃で陥落してしまった事で、日本軍の精強さが証明された事と、ロシアの信用が失墜した事です。 この事が、如実に分かるのは旅順陥落以前は殆ど売れていなかった日本の国債が旅順陥落以後は飛ぶ様に売れた事(なんせ陥落前に発行した国債の利息負担を軽減化する為の借換債ですら売れた。)です。 (逆に言うとロシアの国債が売れなくなった…。) 旅順陥落以降の国債発行の成功が無ければ、奉天決戦(満州を北上させる費用も必要)や日本海海戦(事前に連合艦隊の艦船を修理する費用が必要)も史実どおり実行できず、日本の勝利は有り得ませんでした。 国債発行失敗は、たとえば奉天決戦後のロシアが兵力だけは日本軍に倍するほど集めながらも、南下作戦を取る事が出来ない事からも分かるように軍の作戦実施可否に直結します。
- eroero4649
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>あれは囲んでひたすら重砲打ちまくるだけだと 日露戦争は第一次世界大戦のプレ戦争ともいうべき戦争でした。ヨーロッパから遠い極東の戦争だったのでその戦訓が活かされることはありませんでしたが、日露戦争で判明して第一次世界大戦で証明されたのは「周到に要塞化されて機関銃で武装した陣地を突破することは不可能」ということだったのです。 ごく一部の観戦武官が「機関銃って防御に使うと無敵」って気づいたのですが、それは第一次世界大戦が実際に始まるまでほとんど誰も耳を傾けませんでした。 司馬遼太郎先生のせいで乃木将軍は「ヘボ将軍」というイメージが日本では強いですが、欧米では乃木将軍は名将扱いです。特に日露戦争当時のロシア軍、とりわけクロパトキン将軍は第三軍を「日本軍最強部隊」と認識していました。ロシア軍は旅順要塞は絶対に陥落しないという自信を持っていたのです。その旅順要塞を陥落させたので、ロシア軍は第三軍こそ最強と認識したのです。 旅順要塞が陥落に至ったのは、最終的には塹壕をコツコツ掘って肉薄することができるようになったからです。 第一次世界大戦では、時に何日もかけるような攻撃前の準備砲撃を行いましたが全く効果はなく、イギリス軍もフランス軍もドイツ軍も攻撃する度に眩暈がするような大損害を出しました。 また旅順艦隊を事実上壊滅させるか旅順から出港できないようにしないと、日本海軍はバルチック艦隊との決戦用に戦力を分割しなければならなかったですから非常に苦戦したでしょう。 実際、旅順封鎖のためにほとんどの戦力を投じなければならなかったため、ウラジオストック艦隊による通商破壊戦を止めることができなくて大変苦戦しました。
お礼
ご回答ありがとうございました。
お礼
なるほど、日本軍の北上が遅れるどころかそれが不可能になりロシア軍が南下するシナリオさえありえるわけですね。 血で切り開いたのが戦術拠点や制海権よりなにより戦費の調達、近代戦らしい逸話ですね。 ご回答ありがとうございました。