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江戸時代の藩士の跡継ぎ
江戸時代の藩士の跡継ぎは、前の代が下級の上クラスでも、跡継ぎは一番下級の御広間勤からスタートして、徐々に階級が上がると聞きましたが、それは、どこの藩でもやってましたか? 御広間勤を20年以上勤めたって話しは、結構あったらしいです 因みに、うちのご先祖の藩の分限帳には御広間勤は役なしだからか分かりませんが、御広間勤は人数だけで名前は載ってません
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No.1です 補足を頂戴しました。 補足に「親が藩士引退した後の」とありますが説明させて下さい。 制度上藩から脱藩するということはあり得ても藩士を引退するということはあり得ません。 家督を子息など後継者に譲って後継者が藩から支給される俸禄で養ってもらう隠居になることはありました。 「親が藩士引退した後の跡継ぎは」とありますが「跡継ぎ」は事前に藩から正式に認められている必用があります。 勝手に自称跡継ぎなどということは赦されていませんでしたのでご注意下さい。 質問者さんのご先祖は家督の後継者を正式に認められていたと考えられます。 親が家督を譲って隠居になった後で後継者が御広間勤になりその後役職に就任して昇格して行ったものと考えられます。 「家」として代々引継がれてきていた役職ではなく他の役職に無役から就任したということであれば相当優秀なご先祖様だったと考えられます。 尚、藩士と武士は意味が全く違いますのでご注意下さい。
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- ichikawa2017
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大名家(藩)で御広間勤というのは無役の人の役割とされていたことが多い名称です。 江戸幕府では身分によって小普請組、寄り合い、などと呼ばれていました。 武家が家を継ぐ場合継承者は予め城主というか藩に届け出て認められておくことが必用でした。 その際に御目見得と称して城主(藩主)に拝謁する儀式が行われました。 継承者として認められても父親など当主が役職を辞任しない場合がありました。 世襲で引継ぐ役職が引継げませんので継承者になったものの登城しても仕事がないということになってしまいます。 このような場合に御広間勤という役割を果たしているという形にしました。 当主が勤めている役職の種類によっては見習いとして執務室に控えていることもありました。 このように必ずしも広間勤めからスタートとして昇格していた訳ではありませんでした。 同じ広間勤でも将来自分の父親など当主の役職を引継ぐことが決まっている人もいればチャンスがなければ役職に就任することが出来ない人もいました 武家階級の役職というのは特別な場合を除いて世襲でした。 空きが生じるというのはまれでしたので20年間広間勤ということはあり得ました。 代々無役のまま広間勤ということもありました。
補足
うちのご先祖は、江戸時代後期、親が藩士引退した後の、跡継ぎは御広間勤からスタートでした 代々、何代も無役の御広間勤の人もいたのですか、そういう人がいたことは知りませんでした