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戦国武将の抱えの和尚さんの役職名について

戦国武将の抱えの和尚さんの役職名について とある役割の名前がふと気になってしまい、投稿いたしました。 昔、織田信長などを始めとする戦国武将には、 参謀というか、相談役とうか 抱えの和尚さんのような人物がいたような気がします。 (この前提事態が間違えていたら質問が成り立ちませんが・・・) その和尚さん、もしくは僧侶の役割や立場の 正式な名称はあるのでしょうか? ふと、疑問に感じたことが、次第に気になって仕方なくなっております。 お手すきの際で結構ですので、ご回答いただければ幸いです。

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回答No.5

 僧侶や僧職としないで、和尚としたのは意味があってのことと存じます。  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%92%8C%E5%B0%9A では和尚について説明しております。  僧侶や僧職とは違って、一定の宗派などでもお立場のようですね。    他方、戦国武将では江戸幕政の話は出てくるものではないのでしょうね。  無論江戸幕政の役職の中には、僧侶としてのそれはないと存じますが。  しかし、一定の能力や才能、所謂る芸で御仕えするということはありえましょうが、その場合は僧侶や和尚である事とは違うのでしょう。  舞鶴(江戸城)に僧形の人がいたとしても、例えばお茶坊主のような方は、役職とはいえないですね。    いろんな武将の傍に僧形(そうぎょう)の方、和尚やそれに近い方はおられても、相談や話し相手、ないしはちょいとお使いして調整するお傍の方だろうと存じます。  武田信玄だったかな、快川さんという臨済宗の偉い人が居ましたが、信玄の相談役・話し相手であろうし、先生でしょう。そして信玄はパトロンでしょうね。  お寺が信長だったかに焼かれるとき、その遺偈【心頭滅却すれば火なお涼し】ですね。  実際心頭めっきゃくすると、感覚は超越してしまうものです。  火の中でそんなことをいう勇気も修行もないですが、体の温度はすごく低くなるし、冷たくなります。  それは長く行をやっていると、そうなるものです。嘘でも強がりでも全くない。

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質問者

お礼

お礼が遅れまして大変申し訳ございませんでした。 思いもよらなかったところまで汲み取っていただく御気遣いありがとうございました。 正直、和尚としたことに深い意味はございませんでした(笑) 単純に頭に思い浮かんだ単語が和尚であったということです。 他の方も述べられているように、やはり正式な役職や名称はなく 相談役や話し相手という位置づけなのですね。 また、快川和尚の有名な逸話 改めて考えさせられ、非常に興味深かったです。 行じていくことの奥深さを考えされられました。 ありがとうございました。

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  • Free20
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回答No.6

正式名称かどうか分かりませんが、 毛利家に仕えた安国寺恵瓊(後に独立して大名となる)、 佐竹家に仕えた岡本禅哲父子などは「外交僧」と呼ばれていました。 彼らは、その名の通り、外交官として活躍していました。 この外交僧は、どの大名も多かれ少なかれ抱えていたようです。 今川義元に仕えた大原雪斎は、外交も行ったようですが、どちらかと言えば 軍師の役回りでした。 徳川家康に仕えた金地院(以心)崇伝、南光坊天海は、徳川政権のブレーンとなりましたが、 正式な役職名等は、ちょっと分からないです。ただ、金地院(以心)崇伝は「黒衣の宰相」と 呼ばれていたと思います。 また、伊達政宗を教育した虎哉宗乙のように、跡継ぎの教育係として招かれた僧侶もいました。 あまり回答にはなっていないかもしれませんが、役職としてあるのは「外交僧」(これも当時の 正式名称かどうかは?ですが)や養育係(師父)といったところは見当がつくのですが、 あとはちょっと分かりかねます。不完全で申し訳ありません。

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質問者

お礼

お礼の方遅れまして、大変失礼いたしました。 あいまいな質問に対して 非常に丁寧にご回答くださいました事を感謝いたします。 様々な具体例を教えていただき非常に勉強になりました。 ありがとうございました。

noname#125540
noname#125540
回答No.4

私は詳しくないのですぐ思いついたのが「茶坊主」だったんですが、他の方がおっしゃっているように、出家したお坊さんなわけでなくて、お坊さんのような恰好をしていただけだそうです。 客人への給仕や接待係だそうなので、相談役って感じじゃなさそうですか。 http://d.hatena.ne.jp/keyword/%C3%E3%CB%B7%BC%E7 千利休さんもお坊さんではないんですね、茶人で、「茶頭」(さどう)という役職だったそうです。 茶の湯をやっていた人々。 http://100.yahoo.co.jp/detail/%E8%8C%B6%E9%A0%AD/

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質問者

お礼

お礼が遅れまして大変失礼いたしました。 茶坊主は出家していたわけではない このことは初めて知り、非常に勉強になりました。 ありがとうございました。

noname#152554
noname#152554
回答No.3

徳川家康のブレーンとして有名なのは、「天海僧正」ですね。 ↓ http://wpedia.goo.ne.jp/wiki/%E5%A4%A9%E6%B5%B7/?from=websearch この人は、僧侶の位で言えば最高の「大僧正」。 死後は、朝廷より「大師号」を追贈されてますから、お坊さんとしては「登り詰めた」人かも知れません。 しかし、「幕府の役職名」は、「?」です。 先に「ブレーン」と書きましたが、正規の幕閣では無いにしても、徳川家康の「補佐役」、あるいは「位の無い作戦参謀」、「懐刀(ふところがたな)」と言ったような立場だったのかも知れません。

  • tanuki4u
  • ベストアンサー率33% (2764/8360)
回答No.2

信長だと沢彦 宗恩が、僧侶身分でサポートした感じ。 政秀寺の住職。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A6%E4%BA%95%E5%A4%95%E5%BA%B5 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E4%BA%95%E5%8F%8B%E9%96%91 官名としては法印を名乗っているから、坊主なんでしょうね。 で、役目は庶務とか朝廷との折衝 織田家という私的な組織が、足利幕府伝来や朝廷伝来の官職名を適当に名乗っている、あるいは後でもらったという構造なので、「正式な名称」と言われても困っちゃう。 長屋のご隠居に正式名がないようなもんです。

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質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。 織田家という私的な組織が云々というくだりは 面白い視点でした。 勉強させていただきました。

  • at9_am
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回答No.1

> 織田信長などを始めとする戦国武将には、参謀というか、相談役とうか抱えの和尚さんのような人物がいたような気がします。 信長にはいなかったと思いますが、武田信玄にとっての快川和尚のように、僧侶の相談役がいる場合も多いですね。 基本的には、菩提寺かどこかの住職をしています。特に役職名はなかったと思います。 他には、お茶を出したりするための茶頭が坊主頭ですが、別に僧侶でもありませんし参謀でもありません。

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質問者

お礼

早速ご回答いただいたにも関わらず、御礼が遅れまして 誠に申し訳ございませんでした。 菩提寺という言葉すら忘れかけておりましたので よい気づきの機会をいただけました。 ありがとうございました。

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