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江戸時代の娯楽
江戸時代の代表的な娯楽というとどんなものがあったのでしょうか? 素人の私が思いつくのは歌舞伎や浮世絵、本(小説)、落語とかそんなものです。
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前の回答者の方々、いろいろあげてありますね。こういう娯楽もあったようです。『お江戸の意外な生活事情』(中江克己 PHP文庫 2001)をもとにご紹介します。 ○芝居 相撲(庶民だけでなく大名も熱中) 吉原(遊郭) ○隅田川の花火 両国橋の上流が「玉屋」、下流が「鍵屋」。化政年間には、仕掛け花火で庶民の人気を競った。 ○寺社の境内などで上演される大道芸 曲独楽 品玉(玉の芸) 居合い抜き 声帯模写 軽業 など 両国橋のたもとでは、異国の動物(孔雀、ダチョウ、駱駝、豹、オランウータン、ライオン、なまけもの、など)が見世物として庶民の好 奇心を集めた。享保13年には、ベトナムから象が「来日」、将軍吉宗に「拝謁」した。街中では「象双六」など様々な象グッズが売り出された。 ○見立番付 相撲番付の形式をまねて、著名人・美人・諸国の名物や食べ物など、さまざまなものを東西の番付で競った。値段は一枚 4文(100円)と庶民にも求めやすいランキング表ですね。 ○音曲 三味線、尺八、琴、胡弓など。唄では、長唄、端唄、小唄など ○歌舞伎 浄瑠璃 ○本 滑稽本(ユーモア小説) 洒落本(遊郭を素材に) 人情本(男女の恋愛) 読本(伝奇物 今で言うミステリー、ソフトホラー) 好色本(その名のとおり) 子供向けに「赤本」(≠受験問題集 表紙が朱色の絵本) ○和算(数学) 複雑な図形の面積、問題を解くことを競った、現在でいうパズル・クイズ ○女子の遊び 羽根つき 手毬 小倉百人一首 いろはかるた など ○子供の遊び かくれんぼ 鬼ごっこ かごめかごめ 凧揚げ 雪合戦 貝独楽(ベイゴマ) など ○コレクション 石(珍しい石、奇妙な石の収集) 珍書、コイン、菊など
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- d-drop
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おはようございます。 地方の大家(豪農)の蔵を開けると、俳書と義太夫の楽譜、小唄の本が大量に出てきます。 それから、伊勢参りに代表される旅行、いままでは、庶民はあまり移動を許されなかったというイメージがありますが、あにはからんや、中期から後期は、富裕な農民の「旅日記」がわんさとあります。女性のものも少なくありません。近世は、旅案内関連の書籍が、多数でています。携帯に便利なポケット版。ようするに「○○の歩き方」ですね。需要があったからに他なりません。 あとは、茶の湯。 で、前も書きましたが、こうした芸事の宗匠は、各地を廻って指導をするのが仕事だったわけですが、彼等が、いろいろな情報の運び手となっていたわけです。 あのですね、落語を読むと、どんな娯楽があったか解りますよ。明治になってできたもののほうが多いんだけど、まあ江戸の空気を伝えてますね。なにより面白いし。
お礼
こんばんは。 御回答ありがとうございます。 女性も伊勢参りは結構していたのですね。 入り鉄砲・出女で女性の移動は厳しかったのかと思っていました。 旅案内の本もあったのですね。 落語ですか。面白そうですね。 機会があったら是非読んでみたいです。CDで落語を聞く前に、一通り本であらすじを押さえておいた方が理解しやすそうですね。
- reny
- ベストアンサー率32% (81/252)
江戸では「富くじ」ってのもあります。 あと田舎では、氏神などを同じくする人の集まりである「構(こう)」などが沢山あって、一家族で複数の講に入っている家もあったり、女性だけの講もあったようです。ようするに神様をネタに、食事をもちよっておしゃべりしたりする集まりですね。これは今でも続いている地域はあると思います。 また、年間を通しての節目の行事は、祭りに限らず娯楽性をもっていて、楽しみの一つだったようです。 関東地域では結構博打はやっていました。母方の先祖が群馬の庄屋でしたが、義理の弟が清水の次郎長と義兄弟であったり、博徒と関係が深かったようです(群馬ではこんにゃく相場が立っていましたので、その方に大方はまっていたようですが・・・)。
