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純文学の定義って何ですか?
小説を大衆小説とか純文学とかってカテゴライズしますよね。 大衆小説=エンターテイメントと捕らえると、小説の娯楽としての性質上すっきり理解できるのですが、純文学というのが何なのか良くわかりません。 江戸時代の娯楽としての歌舞伎が現代では古典芸能になったように、明治時代の大衆小説としての文芸が現代の純文学になった。 つまり、明治大正昭和的雰囲気の小説のことを指すと考えていいのかなとも思ったのですが、なにか分類の定義か指針があれば、教えてください。
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大衆文学ってのは近代の枠の中でやってるもの。 純文学ってのは常に形式を壊していくもの。 とすれば一応の定義はできるかも。 この場合の近代というのは脱構築と対応する意味での近代ということで。 でも純文学の定義って難しいんじゃないすかね。 第一に純文学って誰にでも書けるものというわけじゃないから、そうした客観的なものさしをつくれないし。 あ、あと念のため言っておくと、芥川賞は純文学を担保するものじゃないですよ。 芥川賞がそういうベクトルに機能したのは戦後のごく一時期だけです。 だって最近の、石原が審査員をやるような芥川賞なんて 獲りたいやついるか?って感じだろうし。 ほとんど意義を失ってるみたいです。
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- apple-man
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物書きがいいお金になるようになったのは 高度経済成長以降のことで、 今では文学者、小説家として名を 残している人たちも、当時は 三文文士と言われ、社会的にも 高い地位とは見なされておらず、 生活も苦しかった。 純文学者などというと、 結核をわずらい、咳き込みながら 文を書いているようなイメージ があるのはそんな理由からなんです。 つまり純文学とは、経済的目的では なく、自らの情熱を文学として表したいと 熱望する人によって書かれたものと 定義できると思います。ですから その内容は世間の流行に媚びる ものではなく、人間の感情を 大胆に表現したもで、時代背景の ため明治から昭和の初期の文学は 当然純文学となっていたわけですが、 現在でも何か賞を受賞するといった 社会的名声のためや儲けのためでは なく、純粋に表現をしたいと 熱望する人たちがいないわけでは ないので、現代の純文学と いうのもあると思います。 ただ現在は収入のための物書きが 圧倒的に多いので、純文学と 言うと明治大正昭和的雰囲気の小説のこと というイメージになるのだと思います。
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ご回答ありがとうございます。 社会的名声や儲けのためでなく純粋な表現を追求した小説が純文学であるという定義はアリだと思いました。 その場合、作品の内容ではなく、作家の姿勢によって決まるわけですよね。 ただ、なんとなくですが、現状では作品を読むことで純文学とエンターテイメントのそこはかとない区別がなんとなくではありますが、できるような気もするのです。 つまりあくまで技巧に違いがあるように感じてもいるのですが、純文学のよって立つ技巧がいまいち上手くつかめないので質問させていただきました。
- bad-money-drives
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辞書で「純文学」調べると >じゅんぶんがく 3 【純文学】 (1)大衆文学・通俗文学に対して、読者に媚(こ)びず純粋な芸術をめざした文学作品。 (2)哲学・史学を含む広義の文学に対し、美的形成を主とした詩歌・小説・戯曲などの類。 とあります。 私も、「純文学」とは“純粋に小説としての芸術性を追求している作品”だと解釈しています。 近代文学にとって、明治の文芸は幕開けとなる大切な時期ですが、「明治時代の文芸様式=純文学」ではありません。 時代に関係なく、純粋に芸術性を追求していれば「純文学」になります。(最近の小説では、「文学として純粋かどうか」という定義のしかたは、ほとんどしませんが・・・) どのような作品が純粋に芸術性を追求しているかは、個人の主観では曖昧です。 客観的な分類なら、文学史に純文学として紹介されていれば純文学です。 まだ文学史上で分類されていない近年の小説なら、芥川賞を受賞もしくは、ノミネートされた作品が「純文学」だと思っていれば間違いないと思います。
お礼
ご回答ありがとうございます。 私も辞書で確認したので、芸術性と追及しているという定義は読んだのですが、いまいち曖昧模糊としているような気がしてならないのです。 たとえば、音楽だとか絵画などではジャンル別けは技巧でされますよね。絵画では油絵だとか水彩、音楽ではクラシックだとかポップスだとか分類は明白です。 エンターテイメント小説もホラーとかミステリとか技巧による分類があります。 芸術とは文字通り、芸の技巧なわけですから、これは当然に思えます。 たとえばホラー小説でもホラーの技巧を追求しているわけで、純文学が追及する芸術のその芸がどのような芸なのかいまいち判然としないのです。 そのため、たとえば昔話的な行って帰ってくる物語様式を追求しているのか、あるいは明治期の古典様式を追及しているのか、その辺りではないのかと見当をつけたのですが、上手くつかめません。 読み手としては文学史上の分類や芥川賞などの純文学賞受賞作を純文学として認識するのはありだと思いますが、作り手の視点に立った場合にどのようにして自分が純文学作品を書いていると認識するのか疑問を感じました。 読者に媚びないという定義にヒントがありそうですが、いまいちよくわかりません。 平易な文章や明快なプロットとの決別などが、純文学ということかなとも少し思いました。
お礼
ご回答ありがとうございます。 なるほど、既存の手法を逸脱して挑戦していくジャンルが純文学というわけですね。 既存の手法を逸脱すれば、読者のほうでも読みにくいわけで、そこから読者に媚びないという定義につなげていくこともできそうです。 参考になりました。