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哲学での孤独の解釈は?

ラジオで孤独の危険について話していたのですが(結論はプライド捨てて無心に友達と話そうだった気が笑)、最後に哲学者の孤独を愛する事について否定していました。 それについて、近所のカフェのオーナーが哲学者だったので、散歩がてら久しぶりに伺いたかったのですが、何やらただの休業には思えず、調べてみると閉店していました。合掌。 と、いうことで。孤独について、哲学ではどう考えるのか教えて下さい。

みんなの回答

  • Nakay702
  • ベストアンサー率79% (10004/12512)
回答No.5

お礼を拝見しました。 >私は精神病なんですが、以前、病院の心理士に遍歴を話した時に「生き方を変えるって凄いんですよ」「普通はできないんです」と言われました。それがあなたのおっしゃる「諦念の境地」「悟り」に近いのかなと思いました。 ⇒そうですか、頑張って「生き方を変えていらっしゃる」のですね。それは、確かに、ある意味「諦念の境地」であり、「解脱」とも言えるでしょうね。 つまり、foreverogaiさんは、今こそ「絶対的自由」を手に入れられたわけですから、最も好きなことをなさって日々満足しながら過ごせばよいのだと思います。そうしている間に、さらなる高みに到達できるかも知れません。どうぞ、お心豊かに! ^o^🚩

  • oska2
  • ベストアンサー率44% (2300/5115)
回答No.4

>孤独について、哲学ではどう考えるのか教えて下さい。 「孤独は、自ら選択できる。孤立は、自ら選択できない」 「孤独・孤立を愛するか否かは、当事者次第」

  • Nakay702
  • ベストアンサー率79% (10004/12512)
回答No.3

以下のとおりお答えします。 >孤独について、哲学ではどう考えるのか教えて下さい。 ⇒哲学は、孤独をあまり否定的には考えません。孤独を歓迎するとまではいかないかも知れませんが、哲学的な問題を考えようとすれば、必然的に孤独にならざるを得ない、ということでしょう。「人は、独りでいるときでなければ、成長できない部分がある」とも言われます。 我々の関わる心理的精神的問題の一つに、社会的抑圧・不条理・矛盾や、己が背負う不治の病などに対する心的苦悩があります。我々はどうしても煩悩や欲望を免れませんので、何とかそれを解消したいともがきます。しかし、それが不可能であると知れば知るほど解消したいという願望もまた強まります。 孤独の問題もこれとよく似ています。我々の多くは、孤独を陥ると、それを何とかしようと画策する余り、無理に他人とつるんだり、不自然な振る舞いで友だち作りを考えたりします。しかし、社会的な不条理にしても、個人的な孤独感にしても、いかなる画策をしようと、所詮は空しいワルあがきに過ぎない、ということがよくあります。 そんなときこそ、諦めの見極めが大事です。いわば「諦念の境地」です。ある種の「悟り」とも言えます。そのような「悟りを開いた」ときの顔は柔和です。あの、鬼のような顔、あのワルあがきの時の夜叉面とは雲泥の差があります。まさにこれこそ哲学的な(孤独への)考え方であり、対処法であると思われます。我々は、《この完全なる諦めの心境を得た時にはじめて、真の自由を手に入れるのだ》と、哲学は教えます。

foreverogai
質問者

お礼

私は精神病なんですが、以前、病院の心理士に遍歴を話した時に「生き方を変えるって凄いんですよ」「普通はできないんです」と言われました。 それがあなたのおっしゃる「諦念の境地」「悟り」に近いのかなと思いました。 しかし、我が道を行くという悟りだった為、心は軽くなりましたが、道は自然と険しくなり笑

回答No.2

 哲学の孤独というか、文学の孤独は、夏目漱石や芥川龍之介や太宰治の共通問題として感じます。  太宰治は、愛について、たぶん最終的に自分は自分でいいと受け入れることが普通の自立ですが、「人間失格」ということは、たぶん孤独な自分を(自分は人生の失格者なんだ)と受け入れてしまったことが、彼の悩める本質かなと思います。  普通は自分を受け入れて前に進むべきところを、自分を失格者として前向きに生きるということは相当辛いことではないかとはちょっと想像します。  普通の人は、生きづらさは感じるけど、それを突き詰めるまでいかないところを、文学者は突き詰めて孤独を考えたりするのでしょうか?

回答No.1

a) 善人は嫌われると、ソクラテスは言いました。善人は善かれと思って、お節介もしますからね。日本では特に周囲に同調することが求められるので、周囲と同じことをしない善人は嫌われるでしょうね。 だから、本人が孤独を望んでいなくても、孤独にならざるを得ない人もいるのです。 b) 現在、メディアは権力の道具に堕しており、ひどい状態になっており、言論の自由もありません。だから、TV、ラジオなどは視聴すれば、洗脳されかねません。新型コロナ報道がそれを証明しました。コロナ・ワクチンは毒物なのに、反対するメディアはほとんどありません。

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