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江戸時代の職業選択
江戸時代に限定した 質問です。 この時代、人々の職業は固定されたという印象があります。 実際はどうだったのでしょうか。 農民の子が、職人の弟子入りして職人になったり、商家で丁稚として働いたりするようなことはあったのでしょうか。 職人の子供は、商人になった可能性はありますか。 他の時代も気になるのですが、まずは、江戸時代限定でお尋ねします。
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日本での様々な権利は、個人ではなく家や土地にありました。 ある家を継承する権利は長男にありましたが、予備の次男三男以外はご自由にどうぞという感じですね。 百姓も、土地と納税はしっかり管理されましたが、次男や三男がどこに行ってもどうぞという感じでした。 同じ時代、おとなりの朝鮮では個人の管理が激しく、職業は完全に固定されていました。 奴隷階級が5割以上いたようですね。 財産の目録も、土地より先に奴隷を書いていたようです。 比較すればよくわかります。
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- Tacosan
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江戸時代の制度では, 農家は土地を分割して子供に相続することができませんでした. まあ自作じゃないと相続の意味もないわけですが, 規模が小さすぎてそれ以上分割できなくなっていたと指摘されています. つまり, 農家の次男以降は「家を継がないで」生きていくしかなかったということになります.
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後継ぎ以外は、しんどいですね。 回答ありがとうございます。
思ったよりも流動的で、俗に言う「士農工商」という言葉は、明治維新で使われた言葉で、江戸時代は無かったという学者もいます。 ただ、武士というのは一種の権利で、権利書があると考えるとどうなりますか。 売買もされており、越後小地谷の貧農の出の米山検校は旗本の男谷家の株を買って、息子を旗本にしたり、孫を勝家の養子にしたりして、ひ孫の海舟などは幕末の徳川家の総責任者に成りあがっています。 逆に、株は1個ですから、武家の息子も1人が継げば残りは養子の口を探すか、別の職業に就くか、ニートになるかしかありません。 長谷川平蔵宣雄などは、知行所の巣鴨村で農業をやっているうちに長谷川家の跡継ぎが亡くなり、お鉢が回ってきた、その為息子の鬼平も庶民の暮らしに通じているとか。 医者とか僧侶に転じた武士は多いですよ。 農民も漁業をやったり、鍛冶をやったり、転職も少なくないと思います。
お礼
後継ぎ以外は、他に道を求める必要がありますね。 回答ありがとうご材ます。
- buchi-dog
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小説「鬼平犯科帳」シリーズでは、主人公の400石どりの旗本・長谷川平蔵は、実母が巣鴨の名主の娘であるので、成人した後も母の実家とは親しく交際している設定です。武士と百姓の違いはあれ、「殿様」と呼ばれる旗本と、名主は対等に交際しているように描写されていました。これは、当時の常識に沿った設定です。 名主(庄屋)は、正規の武士と同格の存在ですので、庄屋の息子が武家に仕えるとなれば、足軽や中間ではなく、正規の武士として待遇されたわけです。
お礼
鬼平犯科帳は、全て読みました。 長谷川平蔵と実母の実家との交流が当時の常識に沿った設定とは知りませんでした。 勉強になりました。 回答ありがとうございました。
- buchi-dog
- ベストアンサー率42% (757/1772)
「農民の子が、職人の弟子入りして職人になったり、商家で丁稚として働いたりするようなことはあったのでしょうか。職人の子供は、商人になった可能性はありますか。」 いずれも可能性は十分あります。特に、長男でない次男以下の場合です。 さらに極端な例として、相模国の庄屋の次男が、その土地を知行地にしている旗本に仕えて、れっきとした武士になって江戸で活躍していたという事例もあります。下記の本に詳述されています。 江戸の訴訟 御宿村一件顛末 岩波新書 新赤版 470 http://www.7andy.jp/books/detail?accd=19851779 この本には、江戸時代のホンネとタテマエの乖離についても具体的に書いてあり、勉強になりますよ。
お礼
回答ありがとうございます。 ご教示くださった本は読んでみたいと思います。
- 6dou_rinne
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江戸時代は職業が固定されていたように感じますが以外に流動性がありました。 農民の子が丁稚奉公に出たり、職人に弟子入りすることもありましたし、商人と職人の間の交流は珍しくありません。 それどころか農民が武家奉公人(足軽や中間)になることもそれほど珍しいことではありませんでした。 また上層農民が武士の株を買って御家人になったりすることすらありました。
お礼
御家人などの株が売買されていたのは、知っていのですが、庶民の職業にも流動性があったののですね。 回答ありがとうございました。
お礼
権利が家や土地にあったというご教示、大変、勉強になりました。 正直、盲点でした。 回答ありがとうございました。