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江戸時代の人
江戸時代の人は週に何回くらいお風呂に入っていたのでしょうか? 髪も毎日洗っていたのでしょうか。
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えた・ひにん、または極端な貧困層を除く、一般的な武士・町人・百姓等についてのご質問だと考えてお返事させていただきます。 杉浦日向子氏によれば、江戸在住の人々の場合、毎日朝夕の2回入浴していたとのことです。また、宮本又次氏によれば、第二次大戦前の時点では、東日本が3~5日に2回、西日本がひと月に1回~2回の入浴が平均であったとのことです。これが江戸時代と全く同じ頻度であるかどうかは不明ですが、近いものがあったと考えると、江戸という大都市では毎日、江戸以外の在方では3~5日に一回以下の入浴頻度である、ということになるかと思います。 江戸や宿場町等には公衆浴場(湯屋、風呂屋)がありました。また、入浴代金は幕府の決めた公定料金であり、格安に抑えられていたため、入ろうと思えば毎日でも入浴は可能です。それにし対し、繁華でない一般の在方では、湯屋を作るほどに人口がありません。よって、各家に内風呂を持つことになります。が、燃料である薪は高価であったため、毎日の入湯は困難です。入浴できない日は、煮炊きをした火の側で暖めていた湯でわった水等で行水しました。体を洗うのも髪を洗うのも行水で十分ことたりますので、入浴が毎日ではなかったとしても、不衛生であったわけではありません。あくまでも、「入浴」とは「風呂桶に入る」ことであり、大きな盥に水をためて洗髪をしたり体を洗ったりすることは「入浴」としてはカウントしていなかったようです。こんにちで言うと、「シャワーだけの日」は風呂に入ったと考えない、という感覚でしょうか。西日本の驚くべき数字も、そう考えると納得が行きます。 京阪の場合、一応公衆浴場はあるにしろ、江戸よりはずっと少なかったそうで、在方と同じように、内風呂が多かったそうです。となると、在方と同じ理由で、入浴頻度は下がったと想像されます。 また、この東西の差には、習慣の違いも関係していると思われます。東日本は温泉が多く、農民の湯治はごく一般的で、冬から春にかけての年中行事であったと言います。実際に農民の日記を見ると、誰々と湯治に出かけたという記録を見つけることが出来ます。 一方、西日本には、温泉に入りに行く、という習慣自体が一般的ではなかったそうです。そのことから考えても、上記の入浴頻度は説得力を持ちます。 行水は、江戸の古川柳に行水を扱ったものがあることから、江戸市中でも多く行われていたようです。しかしそれは夏の暑さをしのぐ手段のひとつであり、風呂に入れないための代用という理由ではないようです。やはり江戸では、毎日湯屋に入浴をしに行っていたと考えるのが妥当でしょう。 また、洗髪ですが、一説では湯屋での洗髪は禁じられていたといいます。理由は、多くの湯を消費するためと、鬢付け油で湯や洗い場が汚れるためです。湯屋で特別に頭を洗う事が許されていた座頭などの頭髪のない人間を羨んだ川柳などもあったと記憶しております。 しかしまた一説には、湯屋で頭を洗ってから隣の髪結床へ行って髪を結いなおす、というのが一般的な流れだとも言います。そのために、湯屋の隣には必ず髪結床があるのだそうです。 両者は相反する話ですが、時代の違いなのかもしれません。中途半端な知識で申し訳ありません。 洗髪は、髪を結いなおす手間から言っても、毎日ではなかったようですが、どの程度の頻度なのか、入浴するたびなのか、そのあたりは存じません。お役に立てず申し訳ありません。
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- Pinhole-09
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東日本ですが私の方の農家では、数戸に一本の井戸しかありませんでした。 毎日そこへ水汲みに行き天秤棒で水桶をかついで運びました。 風呂桶一杯にするのは大変で、風呂に入るのはよくて三日に一回でした。 地下水の豊富なところは、各農家に井戸がありますが、それでも風呂をわかすのは大変なことで、二日に一回というところでしょう。 上士は内風呂があり、庶民には風呂屋がある江戸市中とはちがいます。 西日本は地質のせいで水利の悪いところが多く、井戸が少ないので遠くから運ぶとなると、風呂は月何回とかといっても不思議ではありません。 農家などでは矢張り水、湯浴びが主体です。
お礼
風呂桶に一杯にするのは大変だったのですね。 風呂に入っていなくても行水などで体を洗っていたのですね。 ありがとうございました!
