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江戸詰の藩士
長く江戸に詰めている藩士(任期の長い留守居役など)で、国許に妻子がいるのも関わらず、江戸でも妻(正妻ではない?)を持った人もいたようですが、これはごく普通の事だったのでしょうか? 「江戸お留守居役の日記」に出てくる幕初の長州藩江戸留守居役・福間彦右衛門は、国許に妻子がいて、留守居役を拝命して江戸に来て、江戸でも妻(他藩の武士の娘)を娶り、任期満了で帰国する際には江戸の妻とは別れて国許に戻っているみたいです。 国許で何十年も待ってる方も、任期満了で帰国する夫と別れ江戸に留まった方も、現代人の感覚からはなかなか理解に苦しみますが、当時としてはままあったことなのでしょうか。 素人の質問ですみませんがご教授頂ければ幸甚です。
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noname#49020
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- Willyt
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回答No.1
お礼
江戸詰は代々江戸詰という人も多かったのですね。 江戸留守居役は小藩では家老相当の重職だったようですね。毛利家の福間彦右衛門は家禄三百石(後に五百石)だったようです。 「江戸お留守居役の日記」は東大の山本教授が書かれていて第一級の史料に基づいて書かれているという事で面白い本でした。彼の著書は「江戸城の宮廷政治」もそうですが私のような素人にも分かりやすく平明に書かれている好著が多いです。 留守居役の組合には藩主も手を焼いていたようですね。 藩主よりもよほど良い物を料亭で飲み食いしていたといいますから呆れます。 毛利秀元が江戸城で持参した弁当を広げた時に、おかずに入っていた鮭の切り身がよほど珍しかったらしくて大名が集まってきてお裾分けしてもらい「これは珍味」と喜んだそうですが、それと比べて食生活だけは現代は本当に豊かになったものだと思います。 今も昔も同業他社との交流は大事だったのですね。 ありがとうございました!