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花山天皇の出家について
花山天皇は、なぜ出家したのですか?藤原道兼に騙されたのですか?
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>花山天皇は、なぜ出家したのですか?藤原道兼に騙されたのですか? 当時は、天皇家よりも藤原一族が権力を持っていました。 まぁ、権力が無いので天皇制が未だに続いているのですがね。 花山天皇は17歳で、即位しました。 が、藤原道兼は「幼い(懐仁親王)を天皇にして、実験を握りたい」と考えた訳です。 「弘徽殿の女御が亡くなった供養に、私も出家しますから一緒にお寺に行きましよう」と、花山天皇(19歳)を出家させようと企んだのです。 ※花山天皇が愛する弘徽殿の女御は、懐妊中に死亡。 ところが、藤原道兼は裏切って「花山天皇だけを出家させた」のですね。 「既に、三種の神器は次の天皇に渡っている。出家を止める事は出来ない!」 抵抗出来ない事を悟った天皇は京都・元慶寺で出家し、花山法王になります。 その後、人生をはかなんで徳道上人(長谷寺開山)が始め衰退していた西国33所巡礼を復興したのです。 最期は、兵庫県三田市の隠居していた花山院菩提寺で崩御しました。 と言うのが、西国33所関係を基にした表の姿。 裏では、出家後も女性に対しては奔放でした。^^; まぁ、出家と言っても19歳ですからね。 女性関係が派手で、藤原一族との闘争に関与したのです。 当時の記録では「内劣りの外めでた(見かけは立派だが中身が伴わない)」と最悪の評価でした。
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- ithi
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kiyurohi88さん、こんばんは。 花山天皇の性格はとても気まぐれだと言われています。確かに忯子という女御が妊娠中に死亡したのを弔いたいとの考えから、出家を考えましたが、側近の藤原義懐や関白の藤原頼忠が止めています。でも、兼家は孫の懐仁親王(一条天皇)即位をもくろんで、息子の道兼に花山天皇を出家させようと唆したようです。詳細は下記のURLを参照ください。 花山天皇 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8A%B1%E5%B1%B1%E5%A4%A9%E7%9A%87
お礼