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戦国時代の軍陣について
最近各メディアでわが国の戦国時代を扱ったものが多く見られますが、その戦国時代の物語を見るとき、いつも不思議に感じていることがあります。 それは戦のシーンで、屋外に幔幕を張った軍陣というものが出てきますが、それの全貌が映されたところ、描かれたところを見たことがないということです。 戦の際、駐屯地の役割を果たす重要な軍陣だと思うのですが、扱われる際断片的な映像しかないのは、何かもったいない様に感じます。もっと細かにここはこうで、ここにはこういう機能を置いていて…と理解することができれば、武将達の様子や、もっと戦の臨場感を味わえると思うのです。 この「軍陣」の全体図や定石をご存知の方、それを確認できる映像や書物をご存知の方、教えていただけると助かります。 よろしくお願い致します。
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- komes
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追加のご質問におこたえします。 野戦の場合と長陣の場合では異なっていたとおもいますが、野戦の場合、配下の各武将も同様な陣がまえで配置された場所に陣所を構えていたとおもいます。 長陣の場合は多くは近在の寺などを利用していました。 城の付近に寺が多いのはこのためで部隊の駐屯地にもなり防御拠点にもなりました。 これらの部下の武将の構えた陣所の正確な呼称はしりません。 幕の張り方にも定めがあったようですが、詳細はわかりません。 見通しが利くように敵に面した正面を解放するとか、不要なものを目隠しするなど目的があった筈です。 地形によりますが本陣は平坦な高地を選びある程度の面積を確保出来る土地を選んだ筈です。 戦争ですから臨機応変はありますが軍学などでは正規の定めなど論議していました。
- komes
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有名な関ヶ原合戦の図が当時の状況を良く示しています。 軍陣というのはただしくは本陣といいます。 軍陣というのは普通軍の配置、陣形をさします。 本陣には主将が床几に座り、その位置を示す馬印を建てます。 部隊の軍旗というべき旗印をたてます。 これは主将の位置と本陣の位置を敵味方に示すためです。 主将の廻りは参謀役などの武将が控え、また馬廻りや使い番などの護衛、伝令役の武士が控えています。 野戦の場合本陣は移動にも備えて仮の設定ですから臨時の設営が多いのです。 乗馬の馬つなぎも必要です。 部下の各部隊もほぼ同様な設営をするか野営のかたちになります。 長陣となるとトイレや炊事の場所も作られますがこれらも臨時の設営か近くの寺などの設備を利用した本陣が設けられます。
お礼
回答を頂き、有難うございます。 とても解りやすく説明していただき、陣の内の絵が浮かぶようです。 そして理解できたと同時に、いく点かの疑問ができました。もし宜しければご回答頂けたらと思います。 >軍陣というのは正しくは本陣といいます。軍陣というのは普通軍の配置、陣形をさします。 そうしますと、本陣(大将のいる陣を本陣と呼ぶものだと思っておりました。そうではなく張った陣自体を本陣と呼ぶのですね。)と本陣以外(各部隊が分かれて陣を張っている場合)があると思うのですが、その場合本陣以外の陣はどう呼ばれるものなのでしょうか。 あと、本陣に張られる幔幕がよく映像としても出てきますが、その張り方(ドラマなどで見ると大将のいる場所が部屋のように四角く区切られていますよね)に決まりなどはあったのでしょうか。それともその陣を張る地形や状況にあわせて、だいたいで張っていたのでしょうか。 長くなってしまいましたが、ご回答頂けたら助かります。 よろしくお願い致します。
- Pinhole-09
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戦国合戦図屏風の絵を見ればよく判ります。 学研発行の「歴史群像シリーズ 図説・戦国合戦図屏風」がよいでしょう。 川中島合戦図が特に参考になります。 浮世絵にも「上杉武田対陣矢合之図」があり、上杉軍陣立、武田軍陣立が書かれています。 これは「歴史群像シリーズ」2 「戦国関東三国志」に載っています。
お礼
回答頂き、有難うございます。 早速教えて頂いた『戦国合戦図屏風』を探して見たのですが、たしかに陣の様子が見れるのですが、できることなら断片的でなくもっと全体を写したものを見てみたいと思うのです。 もうひとつ教えて頂きました『戦国関東三国志』も探してみようと思います。 ご教授ありがとうございました!
お礼
回答いただき有難うございます!! なるほど…城の近くに寺が多いのは軍事の点でも活用されていたからなんですね。勉強になりました!!これからは戦のシーンをもっと臨場感を持って観られそうです。 重ねての質問にも快く回答くださり、感謝いたします。ご教授本当に有難うございました!!