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ディオクレティアヌス帝について
ディオクレティアヌス帝は絶対君主に以降したと言われているのですがどこがどう変わって絶対君主になったのかよくわかりません・・・・。 四分統治することで絶対君主になれるのでしょうか?また、いきなり絶対君主になって国民からの反発はなかったのでしょうか??
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ディオクレティアヌス以前の時代は、軍人皇帝時代と呼ばれますが、この時代は大変な時代でした。 蛮族があっちからもこっちからも侵入してきて、ローマ帝国を散々に荒らしまわり、皇帝が帝国中を軍隊を引き連れて駆け回っていました。 しかも10年政権を維持した皇帝は皆無。ひどい例になると数か月で皇帝が変わるという、安定とは程遠い時代でした。 ここに安定をもたらしたのがディオクレティアヌスです。 官僚制を強化し、課税を強化し、軍事力を増強しました。元首世時代はわりあい地方政府に様々な権限があったのですが、ディオクレティアヌスは中央集権化を進め、その頂点たる皇帝の権威の強化に努めました。 それの政策を一言でいえば、「絶対君主制への移行」ということになるわけです。 その当時にほかに選択肢があったかどうかは私にはわかりませんが、ディオクレティアヌスはその方法で社会の安定を取り戻しました。 四分統治を導入したのも帝国の防衛の必要からです。軍隊の最高司令官を自分を含めて4か所に配置し、どこから蛮族が侵入してきても直ちに撃退できるようにすることを考えてのことです。 >国民からの反発はなかったのでしょうか? たぶん、平和で安定な社会を実現してくれればそれで十分だったのではないでしょうか。「君主が戦いに勝ち、国を守れば、その政治は必ずすばらしいものとされる」というわけです。 ただ、四分統治は失敗だったみたいですね。ディオクレティアヌスが引退するや否や正帝、副帝がバトルロイヤルをはじめ、結局コンスタンティヌス帝が勝ち残り、再び安定を取り戻しました。