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肯定するところから全てははじまる?世間的に観て否定
肯定するところから全てははじまる?世間的に観て否定な感情や決断も肯定した方がよいのだろうか? 哲学カテゴリー皆さんの ご回答のほど、 お待ちしております。
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- mon205
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随分と大雑把で乱暴な質問ですねぇ。。。 でも好きですよ^^思わず答えたくなります。 否定も肯定もあるからこそ、 人間って面白いなぁ~と思うのですが如何でしょう? そこに否定があるからこそ「逆の仮説」を立ててみたくなる →それが、いわゆる「肯定」なのかな? 仮に >肯定するところから全てははじまる と、しても 世の中には必ず否定する人が居ます。 私も否定したくなる人間かも知れません。 や、肯定の意見の中に「ん?そうかな?」と疑問を持ちたくなる物が存在しますから。。。 「哲学」と言う意味においては、 そもそも「世間的に観る」とは?なんぞや?
- 莽翁寒岩 一笠一蓑一杖(@krya1998)
- ベストアンサー率20% (605/2887)
そうかね、と一応見、聞き、受け入れてからの判断ということになりましょうね。素直に対する。 そして肯定して、矛盾を検証するという帰謬法もあると思います。
お礼
ご回答のほど、 ありがとうございます。
- g27anato
- ベストアンサー率29% (1166/3945)
何を「肯定」するのか分かりませんが、 現に存在するものは「存在」してる事自体は肯定しなければなりません。 存在理由、原因、そこから影響や結果まで検証してからでなければ、否定という結論には至らない筈です。 世間的に観るだけで「否定」という結論を導くのは早計です。 「感情」も「決断」も理由や原因が有ってこその結果です。 そこに結果が存在する事まで否定はできません。 検証によって過ちを見つけ出す事でのみ、その過ちを否定することで結論や結果を解消または抹消に至ることができるのです。 その経過を省いたまま直接的に否定することこそ過ちであり、 何の検証も是正もなく「肯定」とか「否定」とか結論だけを求めようとする姿勢こそ、 明らかに否定されなければならない事だろうと思います。 結論…存在の確認により存在自体を「肯定」又は「否定」することに始まり、 事実や論理の誤認の有無を検証した上で経過の正誤について「肯定」又は「否定」を重ね、 最終的に「感情や決断」といった結果の整合性を判断してからでなければ、 「肯定」とか「否定」という結論まで導き出す事は不可能です。
お礼
ご回答のほど、 ありがとうございます。
- nekosuke16
- ベストアンサー率24% (903/3668)
否定的な感情や決断を肯定する必要はないでしょう。 そうではなくて、そうしたものも一つの感じ方であり考え方、意見として尊重し、認めるところから全てが始まるということでしょう。 要は、人それぞれ、十人十色を理解するということです。
お礼
ご回答のほど、 ありがとうごさいます。
お礼
ご回答のほど、 ありがとうございます。