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お金と哲学
お金に対して、小さい頃から植えつけられたいろいろな否定的な偏見や先入観がぬぐえなくて困っています。 なにか哲学的に肯定的にみる考え方などありませんでしょうか? よろしくお願いします!!
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幼い頃に「お金の神さま」とかいう昔話を読んだのですが、今から考えればかなり哲学的だったなーと思いましたので。 大富豪の商屋さんのところへお金の神さまがやってきます。で、なんか禅問答みたいなの。 ●お金を追い求めるなんて下道 富豪様もそういわれて落ち込んでいた時だったので、神さまが励まします。 「農家は美味しい野菜を作ろうと野菜を追い求める。武士は鍛錬と精神力を養おうと追い求める。商屋のおまえが金を追い求めるのも、道理だろう?」 ●お金持ちは根が腐っているやつばかり やっぱり富豪様もそういわれてました。 「土のなかに金を埋めればどんな木だって枯れてしまう。人間もそれを同じこと」 ●お金さえあれば全てうまくいく 富豪様はソレに関しては首を振っています。 どうやってもお転婆娘を大人しくさせることはできない。お金でどうにか出来ないことがあるから面白い。 ●お金を得る方法はペテン師にならなければならない 富豪様はいいます。「例えば料理をするのが得意な人が、料理を作ってお金を貰うのはペテンではない。ペテン師だって失敗すれば大損。結局どちらも同じように商売」 ●世の中は間違っている、お金持ちは本当は汚い人間で、まじめな人間はお金持ちになれない、なぜなら、その過程をみればわかる。 富豪様は偉く怒って言いました。誠実に生きてきて損をするわけがない。お金持ちが汚いのではなくて、お金持ちになって汚くなっただけのこと。 それも金に取り付かれたからだ。 それからお金の神さまが富豪様が正しい人だとわかったので蔵の中に住ませてもらうことになりました。 富豪様の子孫がワルイコトをしたらあっという間に蔵の中は貧乏に、誠実になるとちょっとだけ増えていったとか。 まあ、そういうわけで。
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母親が、四、五歳になった子どもに、100円くらいを渡して、「好きなように使いなさい。」といいます。 それは、四、五歳になった子どもが、100円を使うのに十分な分別を身につけただろう、という事で、渡しているのだと思うのです。100円を任せられるくらいに、成長したと言う、認めです。 同じように、いくらか労働した、それで、一万円の報酬があった。それは、一万円を任せても良いほどの責任と実力を備えた人材であると言うことで、社会が、報酬として、その人に託しているのだと思うのです。 社会に貢献できる個人であると言う認証として、報酬があるのです。 この認証を経て、個人は、マネーと言う、世界の共通語、社会的なるものを手にするのです。 子どものブタの貯金箱に入った100円も、ビルゲイツの動かす一億ドルも、それぞれ、母親(家庭)から託された100円、市場(国際社会)から託された、1億ドルなのです。 けして、個人が稼いだお金ではないのです。 託されたものなのです。 このマネーを、社会貢献のために運用する実力と責任があると認められた分だけ、個人はマネーを手にします。 ですから、率先して家事を手伝うなどの行動は、自己のアピールになり、それ相応の「信用」を、家庭から得ることになります。 同じように、率先して仕事に勤めるという行動は、社会から、それ相応の「信用」を得る、自己アピールになるのです。 1兆ドルのマネーを動かす組織は、それだけ、社会に、「信用」されているのです。そのように、社会から評価されているのです。 なぜマネーが「信用」なのか?それは、お金を付与することで、社会の力の一部を、貴方に託す、ということなのです。ソーシャルパワーなのです。マネーと言うのは。お金に、社会の力が宿っているのです。貴方の力を見込んで、社会が、貴方に、力を、分け与えているのです。お金を通して。 