浪人の数は無数というくらい多かったと思います。戦国期から関ヶ原の戦いまで、たくさんの大名・小名が潰れています。
朝鮮出兵は、浪人の失業対策(あるいは浪人を消費するため)だったという説もありましたし、大坂城に入って徳川軍と戦った武士は大半が浪人だったようですので、私としては、少なくても主持ちの武士と同じくらいの数の浪人がいたと確信しています。
「由緒正しい、先祖代々の浪人」という自嘲な台詞があるくらい、本人が「武士だ」と思えばずっと武士であり続けることができました。農民や町人になるわけではありません(なろうと思えばなれたはずですが)。
いま手元に資料がありません(どこかに片付けて、書棚に見あたりません)が、主持ちの武士・・・ 、旅人は人別に載らないということを書いた本を読んだ記憶があります。
また、浪人は、町人などと同様に江戸町奉行の管轄内です(お白州に浪人は引き出される)ので、浪人は人別帳に載ったのではないかと思います。
前述の通り、浪人の子は浪人、というか、「士」の階級です。
「傘張り浪人」などと言われて食うや食わずになったとしても、武士として矜持をもつべく教育されていたようですし、髷や利き腕などから武士の子と判ったものと思います。
可能性としては、武士の子だと知らせず亡くなるということもありえるでしょうが、その場合はどうしようもないですね。武士と町人は部族や肌の色が違うわけではありません。心構えや教育の問題ですので、教えてもらわなければ自分が思っているもの(町人、農民など)になってしまうでしょう。
まあ、たいがいは、育ての親や周囲が、「あなた様は世が世なら、長宗我部のおひい様なのでございます」とか教えるものだと思いますが。