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経験論哲学について
先日、経験論哲学というもを知った者です。それまで私は哲学は(失礼ですが)意味不明なことを考えてる学問だと思っていました。しかし経験論哲学というものを知ってかなり驚きました。 先入観では哲学は経験とは対照的なものだと思います(哲学は実体のないものを考え、経験は実体そのものなので)。経験論哲学は哲学の一種だと思うのですが、そもそも哲学とは何を考えているのでしょうか?
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質問者が選んだベストアンサー
そもそも哲学とは、知を愛するという意味のギリシア語で、人間の知的欲求の赴くままに、色々な学問を生み出した大本の発想です。 今は、学問は機能分化されていますが、少し前までは、哲学は学問も総称とされていました。 学問を体系的に分けた結果、哲学は、思考を科学するという一分野に落ち着きました。 現在の哲学は、だから、人間の思考を体系的に、科学的に分析をする学問となります。
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「念」だとおもいます。
お礼
ご回答ありがとうございます。 「念」という一語だけでも、今の哲学があるのですから、そう考えるとすごい学問であると思います。
- v7nV1dZjx
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>そもそも哲学とは何を考えているのでしょうか? 真実です。
お礼
ご回答ありがとうございます。 >真実です。 難しいですね。奥が深そうです。
- magga
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経験論哲学ですか。それに出会って驚いたのですね。 きっとこちらにも驚きがあると思います。 サンガ出版の「仏法」です。論理的に理性的に無知な我々がどのような過程を持って物事を検証思考し、自ら実感として実証していくのか。その方法が矛盾無く順序良くまとめられています。 八正道の「正見」の項目を観るだけでどれだけ理性的なものか感じることが出来るとおもいます。 私には語りつくされているようにも感じます。あとは各々が確かめ実証するだけかなと。 哲学は以前哲学の教授が言うには「ただ新しい考え方を出してみるだけだ」というようなことを言っていました。 このような態度なら、実際とかかわりの無いこも多いでしょうね。
お礼
ご回答ありがとうございます。 また返事が遅くなってしまいすみません。 他の回答者様がおっしゃている通り、驚くことばかりでしょうね。 哲学は思った以上に難しいものではないかもしれません。
- harepanda
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そもそも哲学とは何かといわれれば、ギリシャ語で考えることが好きという程度の言葉です。当然、いろんなものの考え方が出てきて、人によって、言っていることがバラバラなのも珍しくありません。 経験論くらいで驚いるようですが、功利主義を調べてみたら、さらに大きな衝撃を受けるでしょう。「こんなのが哲学なの?」って。 哲学は様々なテーマを扱います。倫理学(人はどのように生きるべきか)、美学(美しいものの本質や性格は何か)、認識論(なぜ人間は世界を見ていると言うことができるのか)、社会思想(今の社会は正しいのか間違っているのか、法理論的にはどう考えるべきか)、宗教哲学(それぞれの宗教をどのように理解すべきか)など、きりがありません。 今の学者は、ひとりひとりが、細かい専門分野に集中して研究を行います。しかし、昔の学者は、ひとりでどんなテーマをも考えるのが当たり前だったのです。 ルソーは自然法理論と呼ばれるタイプの社会思想の歴史では、まれに見る天才ですが、あの「むすんでひらいて」を作曲したことでも知られています。教育論についても本を出していますが、自伝「告白」では、露出狂だったとか、生まれた子供を孤児院の前に捨てたとか書き、世間に衝撃を与えました。内容もショッキングですが、そもそも、当時は自伝というジャンルが存在しなかったのです。 カントは、惑星や太陽系がどのようにして出来たかを語ったことで有名ですが、人間の認識能力はどのようなものか、とか、人間はどのように生きるべきか等を詳しく書きつらねました。彼には、小論文に「永久平和のために」というものがあり、国連のような組織の構想が語られています。 この2人を見るだけで、大哲学者と思われている人が、意外と哲学の範疇からはみ出していることが分かると思います。 経験とは全く無関係な哲学が存在するかと言われれば、非常に存在は難しいであろうというのが私の見解です。どんな人でも、生れ落ちた時代や階級や経済状況に影響を受けてしまうからです。マルクスはこれを、「意識が存在を規定するのではなく、存在が意識を規定するのだ」という言い方でまとめました。私は21世紀に生きる日本人としての発想法をどうやっても引きずってしまい、主観的なものや経験的なものをそぎ落としていく訓練をしても、経験と無関係な哲学に到達することは出来ないでしょう。 哲学が難しく感じるのは、理由は4つしか思いつきません。 1)日本語訳が悪くて難しく見える。原語では簡単である 2)読んでいる哲学者と、自分の発想法の相性が悪い。もしくは、その哲学者の問題意識を理解できるレベルに達していない 3)過去の哲学者を語るにあたり、歴史的・文化的背景を考慮していない 4)簡単なことをわざわざ難しく言うタイプの哲学者がいる 1)の典型はヘーゲルかな。逆に、原文で読むと、すらすら頭に入ってくるのですが、よく考えてみると、そんなに安易な読み方で正しいのか、物事の定義があいまいではないかという疑問が出てくるタイプです 2)surimuji様は、経験論を批判的に受容したカントが面白いと思います。ただし、簡単ではありません 3)ノストラダムスの予言書解読の世界では、7つの丘という言葉をめぐり、日本人が様々な見解を提起していたのですが、これは西洋史の基礎知識に欠けたものです。7つの丘といえば、ヨーロッパではローマのことなんです 4)ハイデガー。カントを難しく言い直したものという性格が強いように思われます。巻き添えをくって、ハイデガー批判を展開するアドルノが、難しい哲学者になっているような気も
お礼
ご回答ありがとうございます。 経験論哲学も哲学の中ではほんの1つに過ぎないんですね。結果的に、哲学は万物について考えている学問だと認識しました。 >1)日本語訳が悪くて難しく見える。原語では簡単である 確かにに「哲学」という訳も、ちょっと気が引けてしまいますね。
- donguridog
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基準だと思います。
お礼
ご回答ありがとうございます。 基準ですか・・・。 難しいですね。
お礼
ご回答ありがとうございます。 >知を愛するという意味のギリシア語 これにぴったり該当する日本語はありませんね。 哲学は「思想だけ」というわけでもないのが意外です。科学的にも考えるとは思ってもいませんでした。