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戦国時代、敵国の民衆は殺戮の対象になった?
戦国時代の民衆と言うのは、戦に負けた際には敵国による殺戮の対象になることが一般的だったのでしょうか。 今日放送の「その時歴史は動いた」を見て、疑問に思いました。 http://www.nhk.or.jp/sonotoki/2008_06.html#04 私の勝手な思い込みでは、2つの国が戦になったとしてもそれは国を治める大名同士の争いであり、非戦闘員である一般民衆は殺戮の対象にはならなかったのではないかと思っていたのです。(兵士として徴用される等の事情は除く。) 一般民衆も、その国の主である大名の家臣と同じ扱いとなり、殺戮の対象になったのでしょうか。 それとも、大坂夏の陣が特殊な例だったのでしょうか。 ご回答よろしくお願いします。
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藤木氏の書籍のまとめみたいなもの http://www.mmjp.or.jp/askanet/rediscoverofhistory-tradingofpeople.htm 南蛮貿易の実態 http://www.daishodai.ac.jp/~shimosan/slavery/japan.html 「我が旅行の先々で、売られて奴隷の境涯に落ちた日本人を親しく見たときには、 こんな安い値で小家畜か駄獣かの様に(同胞の日本人を)手放す我が民族への激しい念に燃え立たざるを得なかった。」 天正遣欧使節の文章より。 けど、ポルトガル人が直接日本人狩りをしていたのではなく、奴隷狩りをした日本人から買っていただけです。 この構造は、アフリカの奴隷狩りもいっしょで、現地アフリカの有力者(王だったり)が他の部族を攻撃して奴隷として西欧人に売っておりました。 ちなみに、戦争後の奴隷狩りを「乱取り」と、言いまして http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%B1%E5%A6%A8%E5%8F%96%E3%82%8A 勝ったら 乱取り自由というのが当時の常識。 勝った後、殺戮などという不経済な行為をやるわけ無いと思うのです。若干の抵抗する人間への殺戮はあっても。
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- ceelee-boy
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斡旋先は京都とかでしょう。 越後は京都との交易で儲けてまして、謙信にとって京はお得意様なんで、交易に使う船の船員とかなんじゃないでしょうか。 当時は海賊にあったら海上自衛隊に電話すれば助けに来てくれるってことはないですから、自衛しなきゃいけないですから、そういった意味でも人手は必要だったと思います。 堺や大阪で行われていた南蛮貿易にも人では必要だったでしょう。 もちろん風俗関係もあったでしょう。 女性は田舎では労働力で評価されたでしょうから、牛みたいに働く女性は高い評価を得ていたでしょうが、容姿のきれいなきゃしゃな美人は「役立たず」でして、もしくは純情な若者をかどわかすふしだら女ですから、泥の中で朝から晩まで働いても一生「半人前の穀つぶし」って言われ続けるよりは、京都で遊女やるほうがよっぽどよかったと思いますよ。民話でも狐つきだといって女性をあやまってうち殺しても、殺人の罪については何にも感じてない話がたくさんあります。 謙信の財源のひとつは関銭っていったでしょうか、港の使用料ですから、就職斡旋では斡旋手数料をもらっていたんだと思います。 今度大河になる直江兼続、謙信のいた港は「直江津」ですから、彼が力を持てた理由のひとつが直江津の関銭だったことは間違いないでしょう。今に残る新潟(下越)の豪商の屋敷跡も関銭で栄えた豪商です。 地元で使うとすれば、佐渡の金山でしょうか? 金山は当時の農家の労働と比べてどうだったのでしょう? つらさは同じでも、賃金が払われる、就業後はばくちも女も買い放題だったらしい(経営者はそこで労働者に支払った賃金を回収していた?)ので、ご飯も食べ放題だったはずで、どちらが幸せかといえば、金山だったと思います。ちゃんと田んぼをもらえる家長というか跡継ぎは別ですよ。 それに、謙信の戦ったところは(京を目指した晩年は除いて)全部応援ですから、敵国じゃないですよ。 いろいろありますから、ある土地を支配すべき正統な理由をもつ人は何人もいましたから、正当な理由があるのに、別の人に追い出されそうだって人を助けに行ったので、敵国じゃないですよ。失地回復の応援部隊ですよ。まあ、関東管領ってことでなんで、謙信自身にとって関東というか、東国は自身の領地でもありますが。西国の信長みたいに直接支配はしませんでしたけど。
お礼
なるほど、男性も女性も労働力を求めている場所は沢山あったということですね。 奴隷という感覚にびっくりしたのですが、これをきっかけに私にとって新しい感覚で日本史と付き合うことが出来そうです。 ご回答ありがとうございます。
- 莽翁寒岩 一笠一蓑一杖(@krya1998)
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防人もずいぶん悲惨なことで、残される身寄りも惨めという話は残っていますね。 昔は兵士、農民、農奴、奴隷、奴婢と、みな境が難しいのでしょうね。 今の観念で当時の状況を伝える言葉から、何かを描く、説明するというのは無理があるかと存じます。 そして、敵の本拠地であり、その勢力下の地域を攻略できても、更に進軍をしなければならない、そしてその進軍は点を繋ぐ線や面積にしていかれないとなると、後顧の心配を断つために、皆殺しはしたでしょうね。戦略として。今の、そして平和な、この日本の感じで考えていてはなかなか思い描ききれないと存じます。
