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アンナ=カレーニナ
トルストイのアンナ=カレーニナを読み進めている者です。 二十代後半、三児の母をしております。 ただ今、上巻のちょうど真ん中あたりに差し掛かっています。 そこで「津波のように押し寄せて来たもの」がありまして。。。 その「もの」について「分析」「解明」等お手伝い願えないでしょうか? 我が侭ですが、「今後の成り行き」を明かさず、おつきあいくだされば。。。と思っております。(予備知識無しで「頭を真っ白」にして「どっぷり」浸かって読みたいのです) 「きっかけ」は「きっかけ」に過ぎないように思います。記憶を辿れば「読書中」に限らず「日常の些細なひとこま」で感じた事も多々あるからです。 言葉にしにくくて困っているのですが。。。「形をとる前の思いが幾つも幾つも重なり絡まり膨らんで、身体が弾けるのではないか」と言う状態。 短く言うと「自分の魂が身体の枠に捕われず活動している」と言う感覚。「咽が詰まって苦しい」「力の限り叫んだら楽になるかな?」。。。そんな思い。 こんな感覚に「捕われた」事のある方、 「これは何なのか?」教えて頂けたら、と思います。 ちなみに、「こんな状態」を「うまく熟成し、文章化」出来た時は、「推敲不要」な程「素直な文章」が書ける、と言うのが「恒例」になっております。その「効果」で学生時代「表彰」された経験あり(笑)
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ネタバレ注意なので抽象論で。 僕の道楽は音楽・楽器とトレーニングなんですが、どちらも「肉体のコントロール」という意味で共通点があります。 楽器演奏、特に弓を使う弦楽器って、ウエイトトレーニングと明確な類似点があります。 それは僕が思うに、「本来、意識できないもの(肉体)を意識する」ということです。 ウエイトトレでは必ず、「鍛える部分を意識」するといいますが、これが「わかるようでわかんない」。 何しろ、自分の体って、意識できているようで意識できないし、実は思うように動いてくれない。 自分の体なんだから、自分が思う通りに動くはずと言うのは「錯覚」で、全く思い通りにならないどころか、冷たい水に体を沈めない限り、自分の体の境界線すら知覚出来ない。 ■こんな感覚に「捕われた」事のある方、 「これは何なのか?」教えて頂けたら、と思います。 肉体だけでなく感情だって同じなのだと思う。 実は、自分の感情をコントロールなど出来ないし、何を考えているかも、どう考えるかもコントロールが難しい。 で、叫びたくなる。 どうして、こんな音符が弾けないんだ…。 ワンハンドローが、どうしても上手く引けない…。 頭では自分で理解出来ているはず。イライラするよ。 なんというか、体が悲鳴を上げたくなる感覚。 僕の場合、トレーニングよりも、圧倒的に楽器を弾いているときだけれどもね♪ 話は唐突に変わりますが、ボクサーからコメディアンになり、最後は海で溺れ死んだ、たこ八郎の墓碑には、次の言葉が刻まれているそうです。 『めいわくかけてありがとう』 「めいわくかけて、ごめんなさい」じゃなくって、ありがとう。 なんというか、感情のコントロールとか、ルールとか、常識とかのコントロールなんて、たいしたもんじゃないな…と思わせる。 たこ八郎知ってる? いいえね、今回書いた肉体のコントロールということについては、鷲田清一という哲学者の文章が面白いんだけれども、彼の著作の中で最近目にした言葉がコレ。 僕も、妻にこう言おう! 「めいわくかけて、ありがとう!」 ■私は「素敵なプレゼントだなあ」「私にもご教授ください~~~!」と思いました。数年後、「三十代の生意気な女性」になって「教えて」頂くのはダメでしょうか?。。。笑 そうだねぇ、、、 数年後、僕が元気だったら、「おしげり」でもしましょうか♪(笑) by 幻齋
