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荘子思想について
荘子の秋水篇で、風は目をうらやむ等の部分について、ムカデなどは問答しているのですが、目と心の問答がないのはなぜなのでしょうか? これを、聖人、至人、真人との違いを明らかにして説明する場合。 また、河伯と北海若の論述の展開とは?? 以上の質問なんですが、自分で書いててもわからなくなりつつあります… どうかお助けください!!
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私大学で中国文学専攻でした。でも卒業後すでに●年もたってしまい、ほとんど忘れちゃったんです。老荘の思想ももちろん読んだことあるけど、難しかった。結局「左伝」をテーマにしてしまいました。 ところで質問者さんは「荘子」の注釈読まれましたか?私は福永光司先生のがいいと思いましたが。(朝日文庫だったと思う)そこには何と書かれてましたか? ちなみに「マンガ老荘の思想」にはこの部分ありましたっけ?(持ってるけど忘れました) 私の勝手な推測ですが、目と心って対話のしようがないんじゃないですか?風にせよムカデにせよ、立派な生き物でしょう?(風は生き物というか、台風とかいろんな風あるし)でも目や心って人や動物の体の一部にすぎないから、これが独立した物体とは考えられないのではないでしょうか? また、河伯と北海若の対話っていうのは、内容知りませんが、要は寓話ですよね? この文章の主題は何かを読み取るとき、まずこの文章をよんでから、「荘子」のほかの部分も読んでみるのです。荘子は寓話をところどころで使用していますよね。(朝三暮四の話とか混沌の話とか)話の内容が変わろうと、書物から読み取れる荘子の考えは一つなのですから、そこから貴方なりの答えが見えてくると思います。