額は本質ではないのでは。”資本主義”って、べつに金額増やすことが究極の目的じゃないですから。短期的(長くて半世紀ぐらい=働ける間)に、個人がお金を増やそうとするのとは別。それだって、お札や硬貨の収集家でもない限り、”そのお金で、モノやサービスや時間を買って、気持ちよくなる”のが目的ですから。
<以下一例>
印刷されたお金が変わらないといましょう。
計算上、信用創造で膨らむ”額”に限界はあります。
ただ、同じ額でも価値というのは変化します。(10年前なら、500万円したコンピューターが、10万円で買えるとか)
(1)技術進歩が起こります。
(2)”機能は同じでも価格が下がる”あるいは”価格が同じでも機能が上がる”モノによって、『生活は便利になります』。
(3)便利になって余った時間や進んだ機能で、”あたらしいサービス”ができます。『生活にゆとりや潤いが生まれます』。
(4)利便性やゆとりの追求には限界がありません。技術進歩が起こります。
こうした、技術進歩と効用の追求の関係が、価格と価値の関係を変化させてゆきます。
『効用』を充たすことこそ経済活動の本質です。
『効用』は、ひとりひとり異なります(幸せって何?)
(1)から(4)を計画的にうまくやれるのは、個々人の気持ちや将来まで見越すことができる神様(いれば)しかいないでしょう(つまり、できないってこと)。あと、独裁者ですか?
それだったら、ある程度のルールをつくって、みんなその中で好きに商売しようよ。好きなように消費しようよ。価値がない。価格に見合わない。お客さんがそう思えば、その商売は駄目になるし、お客さんがよいと思えば(お客さんの『効用』が上がる)、商売人も儲かる(商売人の『効用』が上がる)できるでしょう。だから、みんな頭使うよ。で、結果として、そこに住む人たちが平均的に望んでいる(1)や(2)は自然に達成されるよ(資本主義)。
不足しがち、地域で不均衡になりやすい、管理しないと拙い、というモノやサービスだけは公共機関(予めみんなで相談して決めるといこと)でやろう。ただ、民間企業なら、嫌なら付き合わないで済みますが、公共機関はそうはいきませんよね。で、公共サービスやその料金、酒・タバコ・ギャンブルなんか不公平感をもっている人は多いですね。
つまり、
経済は効用の充足体系である。
効用の充足=絶対額 ではない。
広くみんなの効用を充足するには、技術進歩を触発しやすい資本主義の方が都合がいい。
※現金の絶対量が変わらない場合でこれですから、変われば、ねっ。
※信用創造って、計算通りはにいかないですよ。そんなに世の中効率的ではないですから(昨今なんかとくにわかりやすい。クレジットクランチなんて言葉ありましたね)
うまくまとまってない気もしますが。
お礼
とても参考になる意見でした。ありがとうございます
補足
なるほど、お金を増やすことだけが真の目的ではないことは分かりました。 でも、銀行があり、利子があるわけですから、『効用』云々にかかわらず、お金は 増殖し続けなければならない「運命」ですよね。 だから、これ以上増やせなくなるっ!ていう限界がいつかやって来ると思うんです。