• 締切済み

戦国時代の合戦の敵味方の区別

以前、戦国時代の旗について質問したことがあり、その質問の際に、旗というものは大河ドラマのように全員が同じ旗を持っていたのではなく、それぞれ自分の家の旗を持ち、しかも一部の者しか持っていなかったと回答いただきました。 今回の質問は、その回答をいただいた際に生じた疑問なのですが、戦国時代の合戦の敵味方の区別について質問です。 大河ドラマのように、足軽や武将が織田家なら織田家の家紋をつけていた訳ではなく、それぞれ自分の家の旗をつけていて、しかも全員が旗をつけていなかったとなると、敵味方の区別はどうするのでしょうか? 戦国時代というと、各武将、鳥やら虫やら花やら、それこそ十人十色の旗がありましたよね?それぞれがそれぞれの家の旗をつけていたとなると、中には頭の悪い足軽もいて、「あれ、こいつは味方なのか?」という感じに、戸惑う者はいなかったのでしょうか? それとも、合戦前に味方の旗リストみたいなものがあって、それを暗記したりしたのでしょうか?

みんなの回答

  • mekuriya
  • ベストアンサー率27% (1118/4052)
回答No.2

共通の手拭を持ってました。汗や雨や埃が目に入ったら合戦どころじゃない。旗指物とタオルを兼ねて一石二鳥です。戦国時代の人は現代人より100倍頭が良いです。

noname#223577
質問者

お礼

回答ありがとうございます!実用的な目印からしても、かなり現代人より優秀そうですね。やっぱり、昔の人の知識は馬鹿にできませんね

noname#180728
noname#180728
回答No.1

一応は「合印」と言って、鎧の袖口に白い布を付けたり、刀に巻いた紐を右巻き左巻に統一したりしましたが、入り乱れたり寝返ったりすると訳が分らなくなり、味方同士が戦い、終わってから同士討ちだったことが判ると言うこともままありました。 また末端は適当に戦っており、かけ声は勇ましくても実際に殺し合うという事は少なく、刀傷による死者は1割にも満たないといわれています。 また合戦の目的も、上杉謙信をみるとはっきりしますが、略奪が目的で、領内が飢えると他国に遠征して略奪するのが目的ですから、毎年のように遠征を繰り返します、戦の主体は農民ですから、相手を殺すことより追い払って農作物を守る、あるいは略奪して帰国するなので、敵か味方かは大体が識別できれば良かったと思う。

noname#223577
質問者

お礼

回答ありがとうございます! 何気ない目印はあったんですね それにしても、合戦というのは案外、良い加減なものなんですね。今の時代、政治に無関心なのと似てる気がしました。

関連するQ&A