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いくら勉強しても哲学がわかりません
私は大学は哲学科でした。 その頃は「人生とは何か」みたいなことを考えて入学しました。 大学に入って、勉強はたくさんしました。 それこそ思いつく限りのことはしました。 入門書も専門書もたくさん読みました。 でもまだ哲学が何なのかわかりません。 奥の深い学問だということはわかっているのですが。 そもそも哲学を極めた方っていらっしゃるのでしょうか。
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質問者が選んだベストアンサー
「哲学がわかりません」と言えるのは、哲学をわかっているから言えるんです。わからないものだということを、わかっていないから、そう言うに過ぎません。ずばり、midori0808さんがおっしゃる、哲学の極みとは何でしょうか?それがこの質問の回答になります。
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- raca
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こんにちは、racaです。 何事もそうですがその道を極めると言うことはそれを超えて 新たな境地を求めるということではないでしょうか。 いにしえからの言葉に「守・破:離」と言うのがありますが、 すなわち、まずは教えをかたくなに守り覚える、そしてそれを 超えて破る、さらにそれを増幅させるがごとく新境地へと離れる。 ご質問の哲学とは何か、、であれば「哲学の追究」ではないかと 私は思います。 哲学と言う基本形たる公式を使ってそれを縦横無尽に展開させる ことが学問の昇華たる応用と言えましょう。 したがって決まった形や、これで終わりというのはないでしょう。 物事の極みとはそういうものかと私は考えます。 愚考ですが、ご参考になれば幸いです。
お礼
アドバイスありがとうございます。 私もこれで終わりというのはないのかなと感じています。 何しろとても奥の深い学問なので。
- baihu
- ベストアンサー率31% (114/357)
他の方が回答されているのにほぼ同意見ではありますが。 > No.3の方のお礼にも書きましたが、哲学科を卒業しているにも関わらず、「哲学とは何か?」と聞かれると答えられない。 > そんな感じです。 哲学を専攻していたわけではありませんので、質問者と同じ感覚を持ってはいないと肝に銘じつつ書きます。 剣道範士八段の方を知っているのですが、これはその道では「極めた」人物と言って過言ではありません。その方は「剣の道とはなんでしょう」と聞かれて、「そないな難しいこと訊かれても、ようわからんなぁ」と言って、呵呵大笑してました。 自然科学や社会科学、芸術、技術の世界でも、同じような逸話をよく聞きます。極めた方というのを、そんな風に答えられる人と定義してもいいのではないでしょうか。 「○○とは何か」という問い自体、見方によっては、未熟で稚拙なインタビューの典型のように感じます。質問を向ける相手に、中身のない質問の“具”を想像(創造)させようという卑怯さすら感じます。相手に問いを作らせているのですから。 単なるテクニックでしょうが、こういう質問には「○○とは、即ち××である」と、何でもいいから突拍子もない回答(笑)を先に示し、「なんとなれば~~」と、“かような質問と理解した”という問いの部分を後で付け加えるという対処法があります。問い自体が空白で提示されているのですからフェアです。思考ゲームとしても面白いと思います。しかも悔しいことに、こういうインタビュアーはそういう答えを期待しています。 真剣なご質問にオチャラケで返すつもりは毛頭ありませんが、哲学者、土屋賢二氏はご存知でしょうか。私はこの人のエッセイを読んで、「哲学者とは、何にでも拘泥できて、何からも逸脱できる人なんだ」という思いを持ちました。
お礼
アドバイスありがとうございます。 質問してくる相手というのが、大体年上の人で、私は全然そんなつもりはないのですが、哲学を勉強したからって人生をわかったつもりになっているんじゃない、という感じの意地悪な形で質問してくるんです。 哲学を勉強したことのない人から見れば、哲学って聞いただけでなんかわけのわからない無駄な学問って思うんでしょうね。