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yukkinn66さん、こんにちは。 お礼をありがとうございます。 あたしも夏真っ只中で最近つけ上がり気味で、、、やっかいだよね。 躁は抑えないと、うつに落ちたとき反動が大きくて苦しむ羽目になりがちです、あたしの場合。 だから抑えようとするんだけど、抑えきれない! 冬辛い分、なんでここで弾けてはいけないのだ?ここで弾けなければいつ弾けるのだ???とか思っちゃって。 今年は筋トレに全エネルギーを注いでしまっているので、これが吉とでるか凶と出るか、身を持って実験中です。 今、本を6冊併読していて、、、潰れました。 地道に“吉原~”から着実に一冊づつ、読んでいきたいと思います。 このエネルギーを何に転換するかは、あんまり考えたこと無いです。 とにかく楽しく過ごしたい、それだけ。 夏楽しければ、冬の間それを思い出して、また春になればあんなふうに楽しく過ごせるんだって耐えていけるから。 だから、夏の間は、楽しいことや気分がウキウキする音楽や映画や本を見つけてストックしておきます。 そして秋冬それで堪え凌ぐ。 10数年、それのくり返しです。 ていうか、10数年を経てそのやり方になっていってしまった。 前世クマだと思うようにしてます。 冬眠のなごりなんだと。 書いたものは取っておいたほうがいいと思います。 yukkinn66さんの文章は素敵なので、いつ何時物書きになるチャンスが訪れないとも限りません。 そうでなくても、時間を置いて読み返したら、少しずつでも前進していることが実感できると思うので。 空腹で凌ぐとは、あたしと真逆ですね。 あたしは喉元まで食べ物を詰め込んで、痛む腹を抱えてまあるくなって布団に横たわっていると、なんとなく安心して眠りにつけました。 両親にカミングアウトして良かったことは、癒す場所を整えてもらえたこと。 あたしがなにより一番必要としていたことだったから。 今でも両親はあたしの病気の話はしたがりません。 間違えてし始めると、母は訊きたくないと言います。 キチィとドリイの衝突の解説、ブラボー!です。 あたしはいまだこの境地に達してません。 自分と違うことは、すべて切り捨てればいいという考え方です。 来るもの拒まず、去るもの追わず。 傲慢だったなあと思ってます。 おしげり≒布団が潤う おいちゃんの得意技ですVV ではでは。
お礼
fuji坊様、こんにちは! 今、中巻の2/5くらいの場所にいます。 「リョービンの独り語り状態」が終わったところです。。。今回の「独り語り」はさすがに「うぜえ」を実感しました(笑)。「あなたは主人公じゃないでしょ?」。。。。。と言う気分で、次は「第四編」。やっと「アンナ」です。 リョービンは「言動一致」と思っていましたが、最近「理屈先行」気味になって来た気がしています。(それより、「読破後」に「まとめて感想文」が「正しい姿」かな。。。と思い始めました。「小出し」やら「訂正」やら、「うざく(笑)」ないですか?) 昨日くらいから「落ち始め」の予感がしています。「波」の「位置」で「人が変わる」ような気までするので、「一貫性が無い」ものが「大嫌い」な私は、うんざりしてきます。周期が短い時は、浮き沈みの「幅」も小さくなりがちです。だから、一年周期のfuji坊さんは本当に「もみくちゃ」なのでしょうね。。。。「修行の足りない」私では、「たいへんですね」も「一緒に頑張りましょう」も「お大事に」すら、「薄っぺらな言葉」になってしまって、申し訳ないのです。 (これって「雑談」なんでしょうか? この質問の「主題」っていったい何なのかな。。。「アンナ」か「衝動」か。。。「両方」って構わないのですか? 「違反」レベルかどうか、どなたか教えて頂けたら嬉しいです。) それよりなにより、「この物語」の「主題」って何なのですか~~~?? なんだか「とてつもなく大きくて重たい「渦」」を感じます。「投げやりな今」となっては、「めんどくさい」気分になってきました。先生に叱られるかな。。。。数年後に「弟子との年齢差」の「記録更新」を狙っている者として、くじける訳にはいきませんね!笑
