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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:江戸の御代官所。)

江戸の御代官所とは何か

このQ&Aのポイント
  • 江戸の御代官所は、江戸近郊の幕府領の代官が業務に使用していた屋敷のことです。
  • 江戸時代初期には全国に80名ほどいた代官の数も、中・後期には40-50名に減少しました。
  • 代官は辻駕籠を利用することはありましたが、駕籠の数は代官の数よりも圧倒的に多かったです。

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  • Pinhole-09
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回答No.1

辻駕籠は庶民の駕籠屋が経営するもので、これはその許認可権に関するものです。 江戸御府内は、武家地のほかは、町奉行支配地、寺社奉行支配地、代官支配地が 混じっていました。 各支配地に代官所が置かれましたが、次第に旗本の代官は自分の屋敷で執務 するようになりました。 これは町奉行、寺社奉行、勘定奉行が物事を協議する三手掛りに対応するものです。 代官支配地は郊外の農地主体でしたが、発展に伴い深川方面のように町奉行支配地 に切替えられることがありました。 それでもまだ虫食いのように町に残っていました。寺社地も同様。 町方への割り当てがすくな目なのはそのせいでしょう。 郡代の赴任などの駕籠は大名並みの立派なもので、行列もすごいので記録に残って います。 江戸地の代官の見回りは馬ではないでしょうか、

kouki-koureisya
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 江戸中期(18世紀初め以降)、江戸府内に代官支配地があったのですね。 それなら、御代官所の駕籠の必要性もわかります。 開幕後、江戸は武蔵国豊島郡から分けられたので、江戸初期はともかく、中期には府内には代官支配地はないものと思っていました。

その他の回答 (1)

noname#224207
noname#224207
回答No.2

>江戸の御代官所で使用する辻駕籠を200以下にせよ、ということだと思いますが 今時の役所の公用車と勘違いされておられませんか。 辻駕籠というのは現代でいえば流しのタクシーです。 町人が使う駕籠です。 何で代官所がこんなものを抱え込む必要があったとお考えでしょうか。 武家は武家諸法度で身分に応じた乗り物が定められていました。 代官は少禄とは言え曲がりなりにも旗本です。 >焼印請申候 登録印です。 どこへ登録するとお考えですか。 登録させて数を制限する以上は、管轄する役所が必要です。 法制度というものはこのようなものではありませんか? 江戸時代は町奉行、勘定奉行、寺社奉行と管轄が分かれていました。 町方三百挺・・・町方は町奉行の管轄です。 寺社百挺・・・寺社は寺社奉行の管轄です。 御代官所弐百挺・・・代官と呼ばれる人は勘定奉行の支配下です。 町奉行の管轄地域は朱引きの内側です。 朱引きの外は代官支配地です。 江戸の街は一大消費地です。役所の役割分担なぞとは無関係に物資の供給や労働力の供給を受けていて広範囲に頻繁に人が往来していました。 当然駕籠を使う人もいたでしょう。 この駕籠の数を管轄していたのが、各々の奉行が支配の役所です。 各役所が許可する駕籠の数を定めていただけです。 現代のタクシーの台数制限制度と同じようなものです。 たいして意味がない規制でしたので享保年間には廃止されています。 参考 郷土誌かすがい 第63号|春日井市 www.city.kasugai.lg.jp/bunka/bunkazai/kyodoshikasugai/kyodos... 抜粋 江戸市中では辻駕籠が寛永8年(1631)600挺あったが町人が駕籠に乗ることは禁止であった。延宝3年(1675)辻駕籠は300挺に制限され武士と特別許可された60歳以上の老人だけが乗ることができた。元禄13年(1700)生類憐みの令の関係で「極老の者、病人、女、小児」は乗ってよいという緩和策が出されるとともに、極印し伝馬町助成の税を月々銀三分納めることになった。これに伴って駕籠は急増し翌年には3612挺になった。このため、町人が病気でもないのに駕籠に乗るなど濫用が目立つようになり、規制するようになった。元禄16年(1703)には課税が廃止され、正徳3年(1713)辻駕籠は再び600挺に制限され焼印登録制になった。しかし、いったん拡大した駕籠は町人や駕籠かきの規制反対が根強く、抑えることは難しい情勢が続いた。ついに、町奉行大岡越前守の裁量で享保11年(1726)制限令は撤廃され自由化された。 >江戸にある御代官所とは何ですか ご質問に、ご自身で「江戸近郊の幕府領の代官の多くは現地に住まず、江戸の屋敷を代官の業務に使用していたそうです」とお書きになられておられませんか。 史料の上っ面だけを読んで得た片言隻句に拘泥されずに、どのような背景に基づいて当時の人々は制度を定め運営していたのか、という視点をお持ちになられることをお薦めします。

kouki-koureisya
質問者

お礼

ご高説承りました。