だから、お金の運用と言うのは、自分を活かすと同時に、社会貢献のために行われるのです。 ただ、個人が、社会の事を考えてお金を使うのは難しい場合が多い。自分のためだけに使ってしまいがちです。だから、社会のニーズに合った働きをしている人に、お金が流れてゆくようになっているのです。社会の風潮、ニーズ、そのようなものに敏感である人は、それだけ社会に必要とされます。つまり、お金を任されます。 お金の力について。 自給千円の日払いの仕事の帰り、そのバイターが、その内から百円、コンビニ募金したとします。彼の六分間の労働分です。その百円が、一本のワクチンになり、何処ぞの国の、子どもを一人、救ったとします。 こんなことができるのは、マネーだけです。 六分間働いて、人の命を助けると言う偉大な事を成し遂げたわけです。 えらいこったです。 つまり、社会は、貴方の労働(自己表現)が、どれだけ社会に貢献できるかを見極め、あなた自身で発揮できる力の何十倍もの力を、お金に宿して、貴方に付与しているのです。 なんてありがたい話なんや、ということです。 お金を所有すると言うことは、それだけ、社会的責任を負っているのです。 1兆ドルを扱う組織は、マネーの世界で言えば、大リーグの打席や、マウンドに立っているようなものです。 それだけのプレッシャーを受けて、マネーを楽しんでいるのです。一兆ドルの価値の、剛速球やら、魔球やらが、炸裂する打席です。それだけの実力を認められた者たちが、その責任を背負って、打席に立っているのです。我々は、彼らに、力を預けているのです。お金を通して。だから、お金持ちを応援しましょう。 しょぼいバッティングをしたら、降ろしましょう。 100円の小遣いをもらった子どもも、彼に相応しいプレッシャーを感じながら、マネーの打席に立っているのです。家庭がそれを見守っています。 子どもはそれが、うれしいのです。 地球はどんな顔をして、百円の打席やら、一兆ドルの打席、そして、打席にも立たない、社会に認知されない世界で生きている人々を、見ているのでしょう。 経済と言うコミュニケーションワールドを、楽しもう。表現して、信用を得て、どんどん、打席に立ちましょう。そう思う。
お礼
どうも本当にありがとうございます! はい!深く深く肝に銘じます!
補足
BABAaさんの場所をお借りします、失礼します。 皆様本当にありがとうございました! 唐突な質問にお答えいただき本当にありがとうございました。 これからも皆様のお言葉を胸に自分で答えを見つけれるようにがんばります。
- pastorius
- ベストアンサー率48% (538/1110)
金持ちはロクでもないというのは貧乏人のやっかみという可能性があります。 ぼくもどちらかというといつもやっかむ側です。 しかし日本で普通の生活をしている、世帯収入が300万円以上の家庭の人は、世界全体から見れば上位5%以内に入る大金持ちです。 自己弁護をさせてもらいますと、ぼくは世界の人類の中で5%以内に入る善良な人間では無いという自覚がありますが、世界の人類の中で5%以内に入る悪い人間でも無いと思っています。 人から賞賛されるような善行をしたこともありませんが、悪いことだって小さい頃に万引きをしたことがあってスピード違反や駐車違反で捕まったことがあるぐらいです。 ぼくの財布の中に5万円入っていることは悪いことでしょうか。 毎月20万円のお給料を30万円にしようと仕事を頑張っている人は、根が腐っているでしょうか。 世界で5%以内に入るお金持ちの家庭に生まれてきた標準的な日本人や欧米人は、生まれながらにペテン師で汚くて不真面目な人間でしょうか。 金持ちになる人間が汚いことをしているというのは正鵠を突いている場合もあります。しかし間違いなく単なるやっかみに過ぎない部分もかなりあります。 何事かを批判しようとするときには、はじめに自分自身を振り返ってみましょう。それにもうちょっと広い目で世の中を見てみましょう。 お金なんてしょせんお金以上のものではありません。 当時世界の富の三分の一を保有していたと言われるロマノフ王朝は、最期にどうなったかご存知でしょうか。
お礼
思考の転換ですね、なるほどです! 本当にありがとうございました!