回答への回答を拝読しましたが、なんだかmidori0808さんは、ちゃんとご自分なりの哲学の理解を持っていらっしゃるように思えました。 素人ですのでこれ以上の発言は差し控えます。
お礼
回答ありがとうございます。 そうですか。 自分で気がついていないだけかもしれませんね。 薄っぺらな理解はもっていると思いますが、何しろとても奥の深い学問なので。
- ZeroFight
- ベストアンサー率15% (30/189)
〈インド哲学や中国の老荘思想なんかは人生観にせまっていたかなという感じがします。 〉 東洋思想を本から学ぶのは不可能です。東洋思想はすべて身体的実践と一体になっています。本に書いてあるのは薬の効能書きみたいなもので、薬の効果は薬を飲んでみなければわかりません。いくら禅書を読み、辞書を引き、「無」という文字を眺めても、実際に座ってみなければ、禅の「無」はわからないでしょう。老荘はよく知りませんが、「道」も同じだろうと思います。
お礼
再度の回答ありがとうございます。 東洋思想は西洋哲学に比べるとやっぱり自分が東洋人なのでわかりやすくて、ふむふむと思える部分が大きいのですが、いざそれを日常生活で実践するとなると難しいですよね。
- ZeroFight
- ベストアンサー率15% (30/189)
失礼ですが、通俗的な「哲学」を西洋哲学に求めているのではありませんか?そうだとしたら、パン屋に魚を買いにいくようなもので、答えが得られるはずはありません。 日常語で「哲学」というと、生き方とか、世界観とか、信条という意味が期待されているようですが、西洋の哲学は知とは何かを考える学問であり、「人生とは何か」とか、世界観とか、信条を教えてくれるどころか、逆にそうしたものに疑問をつきつけます。ソクラテス以来、それが西洋哲学の役割です。
お礼
回答ありがとうございます。 別の回答者の方のお礼にも書いたように、私は西洋哲学より東洋哲学に主に答えを求めて勉強しました。 インド哲学や中国の老荘思想なんかは人生観にせまっていたかなという感じがします。
- vagabond_0710
- ベストアンサー率26% (68/257)
「哲学とは何か?」 ⇒「一言で答えられるものじゃない」 これがまさに、midori0808さんのお答えじゃないですか。 もし間違っていたらすみません。僕の勝手な推測だと、大学まで行って哲学に殉じたのに、スッキリしない。つまりmidori0808さんがおっしゃる自己満足という極みの境地まで行き着いていない。そのことに不満を感じる…のではないでしょうか。 僕は独学で、哲学をしています。断っておきたいのが、学問の哲学を学んではいません。哲学の歴史とか、有名な人とか、全然知りません。ただ自分の人生において、大変に困ったことにぶつかり、苦悩し、その結果啓けたから、自称で哲学をしている、と言っています。 学問の哲学と、悩む哲学は違うと思うんです。僕は学問をしていないので、それについて語れませんが、自分の人生を切り開いてきた哲学については、自信を持って語ることができます。哲学をすることによって、自分が救われた経験があるからこそ、自信があり、midori0808さんがおっしゃる自己満足という極みの境地まで行き着くことができたと自負しています。不遜と思われるかもしれませんが、こればかりは、頭の中のことなので、僕自身が支えないとなりたたないことなんです。なので、結局、midori0808さんがおっしゃる通り、自分で答えを探すしかないのだと思います。No.5に書いたように、midori0808さんがおっしゃる、『極み』こそが、この質問の回答になります。
お礼
アドバイスありがとうございます。 よく哲学を勉強したことのない素人が「哲学なんてわざわざ勉強しなくても、人生を生きてればおのずとわかってくるんだ」なんて偉そうなことを言いますが、哲学と人生を歩んで得たこととは違うと思います。 別にこれは回答者様を批判しているわけではないんですよ。 ただ哲学もよくわからずに人生哲学なんて言いながら語っている人がいるので、余計哲学をわかりにくいものにしている気がします。
- nabayosh
- ベストアンサー率23% (256/1092)
