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江戸時代。他藩の城の天守または城内に入った人。
坂本龍馬は、慶応3年11月、福井城で春嶽に拝謁しています。 この例のように、城内に他藩の人を招き入れた事例はありますか。 他藩と言っても、領主同士が親子とか兄弟の場合を除きます。 最上階とは限らず、天守または小天守に招き入れた例はありますか。 よろしくお願いいたします。
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大名家同士の交流というのは普通にありますから、城内に他藩の人を招くこともさほど珍しくないと思います。 備前岡山藩の藩政資料などを集成した池田家文庫のデータベースで「使者」and「登城」をキーワードに検索すると ・松平相模守様御使者登城之次第(1801年) ※松平相模守は第7代鳥取藩主池田斉邦 ・中川修理大夫様御使者登城之一件(未詳) ※中川修理大夫は豊後岡藩主(藩主は代々修理大夫) ・松平美濃守様御使者登城之次第(1835年) ※松平美濃守は筑前福岡藩主黒田斉溥 といたように、検索でヒットした標題から、いろんな大名家からの使者が登城していたことがわかります。 池田家文庫マイクロフィルム目録データベースシステム https://ousar.lib.okayama-u.ac.jp/ikedake/micro/ja
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- jkpawapuro
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回答No.1
天守は使ってないと思いますが、たとえば白石会議ですか? 白石城に奥羽越列藩同盟の代表が集合しています。
質問者
お礼
ご回答ありがとうございます。 なるほど、奥羽越列藩同盟の例がありましたね。 もともと、防御の秘密を守るため、他藩の人を城内に入れることはなかったはず。 文人墨客、学者などは藩校に招くと思うのですが、中には城内に招待された人もいたのではという、疑問です。
お礼
ご回答ありがとうございます。 具体的な事例でよく分かりました。 岡山藩に限らず、他藩も同様だろうと推測できます。 藩の付き合いは、江戸藩邸が主と思っていました。 よい資料を教えてくださって誠にありがとうございます。 「使者」and「登城」以外でも何か面白い事例が見つかりそうです。