- outerlimit
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地方は良く知りませんが 江戸では職人や隠居はほとんど毎日だったようです もちろん銭湯です 子供等もほぼ同じと思います 江戸時代の風俗について、研究が進み 明治以降必要以上に江戸時代を悪く評価し教育してきたことが明らかになってきています(自己正当化のために前政権を悪く悪く言う) 参考書籍も数多く出版されています、一読されますことを(いかにいい加減な教育を受けてきたか判ります)
お礼
職人さんは汗かくでしょうから毎日じゃないと困りますね。 明治の人は江戸時代をホント否定しまくりましたね。 江戸の武家屋敷の町並みも一部は移築するなりして保存して欲しかったですし、全国各地の城をことごとく破却したのはちょっと許しがたいものがあります。 ありがとうございました!
昭和初期の東京では、自宅に風呂がある家は少なかったようです。 江戸では防災の為、家風呂は身分の高い武家屋敷に限られていました。 幕末にようやく商人にも許されましたが、 その結果、 家に風呂が無いのは東京では当たり前の時代が続きます。 戦後の高度成長でようやく風呂が普及します。 江戸時代では、夏なら水浴び。 3日に1回行けば裕福であったのではないでしょうか? 冬なら私は1週間は行きません。(さむいし、面倒だし。^_^;) 水浴び。たらいで体を拭く。髪を洗うなどで繋いでいたと考えます。 もちろん、服が折り目が無く、ちょんまげを毎日整え、ヒゲや頭のムダ毛を剃った町人の男は女性に好感を持たれ、モテました。 ですから、何とか身だしなみで清潔感を保つ知恵を考えたのだと思います。(寝押しや朝の洗顔、整髪など) 余談ですが、油、たんぱく質は水では溶けません。 お湯なら何とかなりますが経済的ではありません。 ぬか袋が石鹸の代わりでした。 これがスグレモノで、油分を十分落としました。
お礼
昭和初期でも風呂のある家は少なかったのですね。 銭湯に毎日かようのも良いものですが、やはり夏場などはシャワーを浴びられないのは嫌かもしれません。 現代でも、近所に銭湯あれば、家には湯船がなくてもシャワー程度があれば十分ですけど、銭湯代って意外と高いんですよね。450円前後しましたでしょうか。 当時はぬか袋が石鹸代わりだったのですね。 ありがとうございました!
- carwing
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一般の町民といっても色々いますし、それこそ日銭を稼いでなんとか生きてるクラスの人間は風呂屋もなかなか行けなかったでしょうね。 ちなみにみっちりスケジュールが決まっている将軍は毎日夕方に入浴タイムだったようです。 髪を整えるのは自分ひとりでは無理でしょうから、銭湯の帰りに床屋に行ったか、髪はそのままで湯だけ浴びて帰る人もいたのかもしれません。銭湯を描いた浮世絵では髪を解いている姿が少ないのです。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%AA%E7%B5%90%E3%81%84
お礼
将軍の生活はみっちりきっちり管理されていて羨ましくもなんともないです。もし江戸時代に生まれるとしたら、格式にうるさくない八百石くらいの旗本か江戸の町人(大工さんとか)が良かったかもしれません。 ありがとうございました!
- tappet
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「江戸時代は一般的に入浴頻度がそれほど高くなく、銭湯などの共同浴場での入浴が一般的だった一方で、都市においては1日に何度も銭湯に行って入浴する者が多くいる事を記した書物があるなど、地域や生活水準、あるいは季節によってまちまちであった。」 と書いてあります。 ご参考ください。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%A5%E6%B5%B4
お礼
やはり都市部と地方とでは大分事情が違ったのですね。 現代人は毎日お風呂に入りますが当時は季節によってもまちまちだったのですね。 ありがとうございました!
お礼
江戸の人は毎日入浴していたのですね。 今の銭湯は450円くらいするのに当時は格安だったのですね。 地方の人も行水をしていて不衛生な訳ではなかったのですね。おっしゃるようにそう考えると月に1、2度というのもそんなに不思議な数字ではないですね。欧米の人なんかはシャワーで済ませてバスタブに湯を張らない人も多いようですし、現代日本人も一人暮らしだと狭いユニットバスに湯をはらずにシャワーで済ませている人は多いですしね。 大変勉強になりました。 ありがとうございました!