補足
こんばんは、課題再開しました。 今、リョービンがスヴィヤジュスキーを訪問して、「農事経営」について議論しているところなのですが。。。。 初回の読みなので、「正しい理解」には程遠いとは思いますが、魯迅の「故郷」(ご存知でしょうか?)と似た「空気」を感じながら読み進めています。時代が近いからでしょうか。。。。「閉塞感」「理念の対立」「階級間の溝」等です。 ロシアも中国も労働革命(?。。正しい名称を忘れました)に今後流れ込む訳ですから、「革命に至る時代」の「空気」は似ているのだろうとは思います。それとも似ているのは「国民性」でしょうか。。。? 「真っ最中」でこれから「感じ方の変化」があるとは思いましたが、「メモ」代わりにこの欄を使う事をお許しください。 魯迅の「故郷」も高校の授業でやった切りなので、記憶はおぼろなのですが、あの「何とも言えない閉塞感」をよく憶えているのです。それでも、魯迅が「ひとつの希望」として、「新しい世代の力」を描いていたのに対して、トルストイは今後どう展開するのか。。。。全然「先が読めません」。 本当に「いろいろ」詰め込んだ物語だなあ、と、やや、うんざり(?)気味です。いったい幾つ「テーマ」があるんですか~~~~ やっぱり「もっと早く読んでおくべき本」だったようです。失敗。。。
こんばんは~。 >元々、「感じ過ぎる」と自分自身について考えております。「自身の内面に深く潜り過ぎる」と思います。 >でも「自分の思考の核」を「突き止めたくて」仕方なくなってしまうのです。 この補足を拝見して、取り急ぎ『山月記』を通して私なりに理解しようと思いましたが、結局私には理解しきれませんでした。 ごめんなさいね、力不足で。 よろしければお手すきのとき紹介先の補足欄をご覧いただけると嬉しいです。 でもyukkinn66様の切ない気持は受け止めてあげたいなぁ。 自分でも抑えられないほど大きな「衝動」がその時々にわきあがるなんて凄い! きっと「感受性」が豊かな方なのでしょうね。 その容易に上手く表現しきれない「何か」を「こだわり続けたり」「文章化できる」ことは本当に素晴らしいし、 それも一種の立派な「才能」だと私は思います。 だって私にはその「こだわり」もないし、自慢じゃないけど文章力もゼロマイナスだしね。 私にもその力を少し分けて頂戴!(笑) どうかこれからもその「突き上げる何か」を大切になさっていってね。 それは貴女の素敵な「個性」に間違いないのだから。 yukkinn66様の書く回答をこれからも楽しみにしています。 私は『アンナ』ゼミの落ちこぼれですので、この辺で失礼♪ そうそう、「二重奏」や「四重奏」の「個々の音色」が「ソロ」にしか聴こえない人って「絶対音感」の素養無し、どころか 「極めて惨めだねぇ、、」と思うのですが・・・どうよ?(笑)
補足
こんにちは、お姉様! 「混乱気味」と「休日のどんちゃん」で三日連続で「サボり」です。 ここでこうして先輩方と「おしゃべり」できるのが楽しくて嬉しくて「舞い上がって(付け上がって?)」いたので、その「反動(反省?)」かも知れません。。。(「ネタ」が進まないのは悔しいです。) でも、焦って読み進むと良くないので「落ち着く」のを待とうと思います。 >取り急ぎ『山月記』を通して私なりに理解しようと思いましたが、 そうしてくださるなんて、「その思いそのもの」に感謝!!なのです。 それ以前に、毎日「ストーキング」で「横取り」している「アドバイス」だって「そうとうな量」になるのですから、私のお礼は「受け取って」くださらないと。。。。お願いします! 「突き上げる何か」を私なりの「形」に換えて行けるように、「焦らず」試みて行きたいと思います。(芸術カテの「名回答」にまたしても「うっとり」してしまいました。) 私がアートのカテに立てた質問に、お気付きになりましたでしょうか。。。。
