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江戸の銭湯が大衆への娯楽場となった理由
私は、江戸時代は単身赴任者が多く、個の世界だったから自然に連帯を望んだため、生活に欠かせない銭湯が大衆の集まる娯楽場になったと考えていますが、どうでしょうか?他にあると思いますか?
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- suzuko
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回答No.3
たしか江戸の銭湯は、今現在一般的な銭湯の形態(脱衣所と湯船だけ)でなかったと思いますが。 2階に娯楽場を備えたモノが多かったのでは?
- mn214
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回答No.2
単身赴任とか個の世界とか考え過ぎではないでしょうか。 当時は江戸ではある程度の大身の武家のお屋敷くらいしか家にお風呂が無かったといわれています。 江戸時代の末期くらいにはお金持ちの商人も内風呂を設置したらしいですが、一般庶民レベルでは内風呂などは無かった時代です。 内風呂が普及していない当時、お風呂といえば特別なことであり、銭湯自体が現代でいえばサウナや健康ランドといった施設に行くことと同じような娯楽だったと考えられます。 大勢の人が集まれば、のんびりと将棋を指したり、世間話をしたりすることになると思いますが、こうした施設としては『髪結い床』なども同じようなものですね。
noname#118466
回答No.1
現代の感覚で江戸時代の銭湯を考えていませんか? 江戸時代に銭湯が普及するまでの日本では行水や川での水浴が普通で、一部の人が蒸し風呂を利用していたようです。日本人は清潔好みで風呂(シャワーではなく)に入ることで有名ですがまだ200年そこそこの習慣でしょう。 独り者が多かったのは事実だと思いますが、所帯持ちも内風呂はないので条件は同じでしょう。手軽に風呂に入れるようになったので職人などが仕事を終えて銭湯に集まり、銭湯が自然に集会場・娯楽場の役割を果たすようになったと考えます。