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出家
源氏物語で源氏の君の妻などが出家するシーンがよくありますが、すごく「悲しい」シーンになっています。出家というのはそんなにも悲しいことだったのでしょうか?死と同じくらいに悲しいものなのでしょうか?
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古典(特に平安時代)のなかの出家とは、親族や友人など全ての縁を断つことです。 「出家」は、世間からその存在を抹消されるという意味では「死ぬ」と同じくらいの重さがあったのです。 出家した人は例えば自分の子供が重病でも死んでも、会いにいくこともできません。 本人も自分の近況を頻繁に知らせたりせず、ひっそりと人知れず亡くなっていくというふうだったようです。 (これは極端に言えば、ですけどね。実際はもう少し交流もあったようですが。) また、交通手段が発達していない時代ですから、今なら車で30分という距離でも、一日がかりで行かなくてはならないというような意味でも、気軽に会えることはなかったのでしょう。 死んだわけではないので、会おうと思えば会えるけど、手紙のやり取りもできるけど、心情的・物理的に今までと同じようにはつきあえない、という悲しさがあったのではないでしょうか。 また、平安時代は都以外は未開の地であり、御所に入れる貴族以外は人ではないというくらいの意識があったようなので、そういう意味でも哀れさがあったと思います。
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- megukoko
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瀬戸寂聴さんは「出家とは生きながら死ぬこと」とおっしゃっています。 源氏物語の中では、光源氏自身もわりと早くから出家願望を持ちますが、なかなか実現はしません。妻たちの行く末が“絆し(ほだし)=人情にひかれて自由が束縛されること”になっているからです。逆に言えば、出家=妻たちに対する人情(=情愛)を捨てることなのです。 出家をするということは、ひたすらに仏の道を求めるということで、それ以外の私個人の俗世間への関心を追い求めるのはいけないことなのです。 出家をする側からすれば、妻(夫)や恋人への思いを断ち切ることは死ぬのと同じくらい悲しいことだし、妻(夫)や恋人に出家される側からすれば、思い焦がれる相手が二度と自分を意識の内に置くことが許されない立場になってしまうことは、やはりとても悲しいことなのだと思います。
お礼
読んでいても、そう感じました。 ありがとうございました。
- jinchanda
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源氏物語は読んだことはないのですが、出家すると言うことは、俗世間から離れ隠棲するイメージがあります。 僧籍に入ると言うことは、戒律を守り、いわゆる男女の中にはなれなくなるので、相手が死んだと同じくらいの気持ちになったのかもしれませんね。
お礼
ありがとうざいました。
お礼
詳しいご説明、ありがとうございました。