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江戸時代の人
江戸時代、江戸は世界一の大都会で江戸っ子も寺子屋に通っていたから西洋諸国家と比べても一般人の識字率が遥かに高かったという事ですが、本当に江戸っ子は大半が寺子屋に通っていて普通に誰でも読み書き算盤はできたのでしょうか? 地方の人はどうだったのでしょうか?
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江戸時代の人の識字率は世界的にも高かったと言われていますが、数字で何%かとなると、ハッキリした数字はわかりませんですね。 ある大学の学生のレポートに『識字率は江戸では1854年から61年で男子が79%、女子が21%で、武士は殆ど100%読め、農村の僻地でも20%は読めた。』と出ていました。先生もチェックしているはずですし、私の感触もこんなもんかなあと思います。 武士の家庭では日本国中、当主も奥方も、子供も100%であることには間違いないでしょう。 また商家でも、大店では武士の家庭と同様に、女子や丁稚小僧も入れて100%と思います。ただし表に出ない下働きの下女はダメだった人が多かったと思います。 大店以外でも商売をする人(主に男子)は100%でしょう。 大工も棟梁は大体が読み書きができたと思いますね。今でも家を建てるときを見ていますと、柱などの各部材の端に、江戸時代さながらにイロハや漢数字がふられていて、この符号に基づいて組み立てています。また、簡単な設計図のようなものを書いて仕事をしていたと思いますので読み書きはできたと思います。 農家では庄屋クラスは武士の家庭と同じでしょう。中程度の農家でも亭主の方は読めた人が多かったと思います。 上に挙げた層より下のクラスは文盲であったとすると、先程のレポートの数字に大体合ってくると思いますね。 戦後になっても田舎では、明治や大正初年生まれの女性で、文字を読めない人がチラホラいました。それで、その家庭に何か不都合なことがあったかというと、なにもありませんでした。その主婦が選挙の投票に行かなかっただけのことです。 この時代になっても、家の中で読める人が一人居れば、家の中はチャンと回って、やっていけました。 江戸は武士が多く商家も多いので、当然識字率は高くなります。 寺子屋の月謝は大工の日当分くらいが相場だと聞いたことがあります。非常に高いということではありませんが、エンゲル係数が高い家では、支払いはキツイでしょうね。 ということから、江戸では先程の識字率からすると2~3割程度の家庭の子供は行かせてもらえなかったと想像します。
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- agboy
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#5です。あの、「江戸であれば」と限定しましたが。 信憑性のある嘘は「統計」であると思ってますので、#6にあるような「自分の名前が書けない」 というのは、佐藤一男さんが自分の名前を「さとうかすお」とも表記できないかの証明には成り得ませんよね。 識字率は高かったけれども、それが「漢字」なのか「かな」なのか知りえませんよね? 判らないことは判らない。 けれども現在に至ってさまざまな教本が残っていることを勘案すれば、大部分の人に教育の機会が与えられていたことは否定できないと思います。ただ、それがどの程度のレベルだったのかが推測の域を出ませんよね。 私自身知りたいことが山程ありますが、それを調べる知識と時間がありません。歴史を知ろうとすることは、巷間事実と思われていることを疑って掛かる事ではないかと、最近思っています。
お礼
>歴史を知ろうとすることは、巷間事実と思われていることを疑って掛かる事ではないかと、最近思っています。 勝者や後の人によって意図的に捻じ曲げて伝わることも多いので疑いの視点は重要かもしれませんね。 今年は従軍慰安婦や南京大虐殺の問題で揺れると思いますが、まだ当時者が生きている事案でも様々な思惑によって真実は藪の中な状況ですし、ましては百年以上昔の事となるとさらに困難な面があるでしょうね。 ありがとうございました!
NO.4です。 >先ず、江戸であれば、×寺子屋→○手習い師匠でしょう。 私は昔の庶民の子供を対象とする読み書きの塾の総称として、有名な『寺子屋』という言葉を使ったわけで、博識な質問者さんも同じでしょう。寺子屋は主として上方で・・・ということは誰でも知っています。質問の本旨でないところで、『×寺子屋』と決め付けるのはいかがかと思います。 それから、NO.4の『識字率は江戸では1854年から61年で男子が79%、女子が21%で、武士は殆ど100%読め、農村の僻地でも20%は読めた。』を『信頼できる統計は望むべくはない』と否定するご意見があるようです。 そりゃそうでしょう。江戸時代に識字率の全国的な調査をしたということはないでしょう。しかし、研究者はいろいろなデータから、こんなもんだろうと推定していると思います。おそらく研究者によっては、出てくる数字に違いはあるでしょう。また一概に江戸期といっても初期と末期では、数字はかなり違うでしょうね。 先程の数字も、大学生がどこかの研究者の推定値を引用したものだと思います。その研究者は、たとへば下のURLにあるような、明治15年の『文部省年報第10』のデータや、その他の資料を使って推定していると思います。http://www.library.pref.osaka.jp/nakato/shotenji/34_mdoku.html その明治15年の滋賀縣年報では「自己の姓名を書き得ざる者」が男性約9%、女性約50%、全体では約30%となっています。 私は先程の大学生のレポートの数字については、こんなものかなと思います。これを否定する根拠については、何も持ち合わせていません。 今と違って、仕事や身分によっては、文字を知らなくてもやって行けた人がいた時代です。その人たちにとっては、文字が読めないことは、恥ずかしいことではありません。 なお、寺子屋に行かせてもらえなかった子が、全て字が読めない大人になったと断定するのは間違いです。親が教えることもあれば、近くの物知りなご隠居さんなど、いろいろな人が無報酬で教えることがあります。
お礼
>博識な質問者さんも同じでしょう。 ははは…知らなかったです(笑) 私、初めは理系に進もうと思っていたので高校で日本史をやってないので、実は日本史チンプンカンプンなんです。お恥ずかしい。どこをどう間違ったか法学部に進みましたが子どもの頃は考古学者になるのが夢でした。時代によってはマンガ日本の歴史か中学の教科書程度の知識しか持ち合わせていません。 高校で世界史、大学でローマ法を履修した事もあってローマ時代に興味があるので数年前から文庫版が出た塩野七生さんの「ローマ人の物語」シリーズを全部読みたいとは思い続けているのですが、自分でも原因不明なのですがなぜか江戸時代に執着しているこの頃です。 これからもいろいろ教えて頂けると嬉しいです。 挙げて頂いた明治時代のデータからしても江戸時代の8割という数字は決して的外れの数字だとは思えませんね。 ありがとうございました!
