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妻や私は父や母より子育て熱心に思えますが時代の差?
私が乳児期から青年期まで家庭で受けてきた教育と 現在、妻や私が行っている家庭教育にはけっこう大きな差があるように感じます。 私は親からろくにしつけを受けた覚えはありませんが、妻や私は基本的な礼儀作法については教えています。 (幼児なので挨拶とか、歯磨き習慣とか基本的なものですが) また、我が子は年少と年長ですが、二人ともひらがなは読めます。上の子はカタカナも読めますし、幼児向け絵本ならある程度すらすら読めます。ひらがなもかけますし、数字もかけます。1桁の足し算は出来るようになってきました。 私は親から教えてもらった覚えはありませんで、幼稚園時代~小学1年生までひらがなが読めずに大変苦労しました。親が勉強している姿を見たこともないし、勉強しているとも聞いたことがなかったので、手本を見せてもらった覚えもありません。(そろばんや習字には通わせてもらいましたが、小さな子には親が直接教えることも大切だと思っています。) 情操教育になっているかどうかはわかりませんが、児童館やら公園やら何やら色々なところへ子供を連れて行ったり、絵の具遊びやねんど遊びをさせたり、工作遊びをさせたりしています。 休日は出来る限り子供のために時間を割いています。 また、子供同士が喧嘩をしたり、わがままを言ったりしたら、どうしてダメなのかや、喧嘩やわがままを抑えるとどういう良いことがあるのかなど、一生懸命説明しているつもりです。 私が子供のときの休日、ほとんど毎週親はパチンコなどに出かけておりませんでした。上記の様なことをしてもらったのは3~4年に1回くらいな気がします。 また、兄の暴力や周囲の上級生の暴力に対する説明などもなく、助けを求めてもなかなか助けてくれることは少なかったように感じます。 また、親から私への愛情表現もとても少なかったように感じます。 (ちなみに、私は減点式評価が嫌いなので、親が育児放棄せずに、私が成人するまで育ててくれたことには感謝しているつもりです。) この様な子育て熱心の度合いに差が出ているのは時代のせいでしょうか? (世間的・世代的・環境的に発展しているので、多くの家庭でそういう差が出ているもんなんでしょうか?)
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- ruck
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各家庭、親によるでしょう。 自分は小学校しか出ていないから、せめて子供には教育をと言う親もいれば、 大学なんて行かなくてもいいという親もいます。 アメリカのある調査によれば、移民の子の方が成績が良かったそうです。 移民の親の方が、教育の重要性を身に染みてわかっているため、 多くの時間を子供のために費やしたからだそうです。 ですからしつけや教育を時代のせいにしたり、言い訳にするのは間違っていると思います。 少なくともパチンコに行く時間とお金があったら、私なら子供のために使います。 お金がなくても、子供と楽しめる方法はいっぱいあります。 今あなたはそれを実践なさっているようですので、 親御さんがよき反面教師になったのでしょうね。
- fujic-1990
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時代の差と言えば、時代の差。世相の差と言えば、世相の差です。 質問者さんのご両親の時代よりももっと、前の世代というか時代を比べればもっと、子育て方法の違いが明確になります。 例えば、明治時代。 どの町内でも「怖い」じいさま、ばあさまがいました。例えばキチンと挨拶しないと、親を敬わないと、・・・ と、ぶん殴られたりしました。逆に、親が仕事で帰宅が遅れた時などは飯を食わしてくれたりして。(NHKのごちそうさんでも、ごちそうさんと呼ばれた主人公に子供達がおやつ欲しさに群がっていました) また、どこでも親分肌の悪ガキがいて、いいことも悪いことも教えてくれ、また愚図は愚図なりに守ってもくれました。また村によっては青年団のような制度があって、収入のなくなった後家さん相手の夜這いの仕方まで教えてくれました。 さらに家を出て借家すれば、「親も同然」と言われた大家さんが、店子の生活の仕方から嫁・婿探しまで、良く言えば教育的指導、悪く言えば干渉しました。 どうにも手に負えないような子は、清水の次郎長みたいなのが引き受けたのです。「堅気衆に迷惑をかけちゃあならねえ」みたいな教育をして、半端物の内々で決着をつけた。 簡単に言えば、親は産みっぱなしでよく、「親はなくても子は育つ」という格言通りだったのです。 ところが時代が下るにしたがって日本人、日本社会は、プライバシーだなんだと小理屈をつけては、糞味噌一緒に上記のような人々・制度を排除していったのです。今は、「皆無」「絶滅」状態でしょう。 するとどうなると思います? そーなんです。親だけが子を守り、なんでもかんでも親が教えないと生きていけないことになる。親が教育熱心になるのは当然のこと。 今はそういう時代です。これは歴史の必然ですね。質問者さんの関係者だけがそうだということではありません。 時代のせいと言えば、時代のせい。世相のせい、と言えば世相のせい。社会制度のせい、と言えば社会制度のせい。 どう言ってもいいですが、日本人が選択してきた結果です。
お礼
>「親はなくても子は育つ」 ということだったのですね。 私は昭和50年代生まれなので、ちょうどその過渡期に生まれてしまったのかもしれないですね。 親と隣近所の人々はいがみ合っていた(というかうちの親が隣近所の人を嫌いだっただけかもしれませんが。)ので、親に放置され隣のおばちゃんに面倒を見てもらうと親から怒られるみたいな環境で育ちましたので、ちょっと損した気分です。 しかし、「悪い体験」にこそ「大きな教訓」が隠れているものですので、成長するためのタネを持っていると捉えるようにします。 (なので、私の親の言うことは概ね正しいのかということと、一般的にどうなのかを理解するために、この質問をしています。) とても参考になりました。 ありがとうございます。
