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トルストイの思想と小説

トルストイの晩年の非暴力や反戦思想は有名ですが、名作のアンナカレーニナを読んでも、反戦思想は全く出て来ません。 思想と小説とは別のものだ、と考えるべきなのでしょうか?

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  • eroero4649
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回答No.1

>思想と小説とは別のものだ、と考えるべきなのでしょうか? トルストイの最後は、妻と子供に家を追い出されて行く当てもなく駅の待合室で野垂れ死んだといわれています。 けど、聞くところによるとトルストイってすっげーDVの人だったみたいです。最後に家を追い出されたのも、度重なる暴力にブチ切れた奥さんと子供から追い出されたのが真相みたいですよ。Wikipediaにはそこらへんは書かれていませんけれども。 あのジョン・レノンもオノ・ヨーコさんへのDVがひどかったらしいですね。彼はオノ・ヨーコさんの前に一度離婚していますが、その原因がDVです。オノ・ヨーコさんの世代の日本女性っていうのは「女は男に逆らってはいけない」という教育を受けた世代です。だからジョンにぶん殴られても耐えられたのです。 ジョンも反戦平和主義者で有名ですが、ジョン・レノンとトルストイは「世間には非暴力を訴えて、自分は暴力振るいまくりの二大巨頭」として有名ですよ。DVではそういう事例は多いみたいです。ちなみに私の父親もDVの人ですが、多くの人から「えー。そういう風には見えない。とても穏やかそうな人」っていわれます。 なお、トルストイが反戦平和主義に傾倒していったのは、アンナカレーニナ以降のことみたいです。

kobatetu01
質問者

お礼

有難うございました。DVのこと興味深く読みました。

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  • Nakay702
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回答No.2

>トルストイの晩年の非暴力や反戦思想は有名ですが、名作のアンナカレーニナを読んでも、反戦思想は全く出て来ません。 ⇒確かに、私も(昔読んだ限りですが)、三角関係の「すったもんだ」ばかりが記憶に残っているだけで、非暴力の「ひ」も反戦思想の「は」もなかったように思います。 >思想と小説とは別のものだ、と考えるべきなのでしょうか? ⇒小説は刊行された途端に一人歩きしますので、おっしゃるように、「思想と小説とは別のもの」と言えるかも知れません。しかし、この場合、「個人史上の時系列の問題」も絡んでくるようです。つまり、『アンナカレーニナ』の執筆は1763年~1877年、刊行は1877年ですね。ところが、トルストイの晩年の非暴力や反戦思想は早くとも1880年以後に彼が抱くようになった境地らしいのです。 解説にはこうありました。「(トルストイは)1880年ごろから思想的動揺を経て、芸術から宗教へと移り、無抵抗主義と自己完成とを信条に、愛の精神で全世界の福祉に寄与しようとの考えに立って、民衆の教化や社会事業に励んだ。しかし、こうした時期にも『復活』のようなすぐれた芸術作品を残している。晩年には宗教的・倫理的問題や社会問題を扱った論文が多いが、それでも、『神父セルゲイ』、『生きる屍』、『壷のアリョーシャ』などの諸作を残している。」(世界名作事典) ということは、トルストイの非暴力や反戦思想に触れるためには、1880年以降の『復活』、『神父セルゲイ』、『生きる屍』、『壷のアリョーシャ』などの芸術作品や、晩年の宗教的・倫理的問題などを扱った論文を読んでみる必要がありそうですね。 なお、タイトルから考えると、『アンナカレーニナ』(1877年)よりも前に書かれた『戦争と平和』(1869年)の方がまだ非暴力や反戦思想(の片鱗)との関わりありそうに思われます。

kobatetu01
質問者

お礼

有難うございました。