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実際に居た悪代官

良く時代劇に悪代官が登場しますが、実際に居た悪代官と其の悪行に付いて教えて下さい。

質問者が選んだベストアンサー

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  • 6dou_rinne
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回答No.3

追加補足です。 悪代官はともかく、悪手代(代官所の下僚)はいたようで、代官として彼らに悪行をさせないように監視するのも重要な職務だったようです。 これらの手代というのは代官の部下ではありますが、代官によって任命されるその場限りの幕臣(代官がやめれば手代も職を失う)で農民等から登用され身分の保証がなかったために蓄財に励むというようなこともあったようです。 そのため小普請(役についていない)の御家人から手付という名前で代官の部下として働く役をつくり手代の監視役も兼ねさせましたが、この手付も職務内容は手代といっしょでした。

その他の回答 (6)

  • reny
  • ベストアンサー率32% (81/252)
回答No.7

江戸時代の代官は、特に幕府領の代官は「良吏」の見本のような人が多かったようです。 幕末になると猟官運動して賄賂を出さないとまともな職につけないという幕臣が多かったようですが、農民と直接接する地位だけに、治安を不安定にするような極端な悪政は出来ませんでしたが、付け届けや年行事による副収入はそれなりにありました。 おそらく悪代官のイメージは、平安・鎌倉期の「地頭」のイメージが時代をずれて反映されているものでしょう。 「泣く子と地頭には勝たれぬ」と言うことわざや「地頭は転んでもただでは起きぬ」と言われたくらい、任期中に取れるだけのものを略奪していきました。 戦国時代以降、関東の後北条氏や織田信長から「民政」と言うにふさわしい政策が出てきます。 これらの体現者が、代官といわれるテクノクラートでした。実力のある人が多かったようです。 そう言う意味では、幕府領以外の地域で、一揆が発生した藩の代官などを捜してみると悪代官が見つかるかもしれませんね。

noname#232437
質問者

補足

御教示有難うございました。

回答No.6

 昔読んだ本で大名家では数十人でしていた仕事を代官たちは数人でしなければならず、悪行より過労が心配されていた、とありました。  まじめな代官も多く、慕われていた人もいたそうですが、下大市村を支配していた代官、安東茂右衛門は典型的な悪代官で大阪奉行所に百姓が処罰を覚悟で訴えた訴状が今も残っています。

参考URL:
http://homepage3.nifty.com/j---u---n---e---/mametyousan.html
  • 10pph
  • ベストアンサー率19% (50/252)
回答No.5

悪代官かどうかは判りませんが、領民に対する態度が厳しいために小規模な一揆を起こされた代官はいるようです。 「暴れん坊将軍」シリーズでは、よく吉宗将軍の部下が不正を働いて、 「余の顔を見忘れたか?」なんて正義感ぶっていますが、任命した部下に毎週裏切られている将軍様は、「人を見る目がないなぁ」とか「情けない将軍」と、いつも思っていました。

参考URL:
http://www2.ttcn.ne.jp/~kazumatsu/sub229.htm
回答No.4

私の祖母の家は代官でしたが、悪いことをしているヒマがありません。また、旗本などが移動する時に宿泊したりしますので、不正はやってるヒマがないそうです。 ちなみに明治維新後、故郷に帰る旗本どもは皿やら何やらを万引きしていったそうです。

  • 6dou_rinne
  • ベストアンサー率25% (1361/5264)
回答No.2

江戸幕府の代官は地位も低く(お目見えでは最下級クラス)、権限もあまり無く、ちょつとしたことでも勘定所にうかがってからでないと処理できませんでした。 代官が自分の権限で決められるのは年貢の比率くらいでしたが、それも一応の率は決まっており、あとは天災などで生産量が落ちてしまったときにいくらまけるかくらいでした。 しかも代官ひとりで数万石の土地を支配しましたが部下は20~30人ほどで、しかも半数近くは江戸にいましたので実際には現地には10人足らずしかいませんでした。(関東地方の代官はすべて江戸におり現地には陣屋もなかった) そういうことで、支配民や近隣の大名からの付け届けはありましたが、権限が無いため多額の賄賂をもらうなんて事は無理で、代官になったばかりにかえって借金を作ったりしくじったりしたという例もあります。

  • phantom1
  • ベストアンサー率24% (184/748)
回答No.1

江戸時代の天領における代官は、権限と責任が非常に大きかった(大身の大名並)為、幕府側でも選抜の際、特に温厚篤実な人物を選りすぐって任命していたようで、言われておられるような悪代官なるものは存在しなかったようです。特に天領の行政は、周辺大名領に対して手本となるようにするのが、江戸時代全期間を通じて幕府の基本方針だったので、概ね仁政が貫かれていたそうです。 悪代官と言うのはTVドラマの中だけの存在と言えるでしょう。

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