- kobarero
- ベストアンサー率29% (106/361)
>「世の中は間違っている、お金持ちは本当は汚い人間で、まじめな人間はお金持ちになれない、なぜなら、その過程をみればわかる」 この言葉にご質問の意味が集約されていると思われますので、これについて回答させていただきます。一言で言うと、「どういう方法でお金持ちになったのか」によって評価は全く違います。お金持ちになるには、以下の5つの方法があります。 (1)自分で事業を興して利益を上げる。 (2)投資をして利益を上げる。 (3)投機をして利益を上げる。 (4)人から譲渡してもらう(遺産相続など)。 (5)不法な手段でお金を入手する。 (1)、(2)の方法でお金持ちになったのであれば、社会の健全な発展にとって貢献しているわけですから、評価すべきことであり、汚いことではありません。(3)、(4)については、基本的にニュートラル、すなわち、積極的に評価する必要はないが、だからと言って、非難すべきことでもないと思います。(5)は言うまでもなく、非難すべきであり、阻止すべきものです。従って、「お金持ちは本当は汚い人間で」のように、「お金持ち」を全てひとくくりにして批判するのは、非分析的で、あきらかに間違った考え方です。積極的に非難すべきは(5)のお金持ちだけです。 また、「まじめな人間はお金持ちになれない」。これは、恐らく正しい場合が多いかと思います。と言うのは、「まじめな人間」は、現在世間で一般に認知されている枠組みの中で、一所懸命やる傾向が強いからです。それに対して、社会は未来に向かって刻々変化しており、新しい枠組み、新しいインフラ、新しい事業を必要としています。それを満たすことができるのは、既成の枠組みの中で一所懸命、真面目にやる人間ではなく、失敗を恐れず、新しいことにチャンレンジする人間です。 新しいことにチャレンジしてこそ、お金持ちになれるチャンスもあります。しかし、新しいことにチャンレンジすれば、必ず、大きなリスクが伴うと同時に非常に大きな責任を背負い込むことにもなります。その結果、失敗すれば、借金を抱え込み、社員を路頭に迷うわせる可能性も少なくないわけです。それでも敢てリスクを取るかどうか、それが、真面目な人間として非金持ちで生きるか、事業で成功して金持ちになるかの差だと思います。 いわゆる「まじめな人間」は、この「リスク」と「責任」の重要度を正しく理解できない場合が多く、そのために事業家の価値を過小評価する傾向があるのではないかと思います。
お礼
素晴らしい、感無量です! なんというか勉強になります、ほんと。 どうもありがとうございました!
偏見や先入観ときめつけることはありません。 肯定できないものは否定してください(笑) 現代のお金は、多く持つものがより多く持てるように「つくられて」います。お金を貸して利子を取ることができるのは、そういう約束が信じられているからにすぎません。 複利などという、利息にも利息がつくような現象は、ほとんど言いがかりのような想像上の世界のことです。 そうした原理を称賛することに対して否定的な感じをもつのは当り前であって、「宵越の金は持たねえ」気質などは粋がっているばかりでもないのです。 貨幣とは人間の共存関係の強弱を断面からみたものです。異常にみえるものを正常と思ってはいけません。 否定的にみる考え方を肯定しましょう。
- frisk_blue_love
- ベストアンサー率48% (141/293)
質問者さんがお金持ちの家に生まれてコンプレックスを持っているのか、逆の立場で清貧に甘んじているのかは不明ですが、とにかく富を肯定したいのですよね? 「プロテスタンティズムと資本主義の精神」をお読みになってはいかがでしょう? (哲学カテゴリーですからこういった名著を紹介してもよろしいでしょ?) かってキリスト教(カトリック)ではイエスが「人は神と富とに兼ね仕えることはできない」と語ったため金=悪的な思想がありました。(そのためユダヤ人がキリスト教社会で金融業「しか」営めなかったのですが) しかし、どんな仕事も神から授かった天職であり、その報酬を無駄にしない事が神の意思にかなう、といった発想の転換が富の蓄積を可能にし、投資可能な資本主義が発生した訳です。 簡単に書けばこんな感じですけどお読みになれば、色々な意味でためになると思いますよ。
お礼
なるほど。 はい読ませて頂きます!私的に本紹介はとてもうれしいです^^ どうもありがとうございました!
