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江戸時代に悪代官が多かったですか?
時代劇で代官が出てくると、悪事を働いていることが多いです。 実際に悪代官は多かったのでしょうか? もし悪代官が多かったとすればその背景にあるのは何でしょうか? (劇では、有力商家と組んで不正を行うパターンが多いですが) また代官というのは全国で何人くらいいたのでしょうか? よろしくお願いします。
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代官、郡代というのは幕府直轄地を適当に分けて統治する役職で旗本より選抜された当時としてはエリートです。 特に悪事を働く必要もなく無事の勤めあげれば出世コースが約束された役職です。 従って悪事をはたらくより善政を敷く人の方が多い位です。 それに天領の年貢は各藩のそれより少なく優遇されていました。 しかし人間の欲望は限度がないので悪事を働く人も皆無ではありません。 おおくの場合農民一揆が起こるのでそれが契機となって発覚するのですが、代官がその標的になる事は稀で、多くは各藩の領地の場合の方が多かったのです。 ドラマでは各藩の場合は固有名詞が必要ですから普遍的な天領を題材にすることで逃げているのだと思います。
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制作者が、議員、知事、市長等の企業との癒着が珍しくない現在、江戸時代の代官もそうだろうと勝手に思ったから。
- yakyutuku
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実際には平安時代には悪代官(代官とは呼ばないけど)が多かったですが、江戸時代には多いとはいえないと思います。不正が横行した平安時代には監察制度が作られますが(本来は謀反監視)、これは国司(現在で言う県知事クラス)の監視が任務で、下級役人の管理は行いませんし、目も行き届きません。その後鎌倉時代から南北朝時代にかけて、武士と公家や武士勢力と調停勢力の二重支配が生まれます。この時代になると全国的な収税制度は機能しておらず、双方が勝手に取り合ったりしているので、最早なにが悪で何が善だかさえはっきりしていません。その後戦国時代になり大名の元に支配権が集中していくと、各大名が厳密に規則を定め、収税にまで管理していくようになります。この時代になると各国富国強兵にしのぎを削りますので、年貢の取立ては非常に厳しいですが、役人が中抜きなどしようものなら容赦なく処罰されますし、大名からこれでもかというほど年貢を求められますので中抜きする余裕さえ余りありません。その後江戸時代になると、監察制度が整備され、代官の庶政ぶりは厳しく監視されます。(時代劇では偉い役人が尋ねてきて代官が賄賂を差し出すと思います)これは違反を見逃したものもともに処罰されますので、現在の会計検査院と違い、非常に厳しいものと考えてよろしいかと思います。もちろん悪代官もいたでしょうが、代官が簡単にやりたい放題できる時代はもっと昔と考えたほうがよいと思います。
- tanuki4u
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- tanuki4u
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1:悪代官は多かったか? 多かったら、江戸幕府は速攻で潰れています。地方政治を少人数で(だいたい、10万石程度の天領を通常の大名の数分の一程度の人数でだったと記憶しております)差配しております。 2:有力商家と組んで不正 有力商家=総合商社 悪代官=政治家 という、比喩でドラマを作っておりますので、そのような構造になります。