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利子の源泉とやら・・・

1.利子の源泉とは何か。 2.また利子にとって企業者利得、賃金との関係は何か。 3.商業信用とは何か 4.銀行による信用創造とはなにか。 5.利子、利子率、擬制(架空)資本価格の関係とは何か。 全くわかりません・・・・。

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回答No.2

1.利子について  資本制生産の下では、貨幣は、産業過程においては産業資本として、商業過程においては商業資本として機能する。これら機能資本は、一定の社会の一定の状況の下では、通常普通の使用によって、通常普通の利潤をあげうる。すなわち貨幣は、貨幣それ自身としての規定の他に、資本として用いられることにより平均利潤を生むという追加的使用価値をもつことになる。このような意味において貨幣は貸付取引の対象とされる。  資本制生産の下では、資本として機能することによって平均利潤を生むという貨幣のこの追加的使用価値が、一定期間の使用を限り、貸付取引においては、貸主と借主の間で取引される。その取引の価格が利子である。  このように利子は、資本という商品の価格、資本の価格として現象する。しかしそれは借主が行なった貨幣の機能資本としての運動に由来する。したがって利子は本来、利潤の一分割部分である。しかし利子率という量的規定が条件となって質的規定へと転化し、利子という所得範疇が利潤から分離して派生的に成立することになる。  G…G´ という利子付き資本が成立することで、現実の媒介過程は消え失せて、貨幣がそれ自身の力で定期的に利子という所得をもたらすかのように現れる。利子は元本である貨幣のにとっての果実であり、利子を生み出すということが資本それ自身の自然的属性であるかのように現れる。 2.利子と企業者利得  上記のように資本が商品化し、利潤の一部が利子に転化されると、産業資本家や商業資本化に帰属する残りの利潤部分は、企業者利得という質的形態を受け取る。資本所有と資本機能の分離・対立が、利潤を利子と企業者利得に分割する。  利子こそ資本としての資本に由来するものとして現れ、資本の社会関係が利子に形態化されるのであるから、企業者利得は必然的に、資本の社会関係から分離された一過程から生まれるものとして現れる(企業者利得は本来ならば、再生産過程での資本機能から生まれるはずなのだが)。  資本から分離されれば生産過程は労働過程一般である。だから、資本所有者から区別された産業資本家は、機能資本家としてではなく、資本から引き離された労働過程一般の担い手として現象する。利潤の一部が現実に労働監督者の賃金として分離されうるし、また、されているという事実は、企業者利得一般の監督賃金としての観念をさらに根拠づける。つまり企業者利得の一部は事実上、監督労働者の賃金として分離される。 【参考・引用文献】 『経済学辞典』1965年 岩波書店 大阪市立大学経済研究所 『資本論』 第三部第4篇第21~23章

  • ANASTASIAK
  • ベストアンサー率19% (658/3306)
回答No.1

給与所得の源泉徴収にはほとんど問題がありません。というのは、会社が源泉徴収額の決定に必要な経済状況に関する情報(家族の構成や所得など)を従業員に提出させ、年末には一年分の源泉徴収額の過不足を調整するからです(これを年末調整といいます)。ところが利子の源泉徴収は違います。源泉分離課税といって、預金者の経済状況はいっさい無視して一定の税率で一律に所得税を徴収するからです。もし自分で納税する方法であったなら、所得税を払う必要がなかった所得の少ない人(預金者)でも、利子の所得税は一律に課税されるのです。

maaa917
質問者

お礼

丁寧にありがとうございました★

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