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天皇陛下の御立場の変化?

天皇陛下の御立場を考えてみますと、武家政権成立以前と以後では大きな御変化がありました、その後は大きな変化はないように思われます。 違いは直接御統治を行うか、御委任されるかのいずれかしかないように思われますが、他に何がありますでしょうか? ・現代 立憲君主国家であり、かつ象徴天皇制 助言を元に国事行為を行う御立場 ・明治憲法制定後~敗戦まで 欽定憲法による立憲君主国家であり、統治権の総攬者 政治に関しては公平中立かつ無私の御立場 ・武家政権樹立後~大政奉還まで 政治に関しては幕府に委任、公家法の一部を除き幕府の助言により勅諭を発する御立場 ・武家政権樹立まで 専制君主国家であり、国家の統治者 院政・摂関政治はあるものの、国家を自ら統治する御立場

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  • a-koshino
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回答No.1

権威的存在であり、直接統治の期間は、非常に短いのではないかと。 ・治天下大王のころ 有力豪族や渡来人の力が強い 日本書紀の記述を信用し難いので、実態は不明 ・天皇制(天武天皇から?) 豪族の私有地・私有民を奪い、天皇親政 ↓ 藤原氏が摂政・関白として実権を握る ・院政 上皇や法皇による親政 ↓ 武家政権成立 ・南北朝 天皇親政を目指す後醍醐天皇により、鎌倉幕府滅亡 ↓ 全国的大混乱(事実上の無政府状態) ☆足利義満、日本国王に(短期間の安定、天皇より上位の存在?) ・豊臣政権 豊臣秀吉による公武合体策 天皇の権威を利用 ・江戸幕府 権威的存在として養われる 尊王思想の発生(水戸学) ・明治天皇 実権は元老らに ・大正天皇・昭和天皇 天皇機関説に基づき、民意に従う存在 (大正天皇の摂政をしていた、昭和天皇の思想による) ・戦後 象徴天皇制 と、まとめられるような

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質問者

お礼

ありがとうございます。 日本書紀の時代並びに各武家政権の谷間をいかように捉えるかについて参考にさせて頂きたく思います。 直接御統治された期間は本当に短く、日本は天子様の治むる国であるがお一人で国を治むることは御困難であるがため、幕府(時の政権)に政をお任せになり、また幕府も広く日本の政を行うには細かきに行き届かないため国主に政を任し、また国主も自ら細かきに行き届かないため、役人を配し国を治めたと考える水戸尊王学の考え方は納得させられるものがありますね。

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noname#30350
noname#30350
回答No.3

>違いは直接御統治を行うか、御委任されるかのいずれかしかないように思われますが 戦後の象徴天皇制においては「委任」とは違うと思います。 戦前の大臣助言制と違って、現在は内閣の「助言と承認」の下で何ら政治的権能を有しない国事行為を行うというお立場ですから、実質はともかく形式的には「統治権の総覧者・神聖不可侵の神権天皇制」(国民=臣民)であった戦前と、主権者たる「国民の総意」に基く「国と国民の統合の象徴(≠主権者)」とでは決定的な大違いだと思います。「承認」という言葉から「委任」は導けないのではないでしょうか。 言うなれば、会社の経営にはほとんど口を出さなかったけど厳然たる事実として代々、代表権を持っていた創業家の社主兼代表取締役会長が、代表権を有しない非取締役の名誉会長になったようなものだと思います。 「象徴」とは、「目に見えない抽象的、観念的、無形的、超感覚的な事柄を、目に見える具体的、実在的、有形的、感覚的なあるものによって表したものをいう」ということです。 もちろん、天皇陛下と皇室は国と国民の統合の象徴ですから非常に大切な存在ですし、日本という国・歴史を語る上で不可欠な存在としてこれまでも、そしてこれからもあり続けることと思います。 質問文を拝見して、非常に博識でいらっしゃる質問者さんが、どうしてワンセットであるはずの「助言と承認」を「助言」とだけ書かれたのかな、と少しうがってしまいました。私の回答など全く参考にならないかと存じますが、現代の天皇制と政治権力との関係は直接統治でも委任でもないと思いますので浅学・乱筆で恐縮の至りですが回答させて頂きました。

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質問者

お礼

ありがとうございます。 ご後段にてご指摘致されました「助言と承認」についてですが、誠に恥ずかしながら、記述のし忘れとなります。 穿った見方をされるのも当然至極のことであり、ひとえに私の浅学の至るところになります。 ただ、和魂洋芸と言いますように、西洋的考え方による社会科学的な国家体制の中であるからこそ、現憲法において象徴との記載をあえてすることになっているのであって、大政奉還以前においても実質象徴制であられたことを考えると、明治憲法制定から敗戦までの一時期だけが特殊であり、日本人の魂の部分においては変わらないのではないか考えている次第です。 ご回答への否定ではなく、若輩者による戯言とお思い下されば幸いです。

  • a-koshino
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回答No.2

あ、民意ではなくて、国家の意志とすべきでした。すみません、訂正します。 (大正・昭和の項)

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質問者

お礼

ありがとうございます。 国家であれ民意であれ従うとなると疑問に感じます。 そうせい候との呼び名もあった毛利敬親と同様に、政は思うようにやってよいとお任せあそばされたのではないでしょうか。 昭和天皇におかれましても、そうせい候同様に最後の責任は自分が御取りになる御心の元に、全ての責任を御取りになる御覚悟の上に敗戦の詔を勅諭され、日本の国と民の存続を願う最終の御判断に至られたと思います。

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