お礼
仰るとおり、当時の様子を思い描くのはかなり困難だと思います。 恥ずかしながら、学習漫画、教科書、参考書、歴史ドラマ等の光景からのイメージを頭の中で展開していました。 大きな歴史の流れではなく、細かい一つ一つの場面についてもっと詳しく知るためには、上記のような情報源では無くもっと専門的な文献などを読まないとだめですね・・・・・。恥ずかしいです。 ご回答ありがとうございます。
- ceelee-boy
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謙信ファンなので一言。 「奴隷狩り」というのはキャッチフレーズで、「就職斡旋」が正しい表現です。いまでいうとハローワークです。仕事しないでぶらぶらしたり悪さしたり、昔は田んぼの広さで働ける定員はきっちりきまっていましたので、でも、避妊具はありませんので、職に就きたくても付けない人が常にいました。今とおんなじです。それを、奴隷狩りって表現すると、レベルの低いたくさんの人が関心を示すってことです。謙信はハローワークにも熱心だったってことです。 昔の列車に乗っての上野の集団就職も、人身売買なんていいませんよね。 派遣業だって、昔の言葉では、げせんや人買いです。 しかも無責任で1日単位で捨てちゃぁまた買い直すこと、買えば一生面倒を見た(いまでいう正社員)昔とくらべ、待遇は悪化してます。 で、一般人を殺すようになったのは、負けた側がゲリラ戦を行うようになったからで、無害な一般人なら殺しません。無害な一般人を装って、爆弾仕掛けたり、自爆したりするようになってからです。 見た目で区別できませんから、兵は恐怖するわけです。 ちなみに、東京空襲での大虐殺は、日本では一般家庭の内職で兵器を製造しているから、という理由です。一般家庭ということではなく、兵器の下請け工場として東京の一般家庭は悉く燃やされました。 大阪の陣は、戦利品に近いでしょう。 浪人がたくさん立てこもって、大阪城の中はその浪人向けの市が立ったりして大変にぎわっていたようです。まあ、ナポレオンが戦利品保存していたのがルーブル博物館ですから、フランス以外の国の財宝、美術品であふれかえっていますが、戦争に勝ては、負けた国の財物を持ってくるのは当然のことで、それに抵抗すれば殺してももってくるでしょう。商人の中には財産とられるくらいなら死んだほうがマシって人もいたでしょう。 商人と武士はTVゲームでははっきりと違いますが、半商半武なのが実際でしょう。 まあ、戦国時代でもなで斬りというのもありました。なめられちゃいけないっていうか、こいつらは絶対に言うこと聞かない硬い団結力があるとか、自国の余剰人員を移住させるために、その職場確保のために、殺しちゃうって言うのはあったと思います。昔は仕事が限られていましたから。 まあ、この地域の住民は殺さないでおくといつか逆に反撃されて皆殺しされちゃう(加賀の一揆が有名ですよね)と思うと殺しちゃうと思います。どっちにしろ、どちらかは皆殺しなんだから。でも、そんなになで斬りの例は多くないと思います。
お礼
ご回答ありがとうございます。 後半の一般人の殺戮については理解することが出来ました。 前半の「就職斡旋」ですが、自国での労働力を確保するために、戦の際に敵国の民衆を連れてきてしまう、ということでしょうか?
- tanuki4u
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1の出典 出典 雑兵たちの戦場 中世の傭兵と奴隷狩り 藤木 久志 2の出典 出典 戦国史の怪しい人たち―天下人から忍者まで (平凡社新書 (420)) 鈴木 真哉 で ございます。
- tanuki4u
- ベストアンサー率33% (2764/8360)
1:戦国期 戦争は、奴隷狩り 上杉謙信の頃、農閑期になると関東に行ったのは、関東で奴隷狩りです。で、狩った奴隷は売っていました。正しく冬の出稼ぎです。 あまりに謙信が強すぎて、奴隷相場が下落したという記事もあるそうです。 2:ファジーな士農 一領具足もいれば、足軽などは農民です。 ちなみにNHKのその番組は歴史とうたっていますが、娯楽番組なので、マユツバものを掘り当てては、新説!とかうたっています。先般読んだ本には、雑賀一族に関して、「そういった説はありませんよ」と丁寧に説明したが、とんでもない説をご丁寧に放送してたと書いてありました。
お礼
>ちなみにNHKのその番組は歴史とうたっていますが、娯楽番組なので、マユツバものを掘り当てては、新説!とかうたっています。 そういう評価も下されているとは全く知りませんでした。見事に信じてました・・・。 殺戮してしまうのではなく、奴隷とするために捕らえていたことの方が多かったのでしょうか。 参考文献のご紹介もありがとうございます。読んでみます。 同じ番組内でも奴隷について触れていたのですが、学習漫画と教科書と参考書と時代劇と大河ドラマからの影響で日本史をイメージしてしまっているので、「日本で奴隷」ということに強烈な違和感を持ちました。 奴隷と言うと、古代ローマやギリシャでの奴隷をイメージしていたので、日本での奴隷と言うのがイメージ出来ませんでした。 参考文献を読んでみたいと思います。 早速のご回答ありがとうございます。
お礼
リンク先のご紹介ありがとうございます! 非常に参考になりました。