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暴政を布く国王と絶対君主の違いは?
フランシス・フクヤマ著、渡辺昇一訳「歴史の終わり」 ~。とはいえロックは、国王が国民の財産や生命を気まぐれに奪い取る場合があるように、絶対君主も人間の自己保存の権利を侵害し得ると指摘している。 これでみると、「国民の財産や生命を気まぐれに奪い取る場合がある国王」と「絶対君主」は別ものと認識されているように読み取れます。 「国民の財産や生命を気まぐれに奪い取る場合がある国王」は「絶対君主」に含まれないのですか。前者と後者の相違が知りたいです。 よろしくお願いします。
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フランシス・フクヤマ氏の『歴史の終わり』はまだ読んでおらず、噂程度しか知りませんので、フクヤマ氏の思想の説明は出来ませんが、一般論的な解釈で分けてみます。 まず、「君主制」という政体についてです。 「君主制」というのは、一人の為政者が国事の全ての最終判断をする政体です。 その意志決定をする為政者は、その権力を「力ずくで取ったり」「民衆に押し上げられたり」して着く場合と、「血縁によって、親兄妹などから受け継ぐ場合」などがあります。 るまり「君主制」には大まかに、「君主制(血縁によって権力が代々受け継がれる場合)」以外にも、「僭主制(力ずくで取ったり民衆に押し上げられた場合)」、「帝制(政治的な決まり事で権力が代々受け継がれる場合)」、という種別があります。 で、「絶対王政」というのは、「君主制」のウチで、ラテン・キリスト教社会(カトリック・プロテスタント)であったヨーロッパ社会で現れた論理の一つです。 これは、「王権」というのは「神に選ばれた血筋」の者に与えられ、「神のみに制約される」のであって、世俗の事を決めた「法律」には縛られないという論理です。(王権神授説) これに直接対峙した論理は、「王権とは、諸侯との力関係の上で成り立っている」とする「封建君主」です。 ヨーロッパでも特に英国ではこの二つの論理で揺れ動いてきた歴史があります。 この二つには長所と短所がありました。 「絶対君主制」 長所:王権は神のみに制約されるので、諸侯や民衆の言い分を聞く必要は無い 短所:(神のみから発するとすると)地上における「神の代理人」とされるローマ教皇の意志を無視出来ない。 「封建君主制」 長所:王権は諸侯から付託されるので、ローマ教皇の意志に必ずしも制約されることはない 短所:諸侯との力関係の上で成り立つので、財力・武力などで劣ると諸侯の好き勝手にされてしまう。 簡単にいうとこんな感じになります。 つまり、「絶対君主」と「封建君主」は、権力の依って経つ基盤が全く逆なんですね。 「絶対君主」を上(神)から下に権力が下ってくるのに対して、「封建君主」は下(諸侯・民衆)から権力が上がってくるんですね。 で、下からの究極の形が民主主義です。(さらに、「血縁の制約」をはずすと民主制となります。) この二つの論理の間で、こっちいったりあっちいったりしながらバランスを取ってきた歴史が中世~近世に至る歴史と言えます。 そして、英国は「名誉革命」によって「立憲君主制」という新しい概念を生み出し、「バランス」を取ることに成功し、フランスは「フランス革命」によって共和制に移行しました。(一瞬「帝政」というナポレオン体制ができますが) 「立憲君主」というのは、「国王は血縁によって継承するが、統治権は憲法や立法に縛られる」という概念です。 そして、その究極の形として「王は君臨すれども統治せず」という理念が生まれます。 >「国民の財産や生命を気まぐれに奪い取る場合がある国王」は「絶対君主」に含まれないのですか う~ん、先ほども述べたとおりフクヤマ氏の思想は分かりませんが、個人的には含まれると思いますけどね。 「国民の財産や生命を気まぐれに奪い取る場合がある国王」というのは、単に暴政を引く王様ですよね。 それは、別に君主制(僭主制・帝政含む)であれば、いつでも起こりうる現象ですね。 