- agboy
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先ず、江戸であれば、×寺子屋→○手習い師匠でしょう。 識字率についての信頼できる統計は望むべきもありません。字が読める社会が当たり前なら「私は字を知らない!」と声高に主張する人はいないでしょう。百数十年前に終焉を迎えた江戸時代の人々の記録に「此者不識字」と見られないのであれば、識字率は相当高かったと推察します。 基礎的な「読み・書き・算盤」は普及しており、そこから進むところは身分と立場において分岐したと推察します。 私も、算盤の駒の進め方は知っていますが、乗商算はお手上げです。 武士階級にしても、基本的な読み書きは出来ても、一寸格式ばった書類 には自信のないことは文献にも残っているようです。 極度に貧困でなければ、最低限の教育は受ける機会が与えられたと認識して宜しいかと思います。 とか、言いながら反駁意見も望みます。
お礼
確かに信頼できる統計となると推測の域でしか語れませんね。 武士もちょっと格式ばった書類となると祐筆や勘定方のような役職じゃないと不慣れだったのでしょうね。 >極度に貧困でなければ、最低限の教育は受ける機会が与えられたと… 文字が読み書きできるのと出来ないのでは、人生かなり違いますよね。 江戸時代は身分社会だし平均寿命も低かったですけど、生活満足度でいったら、少なくとも江戸の平均的な人々は現代人と比べてもそう悪いものでもなかったんじゃないかなと最近思っています。 ありがとうございました!
- outerlimit
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江戸では、ほぼ100%だそうです 地方でもかなりの教育を受けていたようです 明治になってからの方が返って悪化の傾向があるようです
お礼
江戸はほぼ100%ですか。その数字は驚異的ですね。 今の先進国ですらほぼ100%の国は日本の他に何カ国あるか… 明治に入ってからの方が悪化ですか。そうかもしれないですね。 ありがとうございました!
- 326june2
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江戸が大都市だったのは、参勤交代制で大名の家族が江戸に住んでいたために、その家臣も多く住んでいました。 ですから上層階級の割合は高かったのではないでしょうか。
お礼
武士階層は識字率100%近かったのでしょうね。 三百諸侯の家来はたくさんいたと思いますが、それでも当時の江戸の人口(百万人)の2、3%くらいだったんじゃないでしょうか。 彼らは藩邸から外に出ることはあまり許されていなかったようですし、個人的なイメージとしては江戸は町人の町な気がします。 ありがとうございました!
- Tasuke22
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> 本当に江戸っ子は大半が寺子屋に通っていて普通に誰でも > 読み書き算盤はできたのでしょうか? 個人的には、武家と商家以外は怪しいと思います。まあ、江戸っ子 の範囲も狭いでしょう。今の新宿とかは絶対に入っていないでしょ うから。今だって、政府は下々のことが分からない政治をしている のに、何故、学者が大昔の下々のことを分かるか、そんなことない でしょ。 > 地方の人はどうだったのでしょうか? 農家は明治になってもなかなか学校へは行けなかったでしょう。
お礼
今の新宿は当時はど田舎だったようですね。 品川あたりも江戸の範囲外ですしね。 明治の日本、特に地方はあまりイメージ浮かばないです。 ありがとうございました!
お礼
男子で8割というのはものすごい数字ですね。 やはり当時は女子に学問はいらないと考えられていたのですね。それでも2割というのは決して低くない数字だとも思います。 同時期のヨーロッパでは中産階級以上の人は学校にも通って読み書き出来たでしょうけど、パリやロンドンでも8割というのは考えられない事ですよね。江戸っ子は何気にやりますね。 あくまで私のイメージですが、西欧と違って大学のような高等教育機関がなかったせいもあって、総じて江戸時代は教育というものにあまり熱心ではなかった印象が強かったのですが、こと読み書き算盤のような生活に根ざしたものに関しては非常に裾野が広かったのですね。 農村部の僻地でも2割は読めたというのもすごいですね。 ありがとうございました!