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江戸時代。城を観光資源に。
何かの本で読んだ気がするのですが、幕末、江戸城や大坂城では、有力商人をこっそりか、あるいは堂々とか知りませんが、城内にご褒美として招き入れたそうです。 どこの城でもよいですが、このようなことは、実際にあったことでしょうか。 よろしくお願いいたします。
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>幕末、江戸城や大坂城では、有力商人をこっそりか、あるいは堂々とか知りませんが、城内にご褒美として招き入れたそうです。 有名なのは、三社祭りとか江戸・江戸城内での祝賀会の時ですね。 三社祭では、お神輿の一団が堂々と江戸城内に入って獅子が舞います。 大奥の女中などが、毎年楽しみしていた様ですね。 城内の祝賀会では、将軍自らが能を舞います。 江戸市中の名主・庄屋・町名主・大家などは、江戸城内で将軍の能を鑑賞しています。 もちろん、建屋には入らないで地面に茣蓙を敷いた座に座ってですがね。 まぁ、それでも屋内に座っている幕府重鎮・幹部連中と同じ席にいるのですから庶民は満足! 大坂城は、幕府直下で城代が支配していますよね。 まぁ、大阪商人が「お伺い」する程度でしよう。 「そちも悪るよのぉ」「城代様程では・・・」 その他としては、安土城。 信長は、近隣各地の民をから「入場料」をとって安土城内見物をさせています。
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- jkpawapuro
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既出ですが、信長が入場料をとって篝火焚きまくってライトアップした安土の話では無いでしょうか? それ以外でも信長はたびたび要人を天守に招きワインを振るまいもてなしています。安土に限らず岐阜などでも招いていますし、当時の岐阜城天守および山頂御殿の描写はルイスフロイスの記述に則っています。 また遠征に出ても城があるとせっせと山の上まで登り天守にあがり寝食したりしています。 褒美として城に招くというのはおそらく殿様や将軍に直接お目見えしてお声かけいただくという意味であり、またその場合城と言っても天守の麓にある大名御殿どまりです。 見せたいのは城ではなく殿様です。 もちろん本丸の大名御殿に呼ばれるのも大きな名誉ではあるものの、特に城を見せたという意味合いになる場合信長ではと思います。
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ご回答ありがとうございます。 信長の例を真似て、資金集めのご褒美として城内を遊覧させたケースがあったのでは、という疑問です。 幕末、どこも勝手向き不如意で、商人から借金しまくりでしたから。 観光資源とは大げさすぎました。
- tzd78886
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「こっそりと」やったのなら確かな記録が残っているはずはなく、実際にあったかどうかなんて確認のしようがありません。
お礼
ご回答ありがとうございます。 御一新後、商人側の日記などの記録が見つかったとか。
お礼
ご回答ありがとうございます。 なるほど、三社祭がありましたね。 町衆は無料で、手土産まで出たそうですね。 観光資源とは大げさな表現ですが、大名家も勝手不如意なので、資金集めのご褒美として城内を遊覧させたケースもあったのでは、という疑問です。