まぁ、論理的にその西洋での究極の形が「絶対君主制」ですので、何にも制約されず暴政を引けるのは「絶対君主制」ですね。 >とはいえロックは、国王が と、引用部分にありますので、ロックの思想に言及した箇所のように思います。 ジョン・ロックだと思いますが、彼は近代の民主主義に通じる理念を生み出した重要な一人です。 で、彼は主著『市民政治二論』(1689年)において、「生命・自由・財産に対する権利は、すべての人間に認められているはずのもので、国王の権力によっても、これを奪うことはできない」(社会契約説)と説きました。 これによって、「王権神授説」を根拠とする「絶対君主制」に「NO!」を突きつけた訳です。 さらに、「権力を立法権と行政権に分離」することを説き、それがモンテスキューに受け継がれて「三権分立」の理念が生まれます。 こうしてみると、フクヤマ氏の著作該当引用部分は、このロックの思想(絶対君主制の否定)を説明(というより、引用して自分の論理を補強?)した部分かと思います。 因みに、「君主制」に対立する概念は「共和制」です。 「共和制」には、「貴族制」「寡頭制」「民主制」があります。 「(近代)民主主義」というのは、「権力の根拠」が「国民=民衆」に依って生まれるという思想で、「王権神授説」vs「封建制」のウチ、「封建制」側の概念を「諸侯のみでなく一般市民」まで広げた論理ですね。 なので、選挙によって選ばれた代議員に「国事に対する判断」の正当性が付与されるわけです。 で、「民主主義」は「君主制」と対立すると考えられがちですが、必ずしもそうではありません。 「立憲君主制」という概念によって、「君主制と民主主義は両立しうる」という事が証明されました。
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- Ganymede
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ご質問者は「絶対主義」ってご存知ないですか。高校の世界史はもちろん、中学の社会科でも習ったような気がします。 つまり引用文では、絶対主義以前の国王と、絶対主義時代の国王(および皇帝など、合わせて君主)とが区別されています。しかし、両者とも暴政を布く場合があるという点では同じだ。ロックはそう述べているわけです。 彼は王権神授説を批判しているのです。絶対主義の根拠は、「王権は神から授けられた絶対的なものだから、王は無謬で、人民は逆らうことを許されない」という思想です。しかしロックは、絶対君主は無謬ではない、「人間の自己保存の権利を侵害」するという重大な誤りをおかす場合もあると指摘しているわけです。
お礼
王権神授説なるものの存在を知って、意味が通りました。 有り難うございました。またの機会にもよろしくお願いします。
お礼
1 王権神授説の存在を知って、大分通りが良くなりました。ボシュエ(1627-1704)とロック(1632-1704)は時代を共有しているのに結論が対立していて興味をもちました。 「絶対君主」と「封建君主」の長短は、よく分かりました。 2 質問文で引用した部分は、前者の「国民の財産や生命を気まぐれに奪い取る場合がある国王」を「封建君主」、後者の「人間の自己保存の権利を侵害し得る」のが王権神授説の絶対君主、と読めばよいのだと理解できました。 3 民主主義の源流を探ると一方ではヘーゲル、カントにぶつかり、他方ではロック、ホッブズに行き着くのでしょうか。不勉強でさっぱり分かりません。 4 >>「立憲君主制」という概念によって、「君主制と民主主義は両立しうる」という事が証明されました。 国民が主人、君主が奴隷の関係になってしまっていないのか、気の毒に思うことがあります。否、これによって民主主義下では例外なしにすべての国民が主人であり、また奴隷であるとの関係が成立し、この面からは平等なのだろうと思ったりもします。それにしても民主主義にも何と多くの欠陥があるのやら。 ありがとうございました。またの機会にもよろしくお願いします。 (質問文の引用部分の読み方は判ったので、本日(11日)18時以降は締め切る可能性があります)