- tanuki4u
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http://www.ipss.go.jp/ps-doukou/j/doukou14/chapter2.html 日本国の平均的な趨勢としては 出生子ども数2人未満の夫婦が増加 にあるように、結婚維持期間15年~19年の夫婦において、 二人 というのは変わらない 三人以上が減って一人っ子が増えている このことから、子供一人あたりの親の数が増えており、このことが熱心さにつながると思われる
お礼
高寿命になったことと、少子化のため 祖父祖母父母から少数の子供へ教育を施されるわけですね。 昔は母1人対4人の子供みたいな関係だったのが、 今は祖父母6人対1人の子供みたいな関係になっているので、 家庭での教育が濃くなっているのかもしれないですね。 他の回答者様が言われることもあわせて考えると、 昔は 母と地域の人々多数 対 子供 だったのが 祖父母多数 対 子供 に変化したのだともいえますね。 ありがとうございます。
- alphaXXX
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時代の差よりは個々の家庭の差でしょう。 俗に言う教育ママは昭和50年代以前から存在していましたし、パチンコを一切しない夫婦もいます。 反対に今でも放任な家庭もあります。
お礼
親は自分の手抜かりを、時代のせいに責任転嫁してるんじゃないかなぁと疑いつつも、昭和時代は物質的に貧しかったので親の言うことは本当なのかなぁと、よく分からないです。 親の言い分としては、教育ママなんて金持ちの家じゃないと出来なかったと言っています。 ありがとうございます。
- chie65536(@chie65535)
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追記。 なお、この「AとBのループ」は、兄弟間、姉妹間でも発生します。 第一子で子育てに失敗して、第二子で方針を変える、と言うパターンが発生するのです。
お礼
AにしてもBにしても、子供の将来を真剣に考えて、ベストと思われる方法で向き合っているなら素晴らしいことと思います。 我が親は、1.仕事、2.趣味(パチンコ等)、3.子供がという優先順位がベースだったように感じます。 怪我や急病などのときは最優先にしてもらいましたが、通常時は思慮浅いし、優先順位低いなぁと感じていました。 ときどき実家の親と子育ての話をしますが、昭和時代(50年代頃)は子供に手をかけないのが当たり前だったといっています。 また親いわく、今の時代は子供中心の生活なんていうのが当たり前らしいが、昔は仕事中心の生き方が当たり前だった。子供の教育に熱心になっているのは余程ゆとりのある家庭だけだったと言っています。 私はそうなのかなぁと、少し疑わしくも思いますが、昭和(50年代頃)はまだ物質的豊かさは不十分であり、労働時間も長かったことと思うので、日本全体がそうだったのかもしれないなぁと思います。 ありがとうございます。
- chie65536(@chie65535)
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>この様な子育て熱心の度合いに差が出ているのは時代のせいでしょうか? 「時代の差」ではなく「世代の差」です。 以下のA、Bのような「世代格差」が起きるのです。 A.親に奔放に育てられた子は、両親の失敗作である自分自身をかんがみ「自分に子供が出来たら、こうは育てたくない」と思って、熱心に子育てする。 B.親に熱心に育てられた子は、両親の失敗作である自分自身をかんがみ「自分に子供が出来たら、こうは育てたくない」と思って、奔放に子育てする。 こうなると、Aの子はB、Bの子はA、と言うループが繰り返して発生します。
お礼
夫婦で話し合ったことはありませんが、妻や私は将来的には自立してもらうために、子供の裁量でやれることはなるべく子供にやらせるようにしていますし、様々なことを経験したほうが良いので過保護にならないようにしているつもりです。 一方、私の子供時代は放置教育のクセに、世間体などに影響がおよびそうな場面や後始末が大変そうな場面では過保護になったり、子供の成長というよりは利便性の部分において過保護になっていました。 今にして思えば、時として子供の要求を断ることも教育だと思います。(単に断るだけでなくて、教え諭すような努力も必要と思います。) 親が短期的に楽な方楽な方へ流れていたように思います。 ですので、私の子供時代より、我が子の方が伸び伸びと自由に育っているのではないかなぁと思う次第です。 これは私の主観なので、もしからしたら子供自身は違う様に感じているかもしれませんが。 質問には書きましたが、我が親を徹底的に批判したいわけではありません。 「世代格差」なのでしょうね。 ありがとうございます。
お礼
>親御さんがよき反面教師になったのでしょうね。 親が間違っていたのでははないかという気持ちはあります。 それと同等に、親を肯定したいという気持ちもあります。 もし、ここで私が親に責任転嫁してしまったら、親への依存体質へ逆戻りしてしまうからです。 ・親の教育は間違っていた ・うまく成長できなかったのは自分の責任 (親を信じないという選択肢もあったはず) ・子供には少しでもマシな教育を施す ・にしても子育て放棄しなかった親は合格である といった感じで考えるのが妥当ではないかと思います。 しかし、親の教育が間違っていたとすると、親への憎しみの気持ちが発生してしまいます。 私は小さな人間ですね。 ありがとうございます。