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戦国時代の戦は実際に互いの軍の兵士や武将たちがワーワー叫びながらだだっ
戦国時代の戦は実際に互いの軍の兵士や武将たちがワーワー叫びながらだだっ広いようなところで敵味方混ざりながら戦っていたんですか? 戦国時代がかかれた映画とかゲームとか見るとそんな感じでかかれていますが
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何とも言えませんが・・・そうですね、自然に考えれば戦闘の際は現在の科学戦法と違い、真っ向勝負が基本だった事が「何々合戦図屏風」なんかを見れば、分かります。敵味方入り乱れて背中に自分の軍である幟を背負い目印にし、ワーワーやっていたんだろうという事は想像に難くありません。大声を上げるのは「自分を鼓舞」するのと「相手を威圧」する効果があるので、「おりゃ~」「きさま~」「死ね~」「お前らの負けじゃ~」とか言いながら戦闘してたんでは無いですかねぇ。それが入り混じれば、ワーワーとしか聴こえないので、12noname34さんが疑問に思っている事は正しいと思いますよ。
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- harukazu2004
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私も以前に同じ疑問をもったことがありますので、お答えします。大部長くなりますが、よろしいですか? ほとんどのテレビドラマ(NHK大河ドラマを含む)やゲームに描かれている戦(いくさ)は実際とはかなり違います(というか嘘です)。銃火器で遠距離から戦う現代戦と違い、戦国時代は目の前の敵と戦います。当時の鉄砲の有効射程は100mもなく、現代と比べるとかなり近距離の戦いとなります。その恐怖は尋常ではなく、おのずと大声がでますが、威嚇目的だけではなく、悲鳴を含めたものであったはずです。また個人戦が比較的目立った鎌倉時代とは違い、戦国時代は集団戦なので、名乗り合いをする余裕はなかったはずです。 一般にイメージされる近代の戦争と違い、戦国時代は基本的に日本人同士の戦争で、場合によっては隣り村の住人が争う場合もあったはずで、例えれば隣の人と包丁をもってむきあうようなものです。現代のように国民の義務として国防のために兵役につくという概念は全くなく、兵士の大半は領主の命令でしかたなく農具のかわりに武具をもった農民か、食事、給金にあやかるために参加した困窮者であり、国を守るといった意識はほとんどありません。主君のために一命を捧げる覚悟で参加する侍はごく一部で、ほとんどは兵士(足軽)は今のべた人々で、彼らは死にそうになれば、戦場から逃げ出せばもとの生活にもどれる可能性があります。逃亡がはじまると収集がつかなくなり、総崩れとなり負けになります。 戦い方の基本は遠射戦で、鎌倉時代以前は弓矢が主体で、兵士がひるみ、逃げ出したときに突撃して逃げ遅れた兵士に対して槍刀でとどめを刺す形式であり、両軍の兵士が入り交じって刀や槍を打ち合うことはほとんどありません。繰り返しいいますが、刃物をもったもの同士が対峙する恐怖は尋常ではなく、通常の人々はその前に逃げ出します。いうなれば烏合の集で、通信手段もないため実際の戦況も分からず、一部が逃げ出すと周りも逃げ出しますので、要は、やばい と兵士達が思った方が負けとなります。戦国時代は遠射戦の主体が弓矢に代わり鉄砲に変わっただけで、槍、刀の使用方法は手負いの敵に止めをさすための手段にすぎません。日本人の戦い方の基本は弓、鉄砲による打ち合いで、刀をもちいた接近戦(白兵戦)に日本人が秀でているといった考え方は、戦前の軍部が根拠なく植え付けたものとも言われています。ちなみに大将を含めた高位の侍は実際には戦わず、部下が打ち取った首を自分のものとしたり、部下がまず戦って手負いとなった敵に止めをさして打ち取った首を自分の手柄としましたので、自ら刀をふりかざして一般の兵隊と戦うことは絶対になかったはずです。 とても長くなってしまいました。戦国時代以前の戦は不明な点が多く、近代の戦争形態として根拠なく脚色されています。騎馬戦もほとんどなかったのではないかとの有力な説もあるくらいです。じっくり調べてみると、かなり面白い分野ですよ。
- 川原 文月(@bungetsu)
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こんにちは。 私は、自称「歴史作家」です。 鉄砲の伝来(1542?・1543?)で戦の方法は大きく二つに分かれました。 それ以前は、弓矢や槍、刀などでの戦いでしたので、例えば、長い槍を振り回すとなると、おのずと、広い場所での戦いをしなければなりませんてせした。 そして、ワーワー騒ぐのは、 「俺たちには、こんなに大勢いるんだぞ」 と言うような意味合いがあり、大声を上げて突進して行きました。 鉄砲が普及し始めると、戦いは、一気に変化しました。 これまでのように広い場所よりも狭い場所でも小回りが利いたため、どこでも戦ができるようになったのです。 しかし、戦に参加する人数にもより、お互いが大軍を率いて戦う場合には、どうしても横への広がりが必要でしたので、戦国時代の最後とも言うべき「関が原の戦い」では、広い原野での戦いとなりました。
- tanuki4u
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戦国時代がかかれた映画とかゲームとか見るとそんな感じでかかれていますが ↓ そうじゃないと絵にならないから。 鉄砲と日本人―「鉄砲神話」が隠してきたこと [ハードカバー] 鈴木 真哉 (著) このへんの著作にありますが、鉄砲が来る前も、鉄砲が来たあとも、基本的には 遠方からのイシツブテや鉄砲による傷がメイン、つまり 遠くから打ち合っていたのが実情。