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戦国時代の女性の服装についての要約
- 戦国時代の女性で虫垂れぎぬ姿の人はいたのか
- 戦国時代の女性の服装について教えてください。
- 戦国時代の女性の服装について検索した結果、虫垂れぎぬ姿は主流ではなかったが、一部で見られた可能性がある。
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こんにちは。 私は、自称「歴史作家」です。 まず、URLの写真は「市女笠」(いちめがさ)と呼ばれるもので、 菅や藺(い)で編んだ笠を被り、笠には「苧(お=真麻)」で作られた布を垂れる。 これは顔を隠すためであるが、虫除けや日焼け止めにもなるという利点がある。 これは、平安時代の公家文化から来ており、公家は男女を問わず、あまり人前には顔を見せないことが高貴だとかんがえられており、市中を出歩く時に被りました。 では、戦国時代は・・・と言うと、やはり、公家を中心に用いられていましたが、武家では余り用いられませんでした。 ただ、虫除けや日焼け止めと言う観点から、城主婦人などは被っていました。 また、武士が公家の娘を嫁にもらうような時には、その文化が地方にも伝播しましたが、女性が優雅に出歩くような時代ではありませんでした。従って、一般庶民には流行はしませんでした。 http://www.iz2.or.jp/mushinotare/index.html
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地元の行列で「市女笠列」というものがあるので、江戸期の装束かと思いましたが、地理的に京都に近いので違うようでした。 http://www.hikoneshi.com/info/?itemid=695 浮世絵の旅の女性風俗を見てもこの三度笠のような平な物を被っており、御高祖頭巾や被衣、綿帽子や角隠しといったものに取って代わられているので、廃れたのではないですか。 過去レスでも http://okwave.jp/qa/q3692235.html 戦国期はこの過渡期なのでまだ市女笠に虫垂れぎぬも有りと思いますが、やがて被衣に取って代わられたということかと。
お礼
回答ありがとうございます。 私もやはり被衣に取って代わられたのかなと思いましたが 被衣って常に手で支えなければいけず とても大変なことを考えると、長旅では不向きなのではないかと思い不思議でした。 情報いただきましてありがとうございました。 過去レス大変勉強になりました。
お礼
やはり戦国時代は優雅などといえるような時代ではなかったのもあり 服装も自然にそう変化していったのですね。 公家などで一部では使用していたのも初耳です。 とてもわかりやすく説明いただきまして大変勉強になりました。 ありがとうございました。