- moumougoo
- ベストアンサー率38% (35/90)
お金って贈り物が進化したものだって聞いたことがあります(いまでもポリネシアとかにある貝や石でつくられたお金とかです)。現在は「富」流通させるための「もの/情報」であるのに対して「コミュニケーション」を流通させる(成り立たせる)ためのものってことですかね。人と人との関係性あるいは生活史を成り立たせるための道具が、文明の発展でいつしか「道具」のために人と人との関係も生活も作り変えられていったということでしょうか? と考えて、この中で変わらなかったことを探してしてみると、お金って、結局、人と人との関係や生活を写しだしているものであるということがあげられると思います?つまり、人と人との関係も生活も作り変えられたとはいえ、結局、お金はその作り変えられたものの象徴としてあるわけですし、大昔もコミュニケーションの道具として、やっぱり人を映し出していたのだと思います。 というわけで、上のような考えに立つとお金に対するネガティブイメージは二つあって (1)人間的な部分を切り捨てるような方向に世の中を変えてしまった(変えてしまう力がある)。あるいは、お金中心で世の中が動いているので、なんとも、人間として大事にしなくてはいけない部分を切り捨てられている感じがする。 (2)「富」の流通を中心に作り変えられた個々人の人と人との関係や生活が世の中に露出していく媒体としてお金が機能している感じがする。 ということではないでしょうか?これをよくよく見てみると、お金というのは実は私たちの姿を映し出すライトにしか過ぎないことがわかります。鏡に向かって罵声を浴びせても、鏡は変わりません。その声は私たち自身が聞き届けなくてはならないのではないでしょうか? ところで、私たちがお金を作り出してから大きく変わったことは他にもあります。それはお金が抽象化するにしたがって、その届く範囲が大きく広がったことです。いまや世界で人と人との結びつきができあがりました。これは、文明の流通だけではなく、文化の流通ももたらしていると思います。コミュニケーションのつながりを広げながら私たちはどうあるべきかということを考え続けなくてはならないのではないでしょうか?
お礼
本当にありがとうございます! かなり勉強になります! なるほど、たしかに私もそう思います。
- hakobulu
- ベストアンサー率46% (1655/3578)
哲学的ではなく論理的側面からのアプローチになってしまうと思いますが・・・。 #1さんへの補足の内容には、全てに「部分的真実」が含まれています。 友人の方は、その部分だけを取り上げて、 全体像であるかのように断定してしまっているわけです。 象の鼻だけに注目して、 「象は、長くて良く曲がる柔らかい動物だ」と言っているようなものでしょう。 ●お金を追い求めるなんて下道 :お金「だけ」を追い求めるのが外道なのは真実。 だが、お金を追い求めるから外道とは限らない。 お金を追い求めない外道もいる。 ●お金持ちは根が腐っているやつばかり :根が腐っているお金持ちが「一部」いるのは真実。 お金持ちだから、全て根が腐っているということにはならない。 お金持ちでなくても根が腐っている人はいる。 ●お金さえあれば全てうまくいく :お金「だけ」では解決できない事柄があることを、その人が知らないだけ。 単なる無知。 ●お金を得る方法はペテン師にならなければならない :ペテンが、大金を得る方法の「一部」であるのは真実。 だが、ペテンで必ずお金が得られるとは限らない。 また、ペテン以外でもお金を得られる。 ●世の中は間違っている、お金持ちは本当は汚い人間で、 :その人自身がお金に全面的な信頼を寄せているせいで、 お金持ちは本来、人格さえも優れている筈だという誤った先入観の裏返しである。 「一部の」お金持ちが汚い人間であるのは真実。 だが、お金持ちだから全て汚い人間だということにはならない。 お金持ちでなくても汚い人間はいる。 ○まじめな人間はお金持ちになれない、なぜなら、その過程をみればわかる :まじめでない人間も、必ずお金持ちになれるわけではない。 なれるのは、その「一部」である。 まじめな人間でお金持ちになる人もいる。 ---------- 以上、冷静に考えれば、 お金持ちであろうが、お金持ちでなかろうが、 色んな人間性を持つ人がいることに変わりは無い、という事がわかります。 ただ、お金持ちになるには「強い意志」が必要でしょう。 「強い」は「弱い」があって初めて成り立つ概念です。 「弱い意志」のまま「お金持ち」になりたがる人が、 お金持ちの「強い意志」には目をつぶり、一部の欠点だけをあげつらうのは、 劣等感の現われ以外の何物でもありません。 お金に固執しない人は冷静な判断をしています。 しかし、文面からだけでは、 あなた自身が「>否定的な偏見や先入観」に該当しないお金持ちであるかどうかは、わかりません。
お礼
本当にありがとうございます! 何度も深く拝見させて頂きます!
