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キリスト教について
- キリスト教についての基本的な情報と、イエス・キリストの教えと従来のユダヤ教との違いについて説明します。
- イエス・キリストが神に見捨てられたという疑問や、新約聖書の編纂についての疑問について解説します。
- 最後に、バチカンとロシアの正教会の対立についても触れます。
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なにかの本で読んだ、切れ切れの記憶ですので、「だったと思う」を付けてお読み頂ければ幸いです。 > イエス・キリストが説いた教えと従来のユダヤ教との違いは ユダヤ人と神との契約(旧約)を、万民(信者なら誰でも)と神の契約(新約)に直したのがイエスの教え。そこが大きく違いますね。 > イエス・キリストが神に見捨てられたという 庶民の気持ちの代弁、といいますか、神に見捨てられたと感じて絶望しても実際は見捨てられておらず、3日後に復活できたわけですから、これをもって「神の沈黙に絶望しても諦めるな。神は見捨てない」という教えと、証拠になるわけです。 「沈黙」という題名でしたか、神の御ワザに絶望して転向したキリスト教徒を描いた映画は。イエスでさえ絶望して絶叫したんだ。「沈黙」を乗り越えるのが、信仰だろう、という教えになるわけです。 平然として磔になっていたら、「やっぱり我々とは違う、別待遇だ」という話になりかねません。 > 編纂者は内容が重複しているような話を これは私の考えですが、旧約と新約だからでしょうね。 私は不動産賃貸業を営んでおりますが、何百何千回も、同じ契約を(別人と)結びます。契約書は同じ内容が書かれていますので、神との「契約者が変わったのだから、なんどでも同じ事を書くでしょう」というふうに考えます。 > 裁いた人々がコノヤローまだ生きてたのかっ! これも私の考えですが、人には立場というものがあります。 チクられたから磔にしただけで、民衆に対する見せしめ(自分の権力、反キリスト教の表明、民衆に対する警告などなど)はもう済んだのです。 後はイエスが生きていたとしても、露骨な犯罪を犯さずにコソコソと生きてくれるなら、生存を黙認してかまわないと思いますよ。 生きていることを明らかにすれば、「おまえたちがやった磔はなんだったのか」と鼎の軽重を民衆から問われることになります(権威失墜)し、イエスの主張の正しさ(神の救済)を証明することにもなりますので、為政者に取って逆効果です。 以後、イエスが公然と姿を現して、イエスとして布教した、なら別ですが、そうでなかったのですから、無視するのが一番だったと思います。 加えて、調べたら確かに磔にしたのに確かに生きているというのなら、「気味が悪い」ということもあったでしょう。実害がないなら、見ないことにしてしまうのが最善。 > なぜ対立していたのでしょうか。 私のうっすらとした記憶では、ギリシア正教は「三位一体説」を認めなかったんじゃなかったかと思うのですが、自信がないので、ちょっと手元の事典を調べてみました。でも、「なぜ」という分裂の発端については書いて無いのです。 どう説明しても炎上しそうな、微妙な問題なのでしょうかねぇ。 イスラム教は、誰をマホメットの正当な後継者と認めるかについての意見相違が原因で分裂していますので、もしかしたら、キリスト教もそういう事情かもしれません。 ここは、分かりません、ということで・・・ 。
お礼
ありがとうございます!