yukkinn66さん、こんにちは。 補足をありがとうございます。 読ませていただいて、うーーーんと考えたんですが、近いところで、 「胸のところが詰まったみたいになって、上からどんどんたたいてやりたくなる」 ということはあります。 栗とかさつま芋を大量に食べたときの感じに似てます。 違いますかね? これが起こるのは、調子の悪い秋冬限定です。 どちらかというと、これが起こると逃げたい感じです。 今はこのことについて考えたくない、知りたくない、何故なら傷つくかもしれないから、というような。 ごめんなさい、春夏は異様に元気なので、秋冬起こることって、自分に起こったことであるにもかかわらず、忘れてしまっているんだよね。 以前はこれが起こると、食べることや本を読むことや寝ることに逃げていました。 たくさん食べると、詰まったように感じる食道を食べ物がその“何か”を押し出してくれる感じがあって、一番気が紛れていたような気がします。 ですが、摂食障害を克服したことで、この手は使えなくなりました。 何故か本も、その役割を果たさなくなってしまったんです。 今はこの状態になると、寝ちまうか、リーガルパッドに自分の思いをがしがし書き出します。 こんな幼稚なことをとか、人でなしだということも全部書きます。 で、寝ちまう。 後日、読んでいろいろ考えることもあるし、友人にメールで聴いてもらう事もあるし、そのままゴミ箱に放り込むこともあります。 あんまり結論が出たことは無いですが、とにかく胸のつかえは薄まります。 そもそもこれと同じことなのかどうなのか判らないですが。 同じだとしたら、自分の恐れていることや避けたいことで、なおかつそれを恐れないように考え方を変えると、人生もっと楽に生きられるようになるんじゃないかなあと思ってます。 本読んでてもありますね。 過食症関連の本や、ジェフリー・ユージェニデスのミドルセックスでもなりました。 やはり、自分に重なる部分や、気付きに関連することがあると、お化けにあったかのようにはっとして、本を放り出してしまうこともありました。 最近は無いけどね。 これで答えになってるのかな。 微妙だな。
補足
続けて行きま~す。 「津波」効果か、「夜中」効果か、いささか「ハイ」です。 あ~~それです! 当たってます!! 実は心療内科に掛かった時、「問診票」に「咽が詰まって云々」ってチェック項目が有ったので、初めて「病的なもの」と知ったのです。 でも、「症状」でも「衝動」でも「どっちでも良い」気がします。要は「利用法」が問題なのだと思います。 だって、太宰も芥川も川端も「自殺」していますし、夏目もロンドン留学中に鬱病になったらしいですし、アインシュタインやエジソンは「アスペルガー」だったとか言うし。。。。「私しか出来ない事」をする為の「能力」かもしれない。。。なんて「思いたい」のです。 診断は出ていませんが、私自身は「双極性」を疑っているので「そっちの症状」による「楽観」かもしれませんが。。。。(今「躁」の時期ではないかと。。。) じゃあ、「何に利用しようかな」と言うのが「次の課題」でしょうか。。。「何が出来そう」なのでしょう。。。? 「物書き」は考えた事が有ります。 でも「何かを生み出す」には「私自身が未熟だ」と思います。「何かを生み「出せる」」なんて「傲慢」な気がします。 せめて「五十代」からなら「許される」気がするのですが。。。 先輩方、どう思われますでしょうか。。。。?
