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戦国時代の九州の余り知られていない歴史について
戦国時代の九州に於いて、敵方との和睦にも拘わらずその約後すぐ攻め入られ首を落とされた武将がいたという歴史をご存じの方いらっしゃいますか? 似た状況でも良いので教えて下さい。
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正確な名を前忘れましたが宇都宮鎮房ではないでしょうか? 黒田長政が攻めあぐみ和睦を装い平服で面会に臨んだ彼を襲い殺してから城主を失った城を攻め滅ぼしました。 だまし討ちですが戦国期には普通のことでした。 したがって他にも多くあった話でしょう。
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- Flo
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回答No.2
九州であれば竜造寺隆信による蒲池鎮漣の謀殺が有名かと思います。 難攻不落の柳川城を攻めあぐねた隆信は和睦と称して宴席を設け、招きに応じた鎮漣及び従者二百余名を翌日殺害しました。 その後、柳川の戦いで城に籠っていた蒲池一族は皆殺しにされます。
質問者
お礼
ありがとうございます! こちらの方面も調べたいと思います。 まだまだありましたらよろしくお願い致します!
お礼
ありがとうございます! そのあたりで調べてみたいと思います。 だまし討ちは普通だったようですね。怖い時代ですね。