お礼
御回答ありがとうございます。 年末ジャンボ宝くじ、三千円だけ買おうと思います。 当時の人もそういう感覚で籤を楽しんでいたのでしょうか。 「構」ですか。ちょっとしたサークル活動だったのでしょうか。 ご先祖の義理の弟が次郎長の義兄弟だったのですね。 関東では博打は庶民が気軽に手を出していたのでしょうか。
- m-jiro
- ベストアンサー率55% (92/167)
小生が住んでいる備中では・・・江戸後期のようすです。 四国巡拝や大山参り(鳥取県)がありました。 四国巡りは農閑期であり気候もよくなる2月から3月に行きました。豪農でなくても中農程度の人は行っています。 日常のちょっとした娯楽は酒ではなかったでしょうか。村にはたいてい造り酒屋があり飲めたようです。 博打は厳禁でした。バレると村が管理する牢屋(たいてい庄屋の屋敷内にあったようです)に数日間入れられました。おもしろいのはその牢番に家族があたっています。 俳句などは庄屋や大商人などはしていたでしょう。明治になると庶民でも中農程度の人はやっていたようです。
お礼
御回答ありがとうございます。 備中から因幡?の大山へお参りしていたのですね。 中農程度でも行っているのですね。現代人がちょっと海外旅行に行く程度の感覚だったのでしょうか。 家族が牢番をしていたというのは面白いですね。 刑罰というよりは、反省を促す程度の意味合いだったのでしょうか。
- stardust6
- ベストアンサー率62% (5/8)
地方になりますが、名主など上流農民層や寺社関係の人々などの文人サークルもあったようです。寄り集まって囲碁将棋、俳諧などを行っていたらしいです。
お礼
御回答ありがとうございます。 地方でも文化人サークルがあったのですね。 俳諧など風流なこともしていたのですね。
- 2199
- ベストアンサー率14% (74/524)
日常的には博打、酒、食事でしょうね。 江戸だと小鳥を買ったり、鉢植えをしたり、化粧も娯楽かな。 江戸時代の遺跡からは上記に関連した遺物がたくさん出てきます。 セックスも重要な娯楽であるであることは想像に難くはないでしょう。
お礼
御回答ありがとうございます。 そうですね。セックスは想像に難くないですね。 ペット(小鳥)も飼っていたのですね。
- Sombart
- ベストアンサー率16% (45/267)
参考書籍にありますが、例えばこんなものがあります。 ・数学(和算) ・暦作り(年賀状的に大小暦を作る) ・園芸(アサガオやツツジなどいろいろ) ・富士参り 他にも、古典落語に出てくるものとして今同様の囲碁将棋川柳俳諧もメジャーでしたし、義太夫などの習い事もあります。 今で言うフードバトルも行われており、蕎麦の大食い(これは死人も出ています)、味噌舐め、醤油飲み(これも死人が出ています)などの例がありました。
お礼
御回答ありがとうございます。 どれも珍しい娯楽ですね。 園芸もやっていたのですね。 フードバトルもしていたのですか。大変興味深いです。
- viva_chiru
- ベストアンサー率51% (120/233)
江戸時代の「娯楽」とはすこしずれてしまいますが、手習いとして、庶民は「三味線」、武家は「琴」が定番でした。 そうした、江戸文化の研究の第一人者の田中優子さんのHPをリンクしておきましたので、参照してみてくださいね。 http://esearch.rakuten.co.jp/rms/sd/esearch/vc?sitem=%C5%C4%C3%E6%CD%A5%BB%D2&sv=30 田中さんの著書
お礼
御回答ありがとうございます。 三味線や琴ですね。農民とかもやっていたのでしょうか。
お礼
御回答ありがとうございます。 見立番付というものがあったのですね。 これほどいろいろな娯楽があったのは知らなかったです。