yukkinn66さん、こんにちは。 早いなぁー、読むの。 あたし上巻はもう“やつ”のせいで、ウンウン言いながら読んでましたから。 “ヤツ”が出てくると、放置してマシタ。 病気のキチイに父の公爵が言う言葉がありますよね。 「いつか朝ふと目を覚ましたら、自分で自分にこういってきかせるのだよ。あたしはすっかり丈夫になって、気分もうきうきしてるから、パパと一緒に凍った土の上を散歩しようって。いいね?」 これは私が摂食障害を始めて父親に打ち明けたときの父の反応と似ていて、驚くと同時に涙が出てきました。 父は黙ってあたしの話を聞き、最後にひとこと「次にまたたくさん食べたくなったら、お父さんに言えばいい。一緒に食べてあげるから」って言いました。 過食を他人とするということはありえない訳で(私は隠れて食べます)、父の言葉は的外れなんですが、それでもこの人はこの人なりにあたしを愛してくれているとわかったことを思い出します。 で、“アンナ・カレーニナ”に戻って。 病気中・後のキチイはいいですよね。 彼女はリョーヴィンみたいにうじうじ考えないで、思ったら行動に移すというところがさばさばしていて意外に男前です。 ドリイに食ってかかって、「こちらを愛してもくれない人を恋するなんて、絶対に、しないわ」というのも、過去の自分と同じでじいんとします。 あー、ここはもう過ぎてますよね? これからだったらどうしよう。。。
お礼
fuji坊様、こんばんは! はい!私は本を読むの、「かなり早い」です。「どっぷり」浸かってしまえば「こっちのもの」。「文章の記憶」は無くても、「情景の記憶」は残るのです。自分でも「よくわからない」のですが。。。 「摂食障害」。。。お辛かったのでしょうね。。。。克服されたとの事、尊敬致します。 私は「行き詰まる」と「食べなく」なります。「今」は「子供達の為に死ぬ訳には行かない」と言う「決定事項」があるから、「無理矢理」にでも食べますが、「以前」は三日くらい平気で「断食」していました。それで「仕事(肉体労働)」と「学業(既にサボり気味でしたが。。汗)」をいつも通りこなしていたのだから「不思議」です。 「心の痛み」より「身体の痛み」の方が「遥かに凌ぎやすい」と感じていました。だから、「空腹」に「転化」して、「凌いで」いたのです。 これは「未だに親に言っていない」事です。「秘密だらけの娘」です。「悪い子」ですね。。。 キチィとドリィの「喧嘩と仲直り」は、「津波」の「第一波」でした。 あの場面はキチィの「子供時代の終わり」なのだな、と私は思いました。 「自分の中の「醜さ」」を「目の当たり」にして、「否定出来ない」事を「認めた時」、「子供時代」と言うものは「終わった」と私は思いました。 「大人」と言うものは、「理想」と「醜さ」が「同居」し、「認め合い」、「それでも」「負けない」ものなのかな。。。と思います。(そうじゃない方々も「よく」見掛けますが。。。) 「切なくて」「悔しくて」「汚らわしくて」、でも「それが私」。。。私はそう思って「大人」になりました。 なんか「おとめちっく」な文章になってますね。。。。嫌だなあ。。。「男気溢れる女」が私の目標なのに。。。。
補足
昨夜は「サボり」今夜も「サボり」、「現在位置」に変化無し。 昨日は「もみくちゃ」状態でしたので、「文章が生意気」ですね。。。申し訳ありません。「甘やかす」と「つけあがり」ますので、どうぞ「叱って」ください。 先輩方は「揃いも揃って」「優しい」回答くださるから、困ります(笑)ありがとうございます。
- bagnacauda
- ベストアンサー率18% (228/1247)
