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しあわせなヤツはつまらない?

トルストイのアンナカレーニナという本の冒頭に 「幸福な家庭はすべて互いに似かよったものであり、不幸な家庭はどこもその不幸のおもむきが異なっているものである」 とある。 これをあるマンガでは、 しあわせなヤツはつまらん と解釈していた。 たしかにしあわせというと、「家族が笑顔」みたいに、 みんな同じようなことに落ち着く気がする。 不幸にはドラマがあるのもうなずける。 どう思うか? あるいは、実体験があるなら、教えてほしい。

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  • Gusdrums
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回答No.3

phoenixevil様、復活されていたのですね。 実は、貴方の孤独論が好きな中高年の孤独者です。 二度の離婚、手の震撼する病、仕事の挫折と、まあ、波乱万丈の人生を送っています。 最初の離婚は妻の浮気で探偵つけて慰謝料をもぎ取りました。 4年恋愛して1年で破綻しました。 二度目の結婚は、妻が子供2人を連れ去り別居から始まり、離婚調停も退けましたが、別居期間が5年目ということで、弁護士から、婚姻関係を継続不可により裁判提訴する!の手紙が来て、ねじ伏せられました。 子供が可愛そうでね。 一人は中三から引きこもり、もう二十歳になったが今も引きこもり。 さて、プロローグが長くなって失礼しましたが、不幸にはドラマがある、というのは同感です。 <<たしかにしあわせというと、「家族が笑顔」みたいに、 みんな同じようなことに落ち着く気がする。 これは、イメージとしてはハマっていますが、婚姻生活が長くなると、よからぬことを考え出す夫婦も実際に居ます。 つまり、いつまで続くかな、ということなのです。 私は孤独に耐用がつきましたが、少なからず友達は居ます、その友達はかなりの顔聞きで、世間も広い自営業者、そいつは普通に妻子と暮らしていますが、私も含めて離婚経験者の多いことをよく語ります。 幸せになりたいか、というと本音YESですが、本題の幸せなヤツはつまらん、ということは、話題に登りにくい、毒にも薬にもならん、落ち着くとした安堵感に浸り波風を立てたくない、何事も穏便にと、まあ人畜無害ですがね。 とにかく、これが極普通という定義付けに当てはめたがる。 良い家庭環境を育める、つまらんが尊いことともいえるのではないでしょうか。 長年、連れ添うということは、少なくとも耐えることもあることでしょう。 おしどり夫婦というのは、絶滅危惧種ですよ。 他人の事態が悪化すれば、近所のおばさんたちの格好の話題になる、私のことをネタにしての井戸端会議、さぞかし話題になったのでしょう。 朝、ゴミ出しの時、いつものご近所おばさん集合組の人数が増えていましたから。 子供の不登校のことも噂になっていたし、別居当初、私は晒し者でしたからね。 自分ちは大丈夫ってツラして、実につまらん傍観者に思えましたね。

noname#202739
質問者

お礼

復活したよん。 オレの理論が好きとは、ずいぶん変わった方だな。 それにしても、いろいろあったのね。 しあわせは尊いかと聞かれたら、正直わからん。 人によると思う。 ただ、オレ自信がひょっとしたら、悲劇の主人公になりたいんじゃないか。 普通のしあわせを捨てたいんじゃないかと感じる時がある。 傍観者はつまんないよ。 だって、そいつらは平穏だから。 それよりも、何らかのすごいドラマ(つまり、不幸?)を背負った者同士の引き合いって強烈というか。 不幸から自分を磨いてきたヤツとの会話って、おもしろいんだよね。 後は自分論でいくとさ。 人は夢をあきらめても、生きていくことはできる。 でも、生きていくってだけじゃあ、つまらない気がする。 やっぱり、ドラマはほしい。 平穏なヤツには一生わからない苦しさがあるね。 でも、それをおもしろいとも感じる。

その他の回答 (2)

noname#190551
noname#190551
回答No.2

人の不幸は蜜の味。 おのろけとか幸せ自慢されて嬉しい人ってあまりいなくて、不幸話の方がうけるでしょ? 単にそういう事だと思います。

  • ryo_ky
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回答No.1

当事者ではなく、他人の目で見れは「つまらん」とも取れるのは理解できます。少なくとも「幸せなヤツ」本人はつまらんとは思っていないでしょうから。 例えば、同じような経験で幸せをみたケースでいえば、ここのところ友人の結婚式によく呼ばれます。 当たり前ですがみんな幸せそうに見えます。 さてここで私はどのように思うか。考え方は色々ありますよね。 友人の結婚を祝福して一緒に喜ぶというのも1つの答え。 友人の結婚を妬むのも1つの答え。 出費が嵩んで嘆くのも1つの答えでしょう。 ただどれも友人にとってみれば他人の主観に過ぎないという事です。 あと、幸せ、不幸というのも当事者の定義・考え方によるものでしょう。 例えば、スキーに行って転んで怪我をしたとします。この時、他人から見れば怪我をして可哀そう。不幸だなと考えることはできます。ただし、当事者は命が助かって良かったと考えているかもしれません。 何にしても、他人の幸・不幸を考えても、それはその人の考えに過ぎないという事です。そしてその幸・不幸を趣きの有無で判断するのはさみしい考え方の様に私は思いました。