• 締切済み

荘子の解釈をお願い致します。

荘子の有名な寓話の中に次のようなものがあります。 「南海の帝をシュクといい、北海の帝をコツといい、中央の帝をコントンといった。シュクとコツはときどきコントンの土地で出あったが、コントンはとても手厚く彼らをもてなした。シュクとコツはそのコントンの恩に報いようと相談し、『人間にはだれにも(目と耳と口との)七つの穴があって、それで見たり聞いたり食べたり息をしたりしているが、このコントンだけはそれがない。ためしにその穴をあけてあげよう』ということになった。そこで一日に一つずつ穴をあけていったが、七日たつとコントンは死んでしまった。」  この荘子の寓話の意味を考えてみて下さい。 解釈は色々定説などもあると思いますが、できれば自分の言葉で表現をお願いいたします。 シュク、コツ、コントンの漢字変換ができなくてすみません。

みんなの回答

回答No.7

北斗七星が占いの「秩序」を拵えて、無秩序な「混沌」の状態に終焉を齎した、 という可能性の指摘なのでしょう。

noname#26603
noname#26603
回答No.6

ユダヤ教における天地創造のような

noname#26603
noname#26603
回答No.5

混沌の死は秩序 混沌が 秩序をもったともとれる. 古事記の国産みのような.

回答No.4

 七つの穴、私はこれらが老子のいうところの無為自然「あるがままである事」をかき乱すものだと考えました。特に眼や鼻や口・・といったものは人に大きな影響を与えますね。  それまでコントンさんはそういったものを持たない、外界のものから離れた(いろいろ誤解を生む言い方ですが)自分だけの世界を持っていたのではないでしょうか。しかし七つの穴を手に入れてしまって、外界のいろいろなものが入ってきて所謂「あるがまま」ではなくなってしまった・・・。  そういうわけでこのお話は「あるがままでなくなること」の危険性を説いている、と私は思いました。  所で荘子のみならず中国の思想などに興味をお持ちでしたら、一度中国語のページのほうへ行かれたら如何でしょうか。

回答No.3

私は、老荘の思想が好きですが、 そんなに老荘の思想を含めその周辺の知識がないので、 この際本(私の愛読書)に頼って、 How about... (1)『マンガ老荘の思想』 蔡志忠 講談社+α文庫 1987年 \1,262 (2)『マンガ老荘の思想 続』 蔡志忠,和田武司 講談社+α文庫 1991年 \1,262 上記の本ならわかりやすいのでは。 ちなみに(1)のほうにmamuku-がお望みのほうが載っています。

noname#254
noname#254
回答No.2

こんなのはどうでしょうか。  「渾沌」は「贈与する霊」だった。贈り与えることがその本質であって、与えた分だけ何かを得ようなどと賤しいことを考えない、純粋な「贈与の霊」だった。  ところがこれに「七穴」が穿たれた。渾沌は生まれて初めて、目を喜ばせ、耳を楽しませるさまざまな物事の存在を知った。「快」を知った。「快」を、もっと知りたいと思った。だが…  それは「得る」ことだった。与えるだけではなく「得る」ことを知った渾沌は、もはや純粋な「贈与の霊」ではなくなった。その本質を失った。だから死んでしまった。  「自分の言葉で」とのことでしたので、物語そのものだけを見て考えてみました(もともと老荘関係には知識がロクにないので、じゃまにならなかっただけですが)。  どんな感じでしょう?

  • cotiku
  • ベストアンサー率17% (38/216)
回答No.1

道教はあるがままを愛するので、儒教の「こうあるべきだ」に批判的です。コントンはそのままが素晴らしい。という意味でしょう。