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大鏡 花山天皇の出家

花山天皇の出家のとき「みそかに(ひっそりと)」出家とありますが、 出家とは一般的に「ひっそりと」行うものだったのでしょうか。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • fumkum
  • ベストアンサー率66% (504/763)
回答No.2

出家とは仏門に入り、俗世間を捨てて仏道修行に入ること、より簡単にいうと頭を剃って僧侶になることです。当時の考え方では出家することは、生きてはいますがこの世の人でないと考えられ、俗世間の地位にはつけないことになっていました。天皇の位は俗世(間)にあるものですから、出家することは天皇の位から下りる(退位する)ことを意味します。 この当時の考え方を利用して花山天皇を退位(出家)させ、自分の外孫である皇太子(東宮)の懐仁親王(一条天皇)を天皇に即位させようと計画したのが藤原兼家(東三条殿)です。天皇をだまして出家させ、退位させることを実行したのが藤原通兼(粟田殿)です。ですから、この出家は一種の宮廷クーデターで、政権の交代を意味しました(一条天皇の即位。兼家の摂政就任=政権掌握。前政権の中心の天皇の外叔父の藤原義懐かの出家=政界からの引退)。ですから天皇の出家はひそかに行われたのです。 当時の天皇をはじめ上級貴族の出家は、どちらかというと一種の儀式で、あらかじめ出家の日にちを決め、導師もはじめ諸役の僧なども決めて、関係者に知らせた上で行われることが一般的でした。しかし、仏教の盛んな時代ですから、この世を捨て、仏門に入る者も多くいました。貴族の子弟で将来有望な若者が突然出家することはよくあることでした。藤原道長の子息の顕信も、前途有為の24歳前後で、両親にも告げずに、突然出家をしています。この様な例は珍しくない時代であったことがこの件の背景にはあります。だからと言って天皇の秘密の出家・退位は例がありませんが。 天皇が出家の意志を持ったのは、寵愛していた女御の藤原忯子(弘徽殿の女御)が妊娠中に死去し、この世の無常を感じたことに始まるとされます。この気持ちを兼家に利用され、側近として仕えていた通兼(粟田殿)に「私も共に出家しますから」とだまされて出家したと文章はなっています。三種の神器が東宮方に渡ったことや、源氏の武士たちが警護したことなどからも計画された出家・退位であることがうかがえます。

sagimi
質問者

お礼

分かりやすかったです! ありがとうございます!

その他の回答 (1)

  • misawajp
  • ベストアンサー率24% (918/3743)
回答No.1

異常な事態だから、みそかに出家 と書かれているのです 昔からそうですが、そのときに通常に行われていたことは特筆されません、通常のことでないから記載されているのです 現在で言えば 6~15歳のこどもは小学校か中学校で勉強しているのは通常のことです、ですからあえて書かれる事はありません、不登校ならば書かれます 日記でも三食を通常通り摂っていれば、あえて書かないでしょう、通常でない外食をしたときには書くこともあるでしょう ですから、勘違いし易いのですが、日常茶飯事のことを記録から見つけ出すのは非常に困難なのです

sagimi
質問者

お礼

参考になります!

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