個人的には「名作」というか「凄みのある小説」って、何回か読まないと、ほとんどわからないのだろうと考えています。 とにかく、描写が緻密にして精緻で、仕掛けがありすぎて、よほど頭の良い人間じゃないと気が付かないことが書いてあるように感じます。 だから、僕は、結構途中で一番最初に戻って再度読み直すことがあります。 状況や人間の心情を「言語」に置き換えるって、とても難しい。 ワインの味と香りを、料理の味と見た目を「言語」に置き換えるのですら、難しいのに、何人もの人間の人生と時代背景や様々な出来事を文章にするのだからそりゃあ難しい。 良い小説って、「ストーリー」も大事ですが、「それ以外」のほうが大切。 どういう話なのか、言葉に置き換えられない部分を、どのように感じるかが「命」なのだと思う。 感想文を書きようがない部分。 小説家が本当に書きたいのは、本来はそういう部分なのだとぼくは思っています。 訳のワカラン回答ですまんね♪
補足
お師匠様、こんにちは。 回答ありがとうございます! 私は「素敵なプレゼントだなあ」「私にもご教授ください~~~!」と思いました。数年後、「三十代の生意気な女性」になって「教えて」頂くのはダメでしょうか?。。。笑 >個人的には「名作」というか「凄みのある小説」って、何回か読まないと、ほとんどわからないのだろうと考えています。 今までで「一番衝撃的」だったのは「舞姫」です。中学の時読んで「大嫌い」だったのが高校で読み返して「素晴らしい」と思いました。(あとは「トマトジュース」です。大人になって「嫌々」飲んだら「はまり」ました) 「頭でっかちで臆病」になったら読み返すのは「山月記」 「強く生きたい」と思ったら「方丈記」 「ちょっと切なく」なったら「奥の細道」の「平泉」 私はこんな感じですが、「古典ばっかり」と言うのは「どうなんでしょうか」? 出版後二十年たったら読もうかな。。。と言う「選択方法」です。 トルストイは「丁寧」な方ですね。「一分」が「一分」として「感じ取れる」作品に「初めて」出会った気がしました。 >状況や人間の心情を「言語」に置き換えるって、とても難しい。 私が抱える「衝動」は、「言語化」の過程で起きる「取捨選択」の「ジレンマ」みたいなものなのでしょうか。。。 相変わらず、bagnacauda様の言葉は「すっきり」します。しかも「するめ」みたいですし。 >訳のワカラン回答ですまんね♪ この回答が訳が分からなかったら、私のお礼なんて「トンデモナイ」レベルです。(自分でもグラグラしています) また今夜読み進んだら、明日「暴走」したお礼やら補足やらしそうで怖いです。よろしくお願いします。
yukkinn66さん、おはようございます。 fuji1017です。申し遅れましたが、40歳女・未婚です。 早速、ありがとうございます。 しかし。 立てさせといてなんですが、あたしにコメントする教養も知識も無いことが判明。あわあわしとります。 お馬鹿コメントでもよろしければ。 “アンナ・カレーニナ”は図書館で借りてきて読んだので、上巻中ほどがどのへんだったかが、もうすでに謎です。 次回からこのストーリーのあたりと言ってもらえると、わかるんですが。(また来るつもりでいる。。。) ですがあたしの場合、上巻の大まかな感想は、「リョーヴィンがうぜえ」でした。 理由はすぐにわかりました。 自分に似てるので、うざいんです。 これは他の登場人物にもいえることで、キチィにしてもドリィにしてもアンナにしても、あ、これってあたしだ!って部分がありました。 ですが、中でもリョーヴィンは、やることなすこと似てるので、「頭の中でぐたぐた考えてないで、さっさと行動を起こせ!」と後頭部をはたきたくなっちゃって。 わかりそうで、もしくはわかってるのに言葉で説明できないからでは?