いろいろ哲学の勉強をしました。 でも、他人の頭で考えたことなど、わかろうはずもなく……。 結局自分の頭で考えたことが、後で他人の著作に見いだされる、といった感じになるのです。 哲学の知識を持つことはあまり重要ではありません。 哲学の基本は、知識ではなく、知恵にある、と私は感じます。 自分で何か素晴らしいことがわかってしまうと、他人がいかに難しい理屈をこねくり回していることか、と思ってしまいますね。 哲学の用語などは確かにある現象に名前をつけるという意味ではよいのですが、それは考えるためにラベルを貼るだけで、知恵の足しにはなりません。 他人がどう考えた、ということは知識で止まってしまいます。知識とは、ヒントのようなものです。たくさんのヒントを得れば得るほど、知恵につながりやすくなります。中には一を聞いて千を知る人もいるでしょう。その「自分で考える」というのが、哲学だと思うのです。 ただし、私自身の考えでは、「自分」というものは便宜上のものでしかないと思うので、なんとも難しいのですが。 しかしまあ、私が考えぬいて出した答が、反社会的な内容だったので、どうも困ったものだと思っております。きっともっと極めると、大変なことになるのかもしれません。 散らかった回答になってしまって済みません。
お礼
回答ありがとうございます。 >しかしまあ、私が考えぬいて出した答が、反社会的な内容だったので、どうも困ったものだと思っております。きっともっと極めると、大変なことになるのかもしれません。 私も多かれ少なかれ反社会的な内容になっていきます。
- mmky
- ベストアンサー率28% (681/2420)
哲学がなんであるかを極めた方々がいたから哲学があるのですね。現在もそうです。しかし、多くの場合は、哲学を論理学のように小さくしか解釈しかしない方が哲学を教えるからわからなくなっているだけです。哲学とは膨大な真理知識の大河を知り鳥瞰する学問です。その中には「人生とは何か」もはっきりとあります。自らで解けない場合は、師を探すことも必要ですね。そのために必要な知識もいりますね。あるいは、そのような師にめぐりあいたいという強い信念がないと会えないものでもあるね。いつの時代でも極めたかたはいるのですね。
お礼
アドバイスありがとうございます。 哲学を極めた方、いると思います。 でもそれって誰にでも通用する極め方じゃなくて、自己満足なんですよね。 だから思想がいろいろあって、どれが正しいのかわからない。 結局自分で答えを探すしかないのかなと思っていますが。
- kaitaradou
- ベストアンサー率8% (102/1147)
哲学が分からないと言うのは、哲学を理解の対象としているという意味にも取れます。ある哲学者の研究をしている人がたくさんいますが、そういう人は哲学を対象にしているので筒額を実践しているのではないと思います。私の理解する限りは貴方の疑問は人生が対象であったのが、後になると哲学が対象になっているように読めるのですが、私の間違いでしょうか。
お礼
回答ありがとうございます。 補足要求に答えます。 両方だと思います。 人生とは何か?について探ってみても、人によって見解が違っていて、どれが正しいのかわからない。 No.3の方のお礼にも書きましたが、哲学科を卒業しているにも関わらず、「哲学とは何か?」と聞かれると答えられない。 そんな感じです。
- kayuyuka
- ベストアンサー率28% (4/14)
ほかの方も言ってらっしゃいますが、貴方のその問いがすでに哲学なのではないでしょうか?疑問を抱くこと、答えを捜し求めること、これ、哲学ではないかと思います。あなたのように「知を愛する」方はすでに哲学なのではないかと思いますよ。 哲学とは、人間であることの証明であり、生まれてから死ぬまでの学びが哲学ではないのか・・と私は思っています。
お礼
アドバイスありがとうございます。 確かにそういう意味では「哲学」はしているかなと思います。 でも私が哲学科を卒業したことを知っている素人に、「哲学とは何か?」と聞かれると答えられないんです。 「一言で答えられるものじゃない」と一応言っておくのですが。
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お礼
回答ありがとうございます。 確かに哲学を全く勉強したことがなければ「哲学がわかりません」とは言いませんよね。