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江戸時代の酒場
時代劇に登場する居酒屋は、現在の蕎麦屋にあるような木製のテーブルや腰掛が出てきますが、ああいうテーブルに腰掛けて食事をするというスタイルは、実際には大正時代のカフェという酒場が出来てからだそうですね。 また、酒樽に腰掛けてカウンターのような席の酒場も見たことがありますが、これも江戸時代には有り得ない光景だったようです。 江戸時代の実際の酒場は、ほとんどが今で言う座卓だったのでしょうか? また、こうした時代劇の誤りを指摘した本などがあれば教えて頂けると幸いです。宜しくお願いします。
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酒を飲むお店はいろいろありますけど、酒屋が店先で酒を飲ませる形、屋台の店、そして居酒屋は「煮売り屋」からの発展系と思います。 この煮売り酒屋ですけど、 http://www.cleanup.co.jp/life/edo/03.shtml や http://homepage3.nifty.com/shokubun/izakaya1.html を見ても、お盆の上の皿に料理を盛って畳に置いて食べていますから、座卓もなかったと思いますよ。
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- 24blackbirds
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講談社文庫から出ている「大江戸庶民いろいろ事情」(石川英輔)は、たくさんの江戸時代の本の挿絵をもとに当時の生活を考察した好著です。 石川氏にはほかにも江戸時代の江戸庶民生活を題材にした多数の著書がありますので、ご参考になさってください。
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回答ありがとうございます。 実は今回の疑問も、石川氏の「江戸のまかない」を読んで生まれた質問でした。 石川氏は元は町工場の技術屋さんで、理工系の技術屋の視点から観た江戸というアプローチは斬新で面白いと思いました。
NO.1さんのお話の後の時代のことになると思いますが、天明の頃から『縄暖簾』と称する居酒屋が現れました。『尻掛け酒屋』とも呼ばれたそうです。 下の土間には、『足つきの長い台』や長床几が置かれていて、客はそこに腰掛けて飲み食いするが、片足だけあぐらをかくことが多い。ここからこのような居酒屋を『矢大臣』ともいう。(以上は学研社『町屋と町人の暮らし』からの引用です。) さて、上の記事からでは背もたれなしのベンチへ腰を掛けたことには間違いがないと思います。問題は『足つきの長い台』がテーブルなのかベンチなのかがわかりません。 まあ、この本によれば、土間のベンチ状のものに腰を掛けて飲ませる店はあったようですね。
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回答ありがとうございます。 ご紹介に挙がった本もいずれ読んでみたいと思います。 実際の江戸時代って調べてみると時代劇とはずいぶんとギャップがあって面白いですね。
- phj
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茶屋にあるような、縁台はすでにありましたから、腰掛けるスタイルがまったく無かったというのは言い過ぎになるかと思います。 ただし、他の方がご指摘のように、卓(テーブル)はありませんでしたし、座る場合もほとんど板間だったはずです。 忠臣蔵は、江戸時代に実際にあった「元禄赤穂事件」が元になった物語ですが、お上が庶民に対して元禄赤穂事件が風説するのを嫌ったために、昔の時代の物語として、上演・上奏したものです。
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回答ありがとうございます。 そうですね。床机などもありましたから、腰掛けるスタイルがまったくなかったわけではないですよね。
- outerlimit
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江戸時代に 卓はありません 使われたのはお膳です 時代劇は、単に背景を昔にしただけと受け取るべきです 小道具やしぐさ・せりふ等は全て現代です 時代劇の時考証の誤りを指摘すれば、画面が変わるごとに数十になるでしょう 時代考証の誤りを指摘した文献は知りませんが 江戸時代の風俗等についての文献は多数出版されています 書店でご覧ください 参考までに 忠臣蔵も 元々は 時代を足利時代に設定した 当時の時代劇です
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回答ありがとうございます。 卓を囲んで食事というスタイルはだいぶ後になって出てきた習慣なんですね。以外でした。 武士階級なら、箱膳で食事というのはわかるのですが、長屋に住む一般庶民の食事スタイルはどうだったのでしょう?
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回答ありがとうございます。 なるほど、「煮酒屋」がなまって「居酒屋」ですか。 当時の酒場の絵には必ず犬が登場するのがなんだか微笑ましいですね。 もしも、江戸に行けるなら、こんなお店に行ってみたいです。 大変参考になりました。