- kaitaradou
- ベストアンサー率8% (102/1147)
私は素朴なことしか考えられませんが、お金というのは物々交換を効率よく行うために考え出されたものだと思います。ただお金がお金を生む仕組みが確立されると、お金が人を支配するようになってくるのでいろいろなことが言われるようになるのではないでしょうか。必要なのはお金ではなくて人間が生きていくということなのだと思いますが、1)お金になるなら何でもやる2)お金にならなければ何もしないという二つの原則はお金だけが増えていくという結果になるのではないでしょうか。ピントも外れてしまったようです。
お礼
>1)お金になるなら何でもやる2)お金にならなければ何もしないという二つの原則はお金だけが増えていくという結果になるのではないでしょうか。 なるほど、どうもありがとうございます!!
- vagabond_0710
- ベストアンサー率26% (68/257)
●お金を追い求めるなんて下道 お金がなければ、社会の中で生きていくことができません。社会内で生きること は外道ですか?お坊さんみたいに出家しなければ外道ですか? ●お金持ちは根が腐っているやつばかり お金持ちの友達がいますか?つまり先入観ではないですか? お金があっても、なくても、その人はその人に変わりありません。 ●お金さえあれば全てうまくいく お金は社会のルールですから、社会内でお金が通用する範囲内であれば、うまく いくでしょう。 ●お金を得る方法はペテン師にならなければならない 僕はペテン師になった覚えはないけど、バイトでお金を得ているし、子供の頃は 親から小遣いをもらってきた事実があります。繰り返すけど、僕はペテンをした 覚えはありません。 ●世の中は間違っている、お金持ちは本当は汚い人間で、まじめな人間はお金持 ちになれない、なぜなら、その過程をみればわかる(友人に言われたのですが、 ムカツキました。でも潜在的にわかる気がしたので、自分自身にも腹が立ちま した) ・確かに、間違いのない世の中なんて見たことも聞いたこともありません。 ・お金持ちは本当は汚い人間かどうかは、お金を見て判断するからそう思うんで す。その人自体を観ていないのではないでしょうか? ・まじめな人間はお金持ちになれないのは、コツコツと働くしかないからです。 そこそこの収入はあっても、お金持ちになるためには、自分で事業を立ち上げる とか、宝くじにでも当たる運がないと難しいでしょう。 ・自分自身にも腹が立ちました なんだか、manabu3345さんの人柄を感じます。^^; 哲学的に考えれば、お金は相対的な価値であるゆえに、上限がないんです。つま り、お金が欲しいという「欲」にリミッターがないんです。本来「欲」とは、性 欲にしても食欲にしても、得たら満足する本能的なリミッターがあります。しか し、お金は人間が作ったルールですから、上限も自分たちで作るべきなのに、そ れがないから無限に追いかけるループに陥ってしまうんです。そうなると、欲深 い人間になってしまう。それが人間として卑しいことだと僕は思います。お金を ただ否定するのも、それと同じだと僕は思うんです。僕はお金だけを見て相手を 判断するのは、結局お金に魂をとられた状態だと思います。そうじゃなくって、 相手の人間としての人格とか、その人全体をそのまま受け入れることが大切だと 思います。
おはようございます。 私は、あまり詳しくありませんので、自信ないのですが、 私の知る限りでは、肯定的な哲学は見かけませんが、 まったく否定的ということも無いようです。 そもそも、お金に「良いお金」「悪いお金」は無いのです。 使う人次第です。 お金に否定的になるのは、人間の悪い部分を「お金」に 「責任転嫁」している、そう考えれば、肯定的になれるかも。 あら、同様の回答が・・・折角書きましたから、登録しておきます。 無駄な回答失礼しました。
お礼
なるほど、たしかにそうかもしれません。 どうもありがとうございます!肝に銘じます!
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補足
すいません、その本は今でも手に入りますか?非常に興味があります、文章を見ていても、なるほど、と感じます。 ありがとうございました!