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幕末の下級藩士

先日、映画「武士の一分」を観ていたら、下級藩士がお殿様のお顔を拝謁することがとても難しく描かれていました。 そこで教えて頂きたいのですが、なぜ幕末は多くの藩で名も無き下級藩士たちが藩を動かすだけの力を持ち合わせるに至ったのでしょうか? 普通に考えれば下級藩士の動きなど中間管理職みたいな人達が握りつぶすかそもそも末端の侍が物申すなどおこがましいあるいは上層部の逆鱗にふれればお家断絶の危険すらあったと考えられます。薩摩・長州・土佐といった有名な藩で有ればまだわかりますがなぜ全国的に広まったのでしょうか?当時は今のようにメディアも発達していないでしょうから尊皇攘夷などの考えが下級藩士に伝わったことも不思議なのですが…。よろしくお願い致します。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • komes
  • ベストアンサー率29% (147/494)
回答No.3

幕藩制度においてお目見え以上と以下では歴然とした身分上の差がありました。 お目見え以下は主君に面接すら出来ず、まして藩政などに意見を言うなどは許されることではなかつたのです。 ただ賢明な主君がいきずまった藩政を打開しようとして意見を求める機会があり、その時に適格な上申書を提出し、目にとまれば用いられる場合が屡々ありました。 他の回答者が挙げられている例は多くはこのケースでした。 現状に満足している上層部は現状維持を望むもので、このような下克上を喜ばず、弾圧を加える事もあり西郷隆盛の島流しや暗殺の例もあります。  彼らは現状打破の為に必死でした。  情報の収集、武芸学問を問わずキャリアの上昇志向にもえていたのです。   とくに幕末は封建制度の矛盾が噴出した時代でしたし、過激な意見でも採用される可能性がありました。  坂本龍馬は人の意見をよく聞いた人で、勝安房を暗殺する為訪問して勝の意見を聞き共鳴してそれまでの思想を捨てて大成しました。 戊辰戦争の際各藩で佐幕か勤王かという各藩の姿勢を論じた時、激論が起こり反対派はおおくの場合切腹か暗殺された例が非常に多く起こりました。 下層武士は大抵現状に不満でしたからそれが変わることに無条件賛成でした。  農民も年貢半減などの情報ですぐに勤王派になる時代でした。

bakumatu
質問者

お礼

ありがとうございました。大変参考になりました。

その他の回答 (2)

noname#24488
noname#24488
回答No.2

NO.1さんのクールな解説に100%賛成。その上に余計な私見を乗せさせていただきます。  幕末に活躍した人たちは、幕府側、薩長側を問わず下層階級の人が多かったのは、仰せの通りです。  勝海舟は三代前は盲人の金貸しと伝えられていますし、近藤勇や土方歳三、清河八郎、坂本竜馬なども、出身は武士とは言いかねる身分でした。  その他幕末の志士たちの大部分に共通して言えることは、命知らずの武芸達者で、しかもある程度の教養が備わっていたということです。  武芸に?が付く人でも度胸だけは据わっていました。そしてこれらの中で運よく生き延び、猪武者ではない大局観や政治力の持ち主が、維新の元勲として後年活躍したのだと思います。  長年の太平と家柄制度の弊害により、旗本や上級武士が、度胸、武芸、教養の面で勝る下級藩士や郷士階級に負けてしまったといえると思います。  旧体制が上から抑え込もうとしても、命知らずで理論面でも武装をしている武芸達者を相手にすると、テロなんかもあったようですし、なかなか難しかったと思いますね。失うものが少ない下層階級、しかも二三男ともなれば、これは強いですね。  たしかに当時は身動きが不自由で情報の伝播という面では不便な時代でした。しかしNO.1さんの仰る「情報の共有化」の項の通りで、伝わることは伝わったと思いますね。  それに尊王思想は商売柄神主さんも得意でした。真木和泉守以外にも理論的支柱のような人は、武士のほかにもいました。  一つの藩に有力なアジテーターが一人いれば、現体制に不満を持った命知らずのヒマ人が、感化されていくのは意外と早いんじゃないかと思います。

bakumatu
質問者

お礼

尊皇思想を神主さんが得意だったとは知りませんでした。ありがとうございました。

  • tanuki4u
  • ベストアンサー率33% (2764/8360)
回答No.1

1:下級武士の発言力の発生 幕末でなくても、下級武士が殿様に愛でられて藩における発言力を持ったというのはありました。 藩レベルでは無名すぎるので、幕府レベルで言えば、 柳沢吉保や間部詮房、田沼意次など、多数います。 人材の供給数として、下級武士の方が人数が多いのですから、殿様視点で、有用な人材を使いたければ、確率として下級武士が多くなります。 19世紀に入った段階で、各藩は藩政改革をせざるを得ない状況になっており、これはと思う下級武士に藩政改革の実権を握らせています。 有名な藩というのは、この改革がうまくいった藩ということも言えます。 2:情報の共有化 参勤交代は殿様だけでなく、下級武士まで江戸に行きました。逆に、これはと思う若者を学習のために参勤交代で江戸に連れて行くこともありました。また、有名な剣術師範学校に全国の若者が集まっています。あるいは、昌平坂学問所とか。一緒にいるのに、意見を交わさないというのが無理というモノ。 遊説の旅に出ている、思想家もいます。吉田松陰とか、

bakumatu
質問者

お礼

ありがとうございました。江戸で勉強していた下級藩士達が結果的に動かす要因の一つになったのですね。

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