お礼
fuji坊様、来てくださってありがとうございます。 でもでも。。。。うっわ~~~!!! 申し訳ありません!! 最後の一行を読み飛ばしておりました...汗 >わかりそうで、もしくはわかってるのに言葉で説明できないからでは? これ、回答でしたね。。。たいへん失礼致しました。お許しください!! この質問で一番お聴きしたかったのがfuji坊さんの言葉だったのです。私の回答歴までは見ていらっしゃらないかもしれませんが、「ある板」を利用している事にお気付きでしょうか? この「衝動」がなければ「どんなに生きるのが楽だろう」と思った事が多々あるのです。周りの人の「悲しみ」「悔しさ」「虚しさ」等に私は「本人以上」に「反応」している気がしてならないのです。。。 でも「本人以上」なんてあり得ないから、自分は「変」なのかも知れない。。。とずっと思って大きくなりました。(「ずっと」なのに「未だ」「処理方法」も「発散方法」も掴めていないのが「一番の問題」かも知れませんが) 何にしろ「だめだめじゃあああ」と言う気分です。。。。
補足
ちびたちの口におにぎり放り込んで、お茶を飲ませて手を洗い、ついでに頭を冷水で流して冷やさせて「戻って」参りました。三人で「勝手に」遊んでくれるので「悪い母親」をさせてもらっています。。。汗 ところで。。。私の「質問」はそれ単体として成り立たせるつもりで書いたのですが、「回答」は頂けないのでしょうか? 抽象的な文章ですが、「叫びだしたい」衝動に駆られ、本当は「読破後に」投稿する予定だったのに、居たたまれず書き込んでしまった次第です。 それとも、未熟で早急過ぎる問いだったのでしょうか? こういう「衝動」は「良く在る」ものなのでしょうか? 私が「変」なのでしょうか? 元々、「感じ過ぎる」と自分自身について考えております。「自身の内面に深く潜り過ぎる」と思います。でも「自分の思考の核」を「突き止めたくて」仕方なくなってしまうのです。 とても良く記憶しているのが、小学校低学年の時、夜遅く家族で車に乗っていました。 ヘッドライトに照らされた、一瞬の影が「大きなトカゲ」に見えたと父が言い、面白がって引き返しました。 でも、それは父の見間違いで「枯れ葉」でした。 「あ~~残念!!」「惜しかったね~~」と賑やかな家族の中で、何故か私だけは「泣きたくて」堪りませんでした。 父は期待はずれが悔しいだろうに。。。見間違いが恥ずかしいだろうに。。。わざわざ引き返してくれたのに。。。。。でもそんなんじゃない。なんて言えば良いのだろう。。。 「津波のように押し寄せて」「言葉にならない思いが幾つも幾つも重なり絡まり膨らんで、身体が弾けるのではないか」 「これ」って「何なのでしょう」?
yukkinn66様、どうもありがとうございます^^ 実は、大学時代に読んだきりでほとんど印象にないのです>アンナ それで、さきほど本棚をチェックしたら(上)だけ出てきました。 新潮文庫でピンクの表紙でうっすらオッサンの写真が浮かんでるものです。 なんだか字が小さくね? それで私の(上)のラストは「も、今はひとつの思い出となってしまっていた。」439頁なのですが。 yukkinn66様の文庫も同じかしらん? しかも発行が「昭和47年」て・・・。 『吉原』読んだら読もうかなぁ。 もうちょっと待ってて下さいませ。 私は長編小説は「が~!」と一気に読まないと萎えちゃうので^^ またね!
お礼
お姉様こんにちは。 回答「一番乗り」感謝します! >実は、大学時代に読んだきりでほとんど印象にないのです 実は「冒頭の一文」を読んだ途端に思い出しました。 確か「中三」か「高一」の時に数ページ読んで「辞めた」のです。 初めは「ドリィとオブロンスキーの揉め事」で始まり、「アンナの登場」は遅れてやってきますよね。 「潔癖な時期」に「不倫の不潔さ」が耐えられず、「読み辞めた」のを思い出しました。 でも「世界のラブストーリー」の主人公が「どうして」「既婚で子持ち」なのだろう???って思いながら読んでいます。 やはり、「真実の愛」や「恋愛の本質」を「知る」には、「人生経験」が「必須」と言う事なのかな。。。。と「今のところ」考えています。 (そういえば、「めぞん一刻」も「未亡人」でしたね) 私のアンナはお姉様のと同じです。あ。。。第十八刷、かな。 そろそろちびたちに「おやつ」なので失礼します。
