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「ざっかけない」という訳語にした理由は?
マイクル・コナリー著「レイトショー(上)」古沢嘉通訳(講談社)の中で、「いつものざっかけない挨拶だった」(pp.1421)という訳があります。「ざっかけない」を国語辞典(新明解第6版)で調べると、「東京などの方言で、飾った(洗練された)ところがない。ざっくばらん。」とあります。標準語で訳してきたのに、ここだけ東京弁にした理由がわかりません。敢えて訳されたのと思われますが、意図が分かりません。ご教示頂ければと思います。 ちなみに古沢さんは、ウィキペディアによれば、北海道小樽市生まれ、神戸市育ち、大阪府在住とのことです。彼のユーモアなのでしょうか。 尚、前後の文を下記に少し引用します。 「バラード、なんの用だ?」メンデスは言った。「こっちへ来いよ」 いつものざっかけない挨拶だった。バラードは勝手知ったるハーフドアの解錠スイッチの在所(ありか)に手を伸ばし、なかに入った。(以下略)
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- Nobuta250
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マンガ「美味しんぼ」のせいではないでしょうか? 主人公の女性が「私たちはざっかけない」と、自分たちのことを表現する発言をして、「自分から言うか?」とか「他人の評価に使うと思うが」など当時は結構叩かれました。 ウィキペディアによれば累計発行部数1億3000万部ですので、影響力も大きかったと思います。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BE%8E%E5%91%B3%E3%81%97%E3%82%93%E3%81%BC
- bakansky
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「ざっかけない」 という形容詞は、その出自からいえば 東京弁 なのかもしれませんが、今日では普通に用いられている表現だと思えます。たとえば下記のところを見ても、ことさらに 東京方言 だという記載はありません。 https://kotobank.jp/word/%E3%81%96%E3%81%A3%E3%81%8B%E3%81%91%E3%81%AA%E3%81%84-275128 私は生まれも育ちも住んでるのも中国地方ですが、日常会話でその言葉を使うことはないものの、文章の中にそれが書かれたものを目にしても、特に違和感は感じないような気がします。それだけ一般化しているのではないでしょうか。 もちろん 「そっけない」 としてもよかったはずですが、たまたま 「ざっかけない」 という言い方が頭に浮かんだからそれを訳語で使ったという、それだけのことのような気がします。
お礼
ありがとうございます。私は、耳にしたことも目にしたこともなかったです。確かに、広辞苑(第6版)などでは、東京の方言という記載はありません。しかしながら、ネット上では方言という記載も散見されます。下記の「放心流」というURLの記載に、同感です。 http://housinn-n.cocolog-nifty.com/blog/2016/11/post-197f.html
お礼
ありがとうございます。ご指摘の美味しんぼの原作の雁屋哲(北京特別市生まれ)さんも、作画の花咲アキラ(現射水市生まれ)さんも、東京の方が使っていたのを覚えたのかもしれませんね。どのくらいの人が、「ざっかけない」という言葉を聞いたことがあるか興味深いですね。