補足
「現在位置」を報告します。 中巻1/5辺り、アンナがオブロンスキーに「暴露」して「号泣」。「果たし状?」が届き、今ヴロンスキーを「捜索中」。 「補足」は回答頂いた方全員に届くんですよね?(fuji坊さんの筋板でお姉様の「白馬の王子様」がおっしゃっていたような。。。)違ったらご指摘ください。 なんか。。。私みたいな「若造」の板に「人生の先輩方」が集まって頂くなんて恐縮です。失礼の無いよう、気をつけますね。 (でも実は「大物が掛かったあああ!」なんて「すっごい失礼な」事、心で叫んでいたりするんですが...笑) 「今のところ」 *アンナは好きになれない *リョービンの「在野精神」と言うか「言動一致」に「ホレボレ」しています。 *キチィの「自分を好きになりたい」「そう在りたい自分になろう」と「必死でもがく」ところが良い。 *オブロンスキーの「浅はかさ」は「嫌い」だけど「よく判る気がする。。。」 。。。と言う印象です。 ドリィの子供達が好きです。「騒々しさ」が我が家と似ています。。。汗 (今朝も「汗疹対策」に「お風呂でプール」しましたし) とりとめありませんが、私の「感想の整理」に「茶々」「突っ込み」「軌道修正」をよろしくお願いします。
補足
お師匠様、こんにちは。 「課題」は未だ放置です。でも「更なる混乱」は回避しつつ、これまでの「感想」を思い返し「熟成中」ですので、「公欠扱い」でお願い致します。 >自分の体なんだから、自分が思う通りに動くはずと言うのは「錯覚」で、全く思い通りにならないどころか、冷たい水に体を沈めない限り、自分の体の境界線すら知覚出来ない。 >肉体だけでなく感情だって同じなのだと思う 二十歳の時、まだ「付き合って」いなかった夫に向かって、「こんなに自分の言う事を聞かない自分を抱えて生きて行きたくない!!」と泣いて訴えた事があります。(その半年後に「薬を大量に飲んで入院」、と言う愚行をやらかしましたが。。。苦) 私は「感情/魂のコントロール」では無く、「肉体のコントロール」を望んで来ましたが、そうやって「二者択一」すべき「課題」ではないのでしょうか。。。 アンナはやはり「好きになれません」。アンナは「簡単に不幸になる」「愚か者」なのでしょうか。。。。それは今後「読み進む」ことで判って行くのでしょうが。。。 「今のところ」、私にはこの物語が「アンナ+ヴロンスキー」と「リョービン+キチィ」の「対比」のように思えてなりません。 チェロをなさっておられるのですよね。 私は吹奏楽なのですが、弦楽器のあの(吹奏楽器には無い)「弓を引く瞬間」の「張り詰めた弦そのもの」の「音」が好きです。「音の頭」の「スピード感」は吹奏楽器とはまったく違うと感じています。(でもごめんなさい、私が「一番好き」な「音」は、「コントラバスのピッチカート」です汗!) 「音楽」と言わず、「音」そのものでも、私の「衝動」は引き起こされるので、以前からその時々の状態によって「聴くもの」を「選んで」おりました。此処数年はそ「選ぶ」行為に費やす「労力」が出せず、「どっぷり浸かって聴く」事が無くなっています。「音楽」が身近に無くて「寂しい」のですが、なかなか「向き合えず」にいます。 余談ですが。。。 「回収出来ない売り掛け」のやり取りを拝読して、「両親の失敗」の「理由」が判ったような気が致しました。 勿論、私の両親は「善良」ですし「実直」な「技術人」ですが、「経営者として筋を通す強さ」に欠けていたのかも知れないと思いました。「特に父親」が。 あの質問文のような事柄がしばしば私の耳にも入って来ていました。勿論、私の未熟な頭では「読み取れていない」事は判っていますが、「代表者である父」に「正義を貫く強さ」が欠けていた事だけは判ります。そして「その行為」による「しわ寄せ」が私たち家族(特に母)に来たのだと思いました。 でも「ひとつの救い」は「他人へ」「回さなかった」と言う事実です。おかげで私たち兄弟は、両親を「憎まずに」済んでいるのかも知れません。私は今でも「尊敬」していますし。(それすらも「私が知らない」だけかも知れませんが。。。) 「子供」って「